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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -




地獄に咲かない花



 沼の攻略を考えていたカイジを追い出そうとする村上の後ろから「ねえ、聖也くんまだ仕事なの」と文句をつけるように現れたその女は無駄に露出の多い服を着ていた。一目で水商売の女だと分かる。キラキラした派手なメイクは好みではなかったが、確かに美しかった。
「仕事中来るなって言ったろ」
「だって暇だったんだもん」
 フロアに現れた一条はカイジを見て「こっちは忙しいんだよ」とわざとらしくため息をつく。女もちらりとカイジを見て、すぐに視線を一条に戻した。
「そーなんだ。いつ帰れる?」
――人間は興味のないものを見たとき、あんなにも純粋な目をするのか。蔑むでも見下げるでもない、ただただ「そこにある」ものを見ただけ。色素の薄い瞳は確かにカイジを映したが、なんの感情もなかった。
「さあな、いいから先に帰っとけ」
「帰ったら寝ちゃうよ」
「村上、送ってやってくれ」
「あ、ああ、はい、了解です」
 村上が身体を翻し、聖也くんの意地悪!と駄駄を捏ねる女を店から連れ出した。
 一条ほどの男になればあんなに綺麗な女を雑に扱うことができる。カイジの腹の底でなにか暗いものが澱んだ。会話の内容からして恋人同士、きっと同棲しているのだろう。家に帰ればあの女がいて、聖也くん聖也くんと甘えてくるのだ。碌に異性と交際した経験がないカイジのコンプレックスを刺激するには十分すぎる。ちくちくと痛む胸を押さえて沼と向き合うが、もうなにも考えられなかった。
 とぼとぼと店を出る。背中には一条の視線を痛いほど感じた。いまからこの一帯を走り回れば村上とあの女を見つけられるかもしれない。けれどそうしたところでなにかが解決するわけでもないので、やめておいた。
 身を寄せているボロアパートに家主の姿はなかった。汚い卓袱台に今夜は帰らない旨をメモした馬券が置いてある。ハズレ馬券だった。
 壁にもたれ、煙草とライターを取り出す。瞬きをするたびにキラキラと輝くなにかが朧げに現れた。紛れもなくあの女だ。
 胸元が大きく開いたバーガンディのミニドレス、ゆるく巻いた栗色の髪、恐らく天然ダイヤが輝く小さい耳、ドレスに合わせて引かれた赤いルージュ、細くて高いピンヒールに乗っかる同じように細っこい脚――あの一瞬で女の全身を細かく観察した自分を恥ずかしく思いつつ、カイジは一息ついた。ほう、と煙を吐き出してから下半身の違和感に気づく。
「……ッ、なんでだよ」
 痛いほどに勃起したそれに呆れるやら驚くやらで、カイジはしばらくどうすべきか悩んでみた。別のことを考えて鎮めようとしてもやはり名前も知らない女が思い浮かぶ。あれは一条の女だ、そんな目で見るべきではない、そもそも沼をどうにかしないと、村上が邪魔だな、そういえばあいつはきちんと家まで本当に送ったのだろうか、あまり治安がよくないから女ひとりだと……堂々巡りで、結局はあの柔らかそうな身体を連想してしまうのだった。
 下腹部が苦しくてたまらない。ジッパーを下ろし、下着からそれを取り出す。久しぶりに行おうとしている行為に妙に動悸が速くなった。まだ全く灰になっていない煙草を灰皿に置き、
――ねえ、カイジくん
 漏れ聞こえた声から自分が呼ばれている様子を妄想する。それだけで性器はさらに硬くなった。目を閉じる。ここは坂崎のボロアパートではなく、どこか別の、あの女に相応しい部屋。きちんとしたマンションで、女とカイジが同棲している、どこか知らない場所。
「は、ぁあ、あ」
 性器を握ると思わず喘ぎ声が溢れる。誰にも聞かれていないが慌てて口を噤んだ。
 女を大きなベッドに押し倒し、思いきり抱き締めてキスをする。赤いルージュが移るが気にしない。女はそれをみたら笑うだろうか。笑顔も可愛いに違いない。笑うなよと言ってミニドレスを脱がせる。スリットから覗く白い脚を撫ぜたら身体を震わせるだろう。くすぐったら「いじわる」と唇を尖らせるのだ。
――カイジくん
 胸から腹、臍、それから下腹部に舌を動かす。女は身を捩って逃げそうになる。腰を掴んで離さない。そのまま脚を割って、挿入するのだ。この温かさは自分の手ではなく、女の膣内の温もりだ。いま自分はあの女とセックスしている。カイジの息遣いが一層荒くなった。背筋をぞくぞくと駆け上がってくる快感に身を委ね、また妄想に耽溺する。
――いじわる
 大きな胸を揉み、舐めて、吸う。女は喘ぎながら何度もカイジの名前を呼び、小枝みたいな腕を首に絡めて甘えてくる。「いじわる」自分に言われたわけでもないのにその言葉が離れない。反芻する毎に扱く手に力が入る。あの一条の女を汚しているという奇妙な感情が首をもたげていた。オレだってやればできるんだ、あいつはオレに抱かれて悦ぶいやらしい女なんだ、もしオレにも金があれば――
「イ、く……っ」
 大きく脈打ち、呆気なく射精した。生臭い体液が傷だらけの指に絡む。ぼんやりとそれを眺め、なんて惨めなのだろうと吐き気がした。
 指の向こうに見える修繕の間に合っていない襖や薄っぺらい布団に、涙が出そうになった。自分にはなにもない。本当になにもないんだ。なにもないから、どうにかしなければいけない。
 カイジは明日もあの店に行く。一条に嫌味を言われながら沼を観察し、どうにかして地獄からの突破口を見出す。蜘蛛の糸を掴んで、今度はしっかりとあの女の瞳に映りたいと思った。どんな感情でもいい。軽蔑でも侮蔑でも、もうなんでもいい。純粋なものが、いちばん怖かった。

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