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きらいきらいすき


 鍵を差し込む。右に捻る。手応えがない。嫌な予感がしてドアノブを回したら、鍵はかかっていなかった。さあっと血の気が引いて、すぐにカイジくんの仕業だと合点が行く。そろそろふたり暮らしに慣れてほしい。ひとり暮らしでも鍵はかけてほしいけど。
 ため息をついてドアを閉める。脱ぎ散らかしてある部屋着を拾いながら部屋に向かい、彼の姿がないことを確認した。大方パチンコか雀荘だ。土日はなんとかいう競馬の有名なレースがあるからそっちに行くだろう。また大きなため息。
 適当な日雇いバイトで適当に金を作って、ギャンブルで全部溶かして、それで素寒貧になってわたしに甘えてくる。カイジくんの行動パターンは改めて分析する価値もないほど決まりきっていた。最近はコンビニに週二くらい入るようになったからましだけど、彼のためにいくら使ったなんかもう考えたくもなかった。
 頭が痛くなって、頭痛薬を飲み下す。
 朝の片付けもなにもできていないようだ。皿洗いくらいはしておいてねと言ったのが同棲を始める前で、最初のうちは素直に聞いていたのにいまはもう見る影もない。一度落ち着いてしまうとなにもできなくなるから、疲れた身体を必死に動かして皿洗いと洗濯を始める。帰りにご飯を買ってきておいてよかった。オムライスを電子レンジで温める。最近、全く料理をしていない気がする。カイジくんと付き合い始めてからわたしまで駄目になっているみたいだ。
 別れたらいいのに、見捨てればいいのに、というのはそれもまた的外れなご意見で、こんな風になってまでカイジくんといたいと思ってしまうわたしがいちばんの莫迦なのだった。
 全然面白くないバラエティ番組を流しつつ、たぶん飲んでも意味ない野菜ジュースを啜る。ふたりで観たらたぶん楽しいのに、つまんないな。いや、楽しいかな? 分かんないや。いままでどうしてたっけ。
 なんかもう全部疲れた。急に疲れた。なんでだろう。鍵をかけてなかったことが案外ひっかかっているのかもしれない。引っ越したのに、もう半年近くになるのに、カイジくんはいまだにひとり暮らしの意識なんだろう。煙草はベランダでって何度も言ってるのに部屋で吸うし。わたしのことなんてどうでもいいんだ。あーあ、疲れた。シャワー浴びよう。
 バスルームではボディソープが切れていた。帰りに買ってきてほしいのに連絡をする術がない。携帯を持たせるほどでもないと思うが、たぶん頼まれたら契約してしまうだろう。母親みたいだなと思って少し悲しくなった。
 寝る前のストレッチもサボってさっさとベッドに入る。あしたも忙しいはずだ。ぐっすり寝てこの嫌な感じを全部忘れてしまおう。全てをシャットアウトするためにアイマスクをつける。これは付き合い初めの頃に彼がくれたほぼ唯一のプレゼント。
 うとうとしかけたところで玄関の方からがちゃがちゃとやかましい音が聞こえ始めた。「あっ、鍵か」大きな独り言も聞こえる。カイジくんだ。面倒くさいから出迎えなんかしてやらない。せっかく寝付けそうだったのに。
「ただいま」
 ドアを開ける音、こちらを伺うような小声。返事の代わりに寝返りを打つ。
「起きてんのか?」
 寝てるよ。そんなに機嫌が良くないんだから放っておいてほしい。身体を丸めてシーツに包まる。ぺたぺたと裸足が近づいてきて、わたしの肩を掴んで揺り動かした。「寝てんの?」寝てるってば。舌打ちをしかけて思いとどまる。カイジくんがいるであろう位置からいろいろなにおいがする。煙草とか香水とかおじさんのにおいとか。
「……今日もすげー負けた、はは」
 雀荘に何時間もいたらしく、めちゃくちゃ強い人がいたとか、その人がいかに凄いかを念仏みたいにぶつぶつと語りかけてきた。聞こえるけど反応したくない。
 大きい手がパジャマの中に滑り込んできてお腹を撫ぜた。思ったよりも冷たい手でびくりと震えてしまう。「あったけー」振り払おうと身を捩ったら足を掴まれて動けなくなってしまった。
「ぅ……」
 するりと下が脱がされ、太ももの辺りにカイジくんの硬い髪が当たる。ちくちくする感覚にむず痒くなった。冷たい唇が何度か内腿にキスをする。アイマスクを外そうとしたら今度は両手首が掴まれた。変なところでカイジくんは器用だ。
 いつもそう、いつもいつも。わたしのお金でギャンブルして負けて、機嫌を取るために優しいセックスでごまかそうとして。なにもかもを有耶無耶にしてなかったことにしようとして。わたしを気持ちよくさせて、それが罪滅ぼしになると思って。
 下着がずらされ、そこに舌が這う。舌も冷たかった。じゅるじゅる、ぴちゃぴちゃと仔犬がミルクを舐めるような水音がして臍の下が疼く。「や、ぁ」細い声で拒否してみても彼は離れていかない。視界が遮られているせいかいつもよりも感じてしまう。浅ましい自分の身体が嫌いだ――カイジくんなんかもっと嫌いだ。嫌いだ、大嫌いだ。
「っ、次は勝つからさ、絶対……だから」
 いやだよ、って答えようとしたら唇がキスで塞がれた。自分は咥えさせたあとキスされるの嫌がるくせに。鼻の頭がつんとした。
 熱いものがお腹の奥に侵入してきて、わたしはもっとなにも言えなくなる。カイジくんはいまどんな顔をしているんだろう。
「……情けねぇよなあ……っ」
 頬になにか液体が落ち、重力に従って唇まで伝う。塩辛くて生ぬるかった。
「なんで、泣いてるの」
 情けないって分かってるならなにもかもやめたらいいのに。大人しく働いて、決まりきった生活をすればいいのに。くたびれて、わたしみたいにぼろぼろになってみればいいんだ。
「……オレだって、こんなオレ、嫌いなんだよ」
 まるでわたしの心を読んでいるみたいにカイジくんは絞り出す。顔をぐちゃぐちゃにして泣いている彼がアイマスク越しに見える気がした。
「カイジくん、っ」
 身体を揺さぶられて名前を呼ぶ以上はできなくなる。わたしが都合の悪いことを言いそうになるとそうやって曖昧にさせて、ほんとうに、嫌いだ。
 カイジくんなんていいところなし、ダメ人間――なのに、なぜだか惹かれてしまう。なにもかも分からない。嫌い、そんな自分がいちばん嫌いだ。

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