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シグナルレッド



 店長がわざとそうしたのか自然とそうなったのか、オレ以外の誰も意識していないのかは分からないが、ともかく最近バイトを始めたコンビニには女がひとりしかいなかった。いつもにこにこしている愛想の良い、いわゆる人好きのするタイプだ。学生だというから歳下だろう。特別可愛いという顔つきではないが、どういうわけだか野郎どもはこの女の気を惹こうと躍起になっていた。よほど女に飢えているのか、同じ大学だというちゃらついた金髪の男や、四十過ぎていまだに漫画家を目指しているうだつの上がらないオッサンまでもが彼女を気にしていた。彼女は誰相手でも分け隔てなく接する。それもまた奴らに「もしかしたら」と思わせる要因だった。
「カイジさん今日の飲み会来ますか〜?」
 で、そのちゃらついた男が携帯をもそもそといじりながら話しかけてきた。
「飲み放題で3500円です」
「何人?」
「オレ入れて4人。あ、ひとり遅れてくるから5人」
 それくらいならちょうどいい。3人だと会話に困るしやたら多くても居心地が悪いものだ。
「っていうかこれカイジさんの歓迎会なんで、カイジさん来ないと困っちゃうんですよね」
「はは……」
 じゃあ金は取るなよと思ったが言わないでいた。
 夜勤にバトンタッチしてから商店街の居酒屋に案内される。日本酒と刺身が売りだというその店はいまどき珍しく全席喫煙可能で、時代に取り残されたような薄暗い人間が集まっていた。オレにならこの店でちょうどいいと思われたのだろう。特に異論はない。
 大量の日本酒の壜が並んでいるのを無視してビールを頼む。オレに続いて4人の男たち全員ビールを頼んだ。とりあえずフライドポテトだの唐揚げだの枝豆だの王道のメニューを選んで、もう誰も刺身と日本酒のことは頭にないらしかった。
「っだから……! オレはそういう軟弱な漫画じゃなくて、骨太な……手塚治虫みたいな漫画が描きたいんだよ!」
「手塚治虫って骨太スかねぇ?」
「俺あんまり漫画読まないんだよ」
「唐揚げ大盛りでーす」
「オレは大友克洋になるんだあああああ」
 入りたてのオレ以外は当然既にある程度打ち解けている。酒に弱いオッサンが喚き始めたのを「いつものこと」という表情で聞いている男たちもほんのり頬が赤く、温度の低い幸せさを感じさせた。
「カイジさんってモテそうですよね」
 ほとんど話したことのない男が微妙な話題を持ちかけてくる。こいつは確かシフトが一度だけ被ったことがある、趣味が読書という暗い歳下の男だ。「僕なんてまだ彼女ができたこともなくて」はは、と少し寂しそうに笑った。
「オレだってそんなに」
「いまは彼女は?」
「いねぇよ」
「誰か紹介してもらおうと思ったんですけど〜」
 盛り上がって見えたようで、残りの男たちもその会話に参加してきた。オレの彼女はどうだ、俺の彼女はこうだと銘々が自慢話を重ねるにつれ、トークの方向はやがて下衆なものになる。恋人とのセックスや風俗の話など始めるものだからうんざりしてしまう。あまりこういう話は得意ではないのだ。
「ってことは、お前まだ童貞なのか!」
「声が大きいです!」
「聞きましたカイジさん、こいつ童貞なんですってよ!」
「だ、だってまだオレ19歳ですよ。えっ、もしかして、遅いんですか……?」
「んー、俺は18歳」
「オレは17歳だったかな。カイジさんは?」
 歓迎会なのだからオレを話の中心に据えようとしているのがよく伝わる。もっと話しやすい内容で絡んできてほしかった。とはいえこのノリで上手くごまかせるほど器用でもない。「中2の夏……だから、14歳……」おそらくオレもひどく酔っていたのだろう。ぽつりと、しかし確実に耳目を集める言葉を吐いてしまった。嘘ではない。真実なのだから余計にタチが悪い。
「もしかしてカイジさんってスゲーひとなんスか……?」
「あ、いや、別に」
「彼女がいないのは、作ったら遊べなくなるからですね!? スゲー!」
 あれは確かに夏、だった。訊かれるがままにあの日の思い出を少しずつ語って聞かせる。夏休み初日、隣に住んでいる水商売をしている女――いまのオレと同い年くらいの若い女だった――に部屋に呼ばれたんだ。赤い下着をつけていた。誰にも言っちゃだめだよと妖しく笑っていた。オレは女の下でなにも言わず、なにも言えずただ快楽を与えられた。畳の上で交わったものだから背中に怪我をした。またね、と去り際に声をかけられたが、その一度だけだった。なんとなく、怖かったのだ。
「スゲー……」
「なにがすごいんですかあ?」
 突然、清かな声が降ってきて全員でひっくり返る。
「遅れてすみませーん。楽しそうですね、なにか頼んでいいですか?」
 立っていたのは例の女だった。下世話な話題で盛り上がっていた引け目があるのか、野郎どもはなにも言わず元の座席に戻ってゆく。と、オレの隣がぽっかりと空いた。童貞がこのタイミングでトイレに行ったようだった。女はそんなこと知らないからよいしょと迷いなく隣に座った。「えへへ、お隣失礼します」それから辛口の日本酒と刺身の盛り合わせを頼み、いままでの会話を特に詮索することなく自然に混ざる。やっと登場した紅一点に男たちは別の盛り上がりを見せた。あわよくば持ち帰ってやろうとオレ以外の全員が考えている。気持ち悪かった。その気持ち悪さを紛らわすように酒を飲み、酔いがどんどん回ってくる。女もそれなりに飲んでいるようだったが、まるで顔色が変わらない。顔に似合わずザルらしい。
 なにがなんだか分からなくなったけれど、とにかくオレはずっと女と話していた。女は聞き上手で、話させるのが上手かった。もしかしたら、と一瞬だけ思ってしまう。出会ったばかりでそんなこと、あるはずもないのに。
「ありあとやんしたー」
 時間をオーバーしてから追い立てられるように店を出される。二軒目に行くようなテンションでもなかったのでじゃあまた明日とその場で別れた。金髪がなんとかして女をホテルに誘おうとしているが、彼女はそれを難なく躱して「わたしカイジさんと最寄駅同じなんで、送ってもらいますう」と笑った。そんな話したっけ、したな、した気がする。
 久しぶりにどれだけ飲んだか分からないほど飲んだかもしれない。飲み放題とはありがたいシステムだ。
「酔ってますねぇ。タクシー乗りますか?」
「それは金もったいない……」
「それくらいわたしが出しますよ。あ、お願いしますー」
 ちょうどよく空車のタクシーが目の前に来ていた。女はオレの背中をどつくように後部座席に乗らせ、運転手に目的地を告げた。なんだか遠くで話しているように聞こえる。目を閉じた。腹の上で指を組んで、ぐらぐらする感覚を楽しむ。ここから家までどれくらいだろう、15分くらいだろうか。寝てはいけない、寝ないように――
「カイジさん、着きましたよ」
 一瞬目を閉じただけなのに気がついたらタクシーは停まっていた。早い。まさか寝ていたか。ああ、女に送らせて寝入るだなんて情けない。
 車を出、よろよろと体勢を立て直す。見覚えの――ない、華美な通りだった。
「え、ここ、オレんちじゃないし、どこ」
「よく来るでしょう?」
「来ねぇよ……どこだここ」
 可愛い鼻歌と共に女に腕を引かれる。「空いてるところでいいですよね? こだわりありますか?」また、なにがなんだか分からない。導かれるままにビカビカとネオンの輝くデカい建物のエントランスに足を踏み入れる。「休憩/宿泊」と書かれた看板を見てからハッと気がついて、ついでに酔いも醒めた。
「あんまりわたしを見ないでください、えへへ」
 あれよあれよという間にエレベーターに乗り、預かった鍵で奥の部屋に入る。オレの部屋より広くて立派な部屋。キングサイズより大きく見えるベッドにばたりと仰向けに倒れ込んだ。やっちまった、というか、やられたというか。
 女はまた妖しく笑った。ブラウスを丁寧に脱ぎ、赤い下着が目に飛び込んでくる。
「聞きましたよ、カイジさんすごいテクニシャンらしいですね」
 参った。実のところ、オレは14歳のあれ以来経験がないのだ。モテるわけがない。なにしろ自他共に認めるクズだ。ゴミだ。ダメ男だ。
「誰にも言っちゃだめですよ、あそこでは清楚なわたしで通してるんですから」
 前歯で避妊具の封を破き、女は囁いた。
 あの夏の日をまた繰り返しているような感覚だった。違うのは肌寒いのと、背中が畳でなくふかふかのシーツなのと、きちんと興奮している点だ。女はいつもの柔らかい雰囲気を微塵も感じさせない淫らな声で喘いだ。
 やはりこいつも、この一度だけのつもりなのだろうか。何度も名前を呼ばれて背筋が粟立ち、ああ、もしかしたら――もしかしたら、と思わされてしまう。女は怖い。いまも昔も。

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