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「#幼馴染」のBL小説を読む
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うたかたのうた


 目が覚めると15時を過ぎたところだった。
 雪国の冒頭ではない。ただオレがいつも通り怠惰であることが露呈しただけだ。
 おかしい、一度8時に起きたはず。あいつを見送って、それから朝食の皿を片付けて――そのあと眠くなってベッドに戻ったのか。重い足取りでキッチンに向かうと案の定、ケチャップのこびりついた白い皿が放置されていた。地獄のように黒いコーヒーが入っていたカップもそのまま。皿を洗った記憶はあるが、どうやら夢だったようだ。
 昨日は日付が変わる前に寝た気がする。いやそもそもそれも夢で、いつものようにあいつが寝入ってから一駅向こうのパチ屋に向かったのかも。どこからが夢でどこからがうつつか分からないが、ともかくオレが皿洗いのひとつもまともにできない男であることに変わりはなかった。こんなだから毎日キレられるんだ。理解はしているのになかなか自分は変えられない。
 とりあえずなにも考えないで皿を洗う。指定されたスポンジに指定された洗剤を出して、指導された通りに汚れを落とす。なにも考えず手を動かせばいいから楽ではあるがひどくつまらない作業でもある。こういうときに脳内に流れるのはスロット大当たりの映像と音楽。昨日なに打ったんだっけ、と考えていたら単純作業は終わった。マグカップをかちゃりと立てかけ、手を拭く。
 改めてテーブルを見たらピンク色の付箋と、素っ気なく5000円札が置かれていた。「カイジくんへ。お昼と夜ご飯代(レシートもらってね)。打つなら1パチ。競馬禁止」と几帳面な字で申し送りがしてあってがっくりくる。ハートマークのひとつでも書いてくれたらいいのに、後輩への業務連絡みたいだ。
 16時になった。テレビをつけても面白いものはやっていないし、平日のこんな時間に呼び出せる友人もいない。あいつが帰ってくるのは20時頃だから――飯を抜けばパチスロでそれなりに遊べる。
 シャワーを浴びてから誕生日でもないのに買ってもらったニット帽を目深に被り、一駅向こうのパチ屋に向かう。やっぱり昨日の夜もここを歩いたな。いくら負けたかあとで確認しておこう。
 それで。
「……昨日の夜と合わせてマイナス10000と5000円か……」
 やばい、まずい、確実に怒られる。5000円プラスになった時点で止めておけばよかったんだ。脳内麻薬が出てしまって結局この有様。お下がりの腕時計は21時を指していて、どうあがいてもこのあとオレはあいつに叱られるのだった。
「た、ただいま……」
 自分の家でもないからこの挨拶もおかしいのだが、できるだけ穏やかに声をかけて部屋に入る。家主の女はシャツを着込んだまま、携帯とテレビを交互に眺めていた。
 女は「あ、遅かったね」とワンテンポ遅れて返事をした。遅くなったことに怒ってはいないようだ。
「ご飯なに食べた?」
「……食って、ない」
「全額擂ったの?」
「……ん」
「ふぅん。帽子脱ぎなよ」
 叱られるかと思ったのにふつうの会話で拍子抜けする。
「あの、これ、ハンガーにかけようか」
 床に転がっていたジャケットを拾い上げ、顔色を伺う。女は「気が利くね」と思いもよらない反応を示した。やっぱり怒ってない。
「わたし疲れちゃったからお風呂入るね」
「あ……風呂洗ってない」
「じゃあシャワーにする」
 おかしい。いつもならこの辺で「役立たず」とか「子どもでもそれくらいできる」とか罵られるのに。もしかして機嫌がいい? 仕事がうまくいった? でも疲れてるって言ってるし……。居た堪れない気持ちと居心地の悪さでそわそわしていたら「どしたの」とやけに優しい声をかけられた。
「いや、オレ、あの……負けたんだけど……」
「さっき聞いた。いくら?」
「いちまんごせん」
「あれ、そんなにお金あったんだ。明日はプラスになるといいね」
 大きな欠伸をして「シャワー浴びたらもう寝るよ、カイジくんも昼夜逆転どうにかしなね」とオレを見ずに早口で言った。
 優しい、怖い、どやされる方が気が楽なのに。ヒモだとか能無しだとかクズだとか、そうやって罵られて、へらへら笑うくらいがちょうどいいのに。
 シャワーの音を聞きながら爪を噛む。あいつの考えが分からない。どうすれば怒られるのか考えてもなにも案が出なかった。いや、怒られたいわけではない。ともかく、すっきりしたいのだ。この表現できないもやもやを解消してほしい。入れ替わりで入ったバスルームからは洗剤のにおいがした。ついでに風呂掃除もしてくれたようだった。
「なあ、」
 髪も乾かさずベッドに忍び込む。「明日早いから」と婉曲的にセックスを断る台詞を無視して「なんで怒らないんだ……?」とできるだけ刺激しないよう、奴隷が主人に声をかけるように話しかける。黒いアイマスクをずらし、女は片眼を覗かせた。
「諦めたんだよ、全部」
「は……?」
 胸がざわつく。とうとう捨てられるのかと心臓に亀裂が入る。
「カイジくんのこと、諦めたの。もういいの」
 暗がりのなか、彼女は微笑んでいるように見えた。
「それって、別れるって……」
「そういうんじゃないよ。おやすみ」
 血の気が引いて、また戻って、感情のうねりに飲み込まれそうになる。どうしたらいいか分からなくなって小さい身体を抱き締めた。拒否されなくて少しだけほっとする。
 本当は挽回しようと躍起にならないといけない。諦めないでくれと泣きつくべきなのだろう――でも、とりあえずいまは、いまだけは拒まれていない。なんの役にも立たないオレだけど存在は許された。諦められただけで、まだここにいていいと思われている。いまは大丈夫、いまが大丈夫ならあしたも大丈夫、あした勝てばまた大丈夫――たぶん、ずっと、大丈夫。

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