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蛇性の淫


肩を鳴らしながら後ろ手で戸を閉めた。御手杵に借りた書を今夜中には読んでしまおうと部屋に戻ったはいいが、思ったより疲れてしまっている。このまま寝てしまおうか。蝋燭の灯で狭い部屋が薄ぼんやりと明るくなる。
もそりと中央に敷いたままだった布団が動いた。

「……名前様」

悪戯をする子供を捕まえたときの気分だ。蜻蛉切の声に呼応して主君は布団から顔を出す。「寝てた」見れば分かる、まだ目が開いていない。

「ここは自分の部屋です。お間違えでは」
「……国俊が遊んでってうるさくて」

成程、本物の悪戯っ子から逃げるためにこの部屋に来たらしい。溜息をつきながら腰を下ろした。のそのそと主も布団から這い出て来る。
名前は仄かに緋色で薄い紗の襦袢を身に着けていた。身体の線がうっすら透けていて、居心地の悪さを感じた蜻蛉切は努めて目を向けないようにする。主を意識するなど、許されないことだと思った。

「これだけ塗ったら戻るから許して」

襦袢よりずっとはっきりとした色の小さな小瓶を取り出し、見せつけるように振りかざす。爪紅だ。清光から借りてきたというが恐らく勝手に持ってきたものだろう。然して、蜻蛉切は名前に背を向けて書を読むこと集中しようとした。
吐息が聴こえた。文字を追う視線の速度が遅くなる。衣摺れの音がした。頁を捲る手が止まる。耳元に吐息を感じた。振り返る。
殆ど唇の触れ合ってしまいそうな距離に名前があった。思わずたじろぐ。

「どう?」

至近距離できらきらと爪を見せびらかされた。白い肌に驚くほど釣り合う深紅の爪だ。

「よ、よくお似合いです」

こう訊かれたときどのように反応すれば良いのか蜻蛉切は知らない。褒め言葉に窮し、思った通りのことを述べた。しかし言葉に詰まったのを見て主は難色を示す。「つまんない」唇を尖らせ、再び布団に寝転がった。

「脚にも塗ったのよ、ほら」

寝転がったまま右脚を差し出す。裾が零れ、膝から上が露わになった。本人はまるで気にしていないようで脚をくいと動かし、蜻蛉切に爪紅を見定めるよう促す。

「そんなとこに座ってても見えないでしょ、こっち来て」

こっち、と紅い指先が蠢いた。
誘われるがままに小さい右脚を手に取る。掌に収まりきる程の小ささに気後れした。
形のいい、手の指と同じように紅い爪が並んでいる。まだ乾ききっていないのか、僅かに潤んだ色をしていた。
一頻り黙って、爪のひとつひとつを丁寧に眺めていた。自分が緊張していることを名前に悟られないよう、万全の注意を払って。
彼女が呼吸すると爪先が少し揺らぐ。そのおかしな可愛らしさにたまらなくなって、思わず爪先に唇を落とした。ぴくりと名前の身体が震える。

「くすぐったい」
「……申し訳ありません」

背中で頁のばらばらと捲れる音がした。もう本のことなどどうでもいい。
爪先、指、足の甲と順番に唇を落としていく。白い、どこも白い、不安になるほどに。一度口づけるごとに主の身体は反応する。舌を出して舐めると逃げようとさえした。

「だめ、やめて……」
「申し訳ありません、まだ爪先をよく見ておりませんので……」

嘘だ。それは蜻蛉切も名前も下手な言い訳だと分かりきっていた。
足首、脛、膝と舌を這わせていく。時折、ん、と名前は声を出した。その鼻にかかった声がなにを意味しているのか恐らくふたりとも知っている。膝から腿にかけてをわざとらしくゆっくり舐め上げれば細い身体が肌と同じくらい白い布団の上でひくりと痙攣した。陸に打ち上げられた魚のようだ。
ここまでにしなければ、止めなければと思いつつ身体は勝手に動く。許されないことが正に眼前で、自らの手によって行われていた。蜻蛉切の困惑は、次第に諦観に変わる。仕方ない、誘われてしまったものはどうしようもないのだ。
そっと名前の脚の付け根に触れる。びくり、また震えた。顔を覆った指の隙間から潤んだ瞳が見える。指先はきらきらと輝いて。

「だめ」

申し訳ありませんとまた謝る。乱れた襦袢もそのままに、逃げようとする脚を掴んで下腹部に舌を差し出した。「あっ」思ったよりも控えめに、か細く名前は喘ぐ。
そうやって暫く一方的な奉仕をしていると段々と反応も小さくなり、消耗しきった体で主は呟いた。もうだめ、と。

「名前様、もう」

拒否されようと、事に及んでしまおうと思っていた。主の応へも聞かず覆い被さる。玩具のように小さい身体が蜻蛉切の下で震えていた。まるで蛇が波打つように身をよじる。
ずるりと潜り込んでもそれは変わらなかった。
毒だ、と気づく。毒蛇の色なのだ、紅は。

「……申し訳ありません、名前様、自分は」

夜と蛇の毒気に酔ったのだ、ふたりとも。

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