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赤い花 空の青



 青木文蔵はやはり次の日もテントにやってきた。呼び込みをしている僕を見つけてにこやかに寄ってくる。「こんにちは、いい天気ですね」初対面の人間と天気の話をすることは全く正しい。どうしてこんな胡散臭いところにいるのか分からないほど、正しい人間に見えた。「こんにちは」僕は特にいうこともないので、ただ普通に挨拶をする。そして不意に悪戯心が首を擡げ「本日も赤眼の唄を?」と問いかけた。
「あ、いや、はは」
 昨日と同じように「参った」という風に青木は返事をした。そう、とも違う、とも取れない返事は矢張りとても正しかった。
「さァどうぞお入りください。いまなら最前列で赤眼が見られます」
 最前列なら途中退席もできまい。僕は自分の意地悪さが少し可笑しく感じられた。綺麗なものばかり見ることは許されない。この薄暗い世界に足を踏み入れるなら最後まで見届けなければならないのだ。
「どうも」
 青木は帽子を脱いで一礼。慇懃な人間には慣れていない。僕は軽く会釈をして、テントのなかへ導いた。薄暗い、赤黒い、いつものテント。緞帳代わりの天鵞絨がくたりと垂れ下がっている。もうあと少しで開幕だ。ぎりぎりになってやいやいと群がる人々を捌きながら、そういえば朝から名前さんに会っていないことを思い出す。また寝坊したわけではない。不自然なことではなかったが、なんとなく心のうちに引っ掛かった。
 太鼓と喇叭がテントを揺らす。ちらりとなかを覗き見ると、青木は最前列で居心地悪そうにしていた。少しは溜飲が下がるかと思ったがそんなことはなかった。ただ、どんな気持ち悪いものを見られるかと目を爛々と光らせている客たちのなか、彼はとても浮いて見えた。さっきまで葬式に出ていたのに急に花見に駆り出されたような、そんな場違いさがあった。
 今日の出順はいつもと違う。猫娘が具合が悪いというので休ませて、その分くっつきがいつもより見せ物を長く演る。あれらはどこで仕込まれたのか、なんでも器用にこなしてみせた。座長曰く、此処に来た時には人前に出られる程度の芸を持っていたという。たぶん、こういうところを転々としてきたのだろう。――やはり、この世界からは逃れられない、のだ。
「さァさお立ち会い――」
 座長の声が鈍く響き、聞き飽きた口上が続く。「親の因果が子に報い、可哀想なはこの双子――」きゃーっと若い女が歓喜とも驚嘆とも取れない悲鳴を上げた。初見の客は大体同じような反応をする。女は叫んだことを恥じらったのか、口元を慌てて覆っていた。
 くっつきが芸をしている間、青木は口をあんぐりと開けてそれを観ているようだった。いつもは初っ端から名前さんが出るので、不意を突かれたに違いない。自分の悪戯に嵌る人間がいることは楽しい。僕は誰も聞いていないのにけけけ、と笑った。醜いもの、理解しがたいものを沢山観るといい。実際、今日は名前さんが取りを務める日だった。
 一時間ほど、そうして客席を眺めていた。相変わらず、女客の方が興味津々で舞台を観ている。女の方が、アングラな世界に染まりやすいのかもしれない。
「それでは皆さまお待ちかね――」
 名前さんの名が呼ばれ、白い肌と目隠しの下に赤い宝石が宿っていることを座長が長々と芝居がかった台詞で説明した。
「眼なんて分からねえよ」
 客席から野次が飛んだ。思わず身構える。
「鉢巻取れよ」
 もしも客が暴れたらそれを諫めるのは僕と大の仕事だ。しかしこの野次はどうだろう。後ろから僕が応えるのも可笑しな感じがする。考えあぐねていると、舞台に立った彼女は鉢巻に手を伸ばした。
 あ、と思う間に、それはしゅるりと床に落ちる。
「――どうです、紅玉と見紛うばかりの赤眼でしょう」
 座長の言葉に少し焦りが見えた。咄嗟に口にしたにしては、なかなか洒落ているなと思った。
 赤テントの暗い照明に照らされる彼女の顔は、とても美しかった。
「もうよろしいでしょうか、少し、眩しくて」
 激しく瞬きをしながら、恥じ入るように名前さんは小声で客席に問うた。野次を飛ばした男はおろおろして「へ、へえ、作り物みたいだ」と間抜けな声を上げる。それを肯定としたのか、座長は鉢巻をするよう指示を出した。「大日本帝国」の刺繍が再び彼女の視界を遮った。
 それから、名前さんはいつも通り透き通るような声で歌い上げた。裏切られた恋の無念を歌うには、少しばかり綺麗すぎる声で。いつ聴いても五感を全て奪われたように、彼女に釘付けになってしまう。僕は、彼女の声をとても愛していた。
「本日も誠にお有難う御座いました――」
 座長の言葉に、喝采。投げ銭もちらほら見える。やれやれ、今日も大盛況だった。
 テントから抜け出して、その辺にしゃがみ込む。出口からぞろぞろと出てくる客を眺めながら、今日の入場料をぼんやり計算していた。
「益田さん」
 地面に枝で計算式を書いていると、上ずった声に名前を呼ばれた。「はい」顔を上げると、青木が立っていた。鼻の頭がとても赤い。また泣いたんだな。
「どうでした、赤眼以外も見ものでしょう」
 わざとらしく、にたりと笑ってみせる。
「ああ、はい、ええ、あんな双生児は初めて見ました」
 言葉を選びながら、とても慎重に青木は返事をした。僕が無理やり見せたようなものだ。ざまあみろ、という気持ちで枝を折った。ざまあみろ、お前の世界には到底現れないようなものがここにはいるんだ。怖気づいただろう。
「その名前さんですが、」
「はい、赤眼が」
「本当に――眼が赤いのですね」
 また言葉を選びながら、視線を彷徨かせながら青木は言った。
「驚かれましたか」
 気味が悪いとでも思ったか。
「いえ、」
 恐ろしいと思ったか。
「とても、美しかったと、そうお伝えください」
 鼻を擦り、それでは、と青木は一礼して去っていった。
 とても、美しかった。
 それはとても正直で、矢張り正しい言葉なのだった。

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