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赤い花 空の青



 気が付くと何々していたとは都合のいい言い訳であると思った。いつの間にか、とか、自分の意志とは裏腹に、等も同じだ。
 僕のしていることは全て自前の脳が思いついたものでそこにはきちんと責任をもつべきである。
 そんな風に考えながら、しかしその間は絶えず困惑していた。
 僅かな歓喜もなく、単なる運動に過ぎないなと思った。お互いにどんな表情だったか知れない。多分僕は酷く無感情だったのだ。
 肉体的にも精神的にも無為な性交の後名前さんは僕以上にぼかんとした顔をしていたし、今もどこか遠くを見ながら着物を直している。白金の髪が背中に零れた。きっと、この白さに欲情したのだ。
 元々は白かった寝具には赤い染みができていて、ああ矢張り赤と白なのだなとよく分からない納得をした。
「それ、そこじゃないです」
 袖に腕を通そうともたもたしている名前さんを手伝うため、襟と肩山を引っ張る。名前さんはいつも身八つ口に腕を通して「あれ?」となるから。
「あれ、あはは、ありがとう」
 下にいたときは気にならなかったが、彼女は随分汗をかいていた。うなじと頬に貼りつく、細い髪の毛。唆されて首筋に唇を寄せたら痩せた肩が大きく揺れた。
 半刻程前にいった「お話したいこと」のことはふたりとも忘れた。なにも話すつもりはないし、なにを聞く気もないだろう。僕は碌でなしだからそうやって有耶無耶にすることにした。わざとらしく不器用に抱き寄せる。慣れていると思われるのは厭だったから。
「名前さん、温かいですね」
「子供体温なの。こんな身体だから雪女みたいだっていわれるけど」
 既視感のある喩えにどき、とする。つい最近同じように考えていた気がした。
 沈黙。
 名前さんは指を内側に曲げ、爪を眺めているようだった。赤く塗られた爪は不揃いに伸び、引っかかれるとさぞかし痛かろう。そういえばさっき肩がちりちり痛かったのはこの爪を立てられていたせいだったのか。脱ぐこともないし、痕になっていても構わない。
 外はざわざわとしている。誰もが自分の仕事をこなしながら夜が更けるのを待っていた。僕たちは全体、なにをしているのだろう。依然として沈黙を守ったまま、お互い探り合っている。
「僕はね」
 だから、ふと、毒にも薬にもならない話をしようと思った。
「空を飛びたかったんです――子供の頃の話ですよ」
 対して珍しい夢でもない。腕の中で名前さんが少し笑ったのが分かった。話を続けてもいいらしい。
「犬を飼っていました。いつも一緒でいちばんの友達でした。走り回っていたんですが、いくら走っても飛行機とは違って飛べないんですねえ。毎日遊び疲れて、布団に入ると空を飛ぶ夢を見るんです」
 家の目の前の広い道路が滑走路に見えていた。どこまでも行けるのに、空には届かない。どうして空を飛びたかったかは忘れてしまった。本で読んだか紙芝居でも覚えたか。ヒーローに憧れていたに違いない。子供だった期間は長かった。いつまでも走り回って、いつまでも空に憧れていた。
 まあいいや、僕はもう疲れたよ。
 そんな風に空を諦めたのはいつのことだったか。人は飛べないとすっかり夢見るのをやめたのは、案外最近なのかもしれない。
「蝶々や蜉蝣では駄目だったんです。どうしてもちゃんと飛びたかったから、屋根から飛び降りたこともありました。犬は上手く着地したんですがね、僕は足を挫きましたよ。けけけ」
 そうだ、屋根。実家の屋根の瓦を落として怒られたんだっけ。
「飛べてたら、一緒に舞台に立てるね」
「舞台というか、まあ、外でお見せすることになりますけど」
「テントの前に滑走路作らなきゃ」
 くすくす。
「テントには屋根がないもんね。こんなとこ登っても勢いはつかないし、破れちゃう」
 あれ、そういえば。
 ここには滑走路も屋根もなかったのだ。本当に空のことを忘れていたのだな、と遣る瀬なくなった。悲しいやら寂しいやら、昔のことを話したせいで恥ずかしくなったのもある。なし崩しに名前さんをもう一度組み伏せた。やだ、と応えた声は聞こえなかったことにして。


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