「今日のお客さん、なんだかすごい人いたね」「いたいた、赤眼の唄聴いて泣いてたね」「蛇見て吐いてる人もいたよ」「おかしな人だね」「そうかな」「そうだよ」双子の調子良い会話を聴きながら僕は舞台の片付けをしていた。ふたりはしゃがみこんで僕の様子を眺めながら話し続ける。ふたりでふたつしかない腕で、ふたりはそれぞれ頬杖をついていた。真ん中にあったはずの腕二本はおかしなくっつき方をしていたので座長が取ってしまったらしい。乱暴なことをする人だ。いまとなってはなぜあんな無益なことをと毎晩算盤を弾きながら嘆いていることを皆知っている。あまり関係がない僕はどっちでもいいと思っていた。残していても使えないし、見栄えも悪い。 「ねえ益田訊いた?」「……何を」「蛇がね、来月ここを出て行くんだって」「へえ、初めて聞いた」「あ、いっちゃいけなかったのかな」「分からないけど多分いいと思う、よ」「そうかな」「そうかな」「そうだよ」くるくると恐ろしく器用に双子は僕と会話する。双子がそれぞれ交互に受け応えしているのにどうして齟齬が生じないのか不思議だ。 蛇遣いの女の話は聞いたことがあった。客のひとりが惚れ込んで何度も口説きに足を運んでいたのを僕は見ていた。また来てるよあの人、と猫娘と囁き交わしたこともある。 「おいお前ら、片付けの邪魔になるからあっち行きな」 座長が緞帳代わりにしていた汚い天鵞絨を不器用に丸めながら顔を出した。いってはいけないことを話してしまったと思っている双子は首を竦めて逃げ出す。くっついている部分を庇うように手で押さえ、きゃあきゃあと駆けて行った。 「蛇の話ですよ」 「聴こえたさ。なに、もう全員知っていることだ」 「例のお客ですか」 いつもの通り、機械的に整理をしながら黙って座長の話を聞く。座長はまた安い煙草を吸っていた。天鵞絨に火が点いたらどうするつもりなのか。 「熱心なヤツだったよ。日に何遍も来られちゃ迷惑だってのに聞く耳を持たねぇんだ。あれもすっかりその気でよ、認めない俺を人非人みたいにいいやがる」 「はあ」 曰く。 普通の生活をができない蛇遣いを受け入れ真っ当な生活(というとき座長は念を押すように一文字一文字区切って発音した)を送らせていたのに一時期の熱でのぼせ上がっていたあれは全く聞き入れようとせず自分を“身請け”してくれる男性を信じきっていてここを脱させてくれないのならいまここで死ぬとまで宣ったそうだ。死ぬと宣言したとき相手の男は困ったように笑っていたという。「アイツには死ぬ気なんてなかったんだ」座長は唾を吐いた。 「まあでも、蛇も長いことうちにいたからな。そろそろあれの好きなようにやらせるかと思ったんだ。お前はここに来て二年と少しだろ。あれは十年以上俺と一緒にドサ回りしてたんだ。しかし、厄介だな、猫が何ていうか……」 「……泣いてるんですか」 「莫迦いうな、殴るぞ」 座長の鼻の頭が僅かに赤くなっていたのは、きっと寒さのせいだった。 「猫も名前さんも、蛇に懐いてたから寂しくなりますね」 僕は他になんといえばいいのか分からず、当たり障りない言葉をかける。 なんとなくもうこれ以上彼とは一緒の空間にいたくなかったので「晩飯の準備を手伝ってきます」なとど適当に嘯いてその場から抜けだした。 「龍一くん、龍一くん」 テントを出るや否や、待ち構えていたかのように名前さんが飛んできた。「ね、蛇の話聴いた?」どうせその話だろうとは思っていたが、実際に問われると今度はなんと答えるべきか迷ってしまう。 「座長からは聴きました。本人からは、まだ」 「私は蛇に聴いたの。映画みたいよね」 氷みたいに透き通った声で、少女みたいに名前さんははしゃいだ。映画みたいだなんて、全く名前さん以外がいえばうそ寒い台詞だというのにこの人は当たり前のようにいってしまうのだ。映画みたいで素敵だとか、映画みたいで憧れるとか。 するりと座長がテントから抜け出してきた。じろりと僕たちを眺めて、それからゆっくり背を向けて去っていった。 「お祝いしようっていったけど、しなくていいって。蛇も初めてのことだからどうしたらいいかわからないみたい。でも、なんだか素敵な話よね。蛇、綺麗だもの、きっとそういうことだって運命なんだわ」 眼がまともに使えない名前さんは多分知らない。蛇遣いより自分の方が余程綺麗なことを。 蛇に惚れたという男は、蛇のどこを好いたのだろう。あの縺れた黒髪か、黄色がかかった瞳か、ふたつに別れた舌か。なんにせよ、蛇は美しくなかった。世の中にはそういう奇妙な造りの人間しか愛せない類の人種もいるらしいが、あの如何にも凡庸な男はそのようには見えなかった(といっても、まさかあの人がそんな……という台詞は使い古されたものでもあるのだが)。 蛇でなければいけない理由など恐らくないのだ。 「名前さん、」 名前さんは「なーに?」と不意を突かれたように抜けた返事をした。 例えば。 名前さんでなければいけない理由ならいくつでも思いつく。白い髪、白い肌、類稀な唄声は十分な理由になるだろう。目隠しの布を取れば兎みたいに真っ赤な瞳も持っている。雪女のような儚い美しさは、憧れてもおかしくない きっと名前さんはこう思っている。 ――ああ、どうして私じゃなかったんだろう、 だから。 そうなってしまうことは明白だから、この話題はもう聴きたくなかった。名前さんは祝福しつつきっと頭では「どうして私じゃなかったんだろう」とぐるぐるしているのだ。 息苦しいほど、彼女が気の毒な人間に思えた。 「時間ありますか」 想定外の言葉が口をついて出た。「お話したいことが」 名前さんの面食らった顔。 気が付くと僕は彼女の返事も聞かずその腕を掴んで片付けたばかりのテントに引っ張りこんでいた。 - - - - - - |