それは舶来品だから大事に扱えと座長は一日に三度は同じことをいう。鵺の木乃伊だ。僕はこれが造り物であることを重々承知しているし、恐らくこの一座の誰もがそれを知っている。ここには鵺の木乃伊も干からびた河童も、なんだかよく分からない空を飛ぶ外国の生き物も揃っている。全部が全部、造り物だ。あの生き物の尻尾とその生き物の胴を縫い合わせて、人間が造り上げた贋作。ここに来て二年目になるが、一度もこれらで感動したことはない。 今日は雪と風がひどい。人っ子一人集まらないから座長はさっさと幕を下ろして全員でだらだらしている。 「名前さん、風邪を引きますよ」 いつまでも外で唄っている女性に声をかけた。真っ白い髪に真っ白い肌と、目隠しをしている白い布には「大日本帝国」の刺繍が入っている。いまいち身体に合っていないちぐはぐな赤い着物を着せられた彼女はそこそこ人気の歌姫だ。唄の上手さだけでなく人目を引く見た目を気に入った座長がどこかの一座から引き抜いてきたという。僕がここに拾われるより前の話だから詳しくは知らない。連れて来られた経緯や彼女の病気について何度も詳しく聞いた気がするのにひとつも覚えていないのは、きっと名前さん本人から語られたものではないからだろう。 「なかに入りませんか」 「ううん、此処でいい」 「……貴方に風邪を引かれると僕が怒られるんですよう」 わざとらしくいじけた声を出した。昨日もこの会話をした気がする。 名前さんの手を取って赤いテントに招き入れる。「手、冷たいでしょう。ごめんね」「いえいえそんな」冷たくて気持ちがいい掌だった。 なかでは猫娘と双子がぎゃんぎゃん騒いでいた。名前さんの口元が不自然に歪んだのを僕は見逃さなかった。彼女は視えていない分他人の感情の機微にとても敏感で、テントのなかで誰かが喧嘩をしているとすぐに体調を崩す。 名前さんの文机に置いてあった昼食がなくなっていた。爪楊枝を咥えている蛇遣いを睨んだら舌を出された。 「龍一くん、矢っ張り何処かに行こう。映画が観たい」 「オウ、行って来い行って来い」 煙管を磨きながら座長が応えた。名前さんはそっと僕の袖を引っ張る。 もう雪も風もそこまでひどくは強くはない。お天道さまが出ているうちに出かけようか。 久方ぶりの食事以外の外出に名前さんははしゃいでいた。鼻歌交じりでくるくると踊るように歩く。ふらつく足元がおっかない上に、しっかり手を握ってはいるけれど転けてしまわないか気が気じゃない。 雪みたいに白い肌。 色のついた眼鏡をかけているから相変わらず眼の表情はよくわからない。 「それにしても遠いですよねえ、映画館。僕ァもう少し近くにテントを張って欲しかったな」 さくさく、降り積もった雪を踏む音が耳に優しい。 「龍一くんは、うちに来てどれくらい経つんだっけ」 「二年と一寸です。僕より後輩がいないから寂しい限りですよ」 「じゃあもう慣れたのね」 「ええ、まあ、それなりには」 「演物はしないの?」 「楽器を少し出来るんですが、人様にお見せ出来るものじゃあないんです」 「今度聴かせて頂戴ね」 話は尽きない。普段からずっと一緒なのに、あんなことやこんなこと、まだまだ話していないことはたくさんある。 「眩しい」 雪に反射した日差しに目を刺される。 彼女は日差しにとても弱い。だから普段は目隠しの布に頼っているし、外出するときはいまみたいに眼鏡をかけている。 兎みたいに真っ赤な目だから、普通のひとの何倍も眩しいという。視力は殆どないと聞いた。身の回りの世話をする僕が来るまで、うちでは大層不自由な思いをしていたと座長がいっていた。誰もが自分のことで精一杯なのだ。 「私ね、十四からこの世界にいるの。だからあんまり他のことを知らない」 「僕もですよ。ずっとふらふらしていて仕事らしい仕事はしてきていないんです」 「周りも、変わったひとばかりだったから龍一くんが来たときは嬉しかったな」 「けけけ、そう改めていわれちゃ照れます」 映画館が見えてきた。今日は矢っ張りいつもよりひとが少ない。これならさっさとなかに入って滞りなく観ることができる。 ぎゅっと僕の手を握る名前さんの手に力がこもった。 ほんのり赤く、頼りなく震える唇がそっと言葉を呟いた。 「龍一くん、私と何処かに逃げよう」 視線を合わせていなかったから、名前を出されなければ僕にいっているものとは思えなかった。 僕は、少しだけ思考停止して、それから聞こえなかったふりをして、 「何を観ましょうねえ、映画なんて久しぶりだ」 そう笑った。 ひと呼吸おいて、名前さんも微笑んだ。 - - - - - - |