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黒百合日記



九月一日
そういえば以前引っ越す先輩に要らないからと帳面を貰ったんだった。家計簿をつけようにも細かい計算が苦手なので諦めた。なににしようかと迷った挙句、そうだ日記をここのところつけたことがなかったと気づく。取り立ててなにがあるわけでもないが早めの呆け対策として日記をつけようと思う。

九月三日
早々に三日坊主になるところだった。
昨晩は先輩たちに連れ回され方々で飲み歩いたので記憶が殆どない。未だに自分は酒に強いのか弱いのかよく分からない。青木はよく付き合ってくれるからと重宝されているのはよく分かるが、記憶がなくなるのというのは決して良い飲み方ではないのかもしれない。ともかく、なにを飲んでもそれなりに美味しく感じるので便利な舌だと思う。
今日は帰りに名前さんに偶然会った。髪を切ったようだ。痩せましたかというと厭な顔をされた。どうも女性に対して褒め言葉として痩せたかというのは失礼らしい。気をつけよう。つい話し込んでしまって醤油を買うのを忘れた。明日は忘れないようにしなければ。

九月四日
一人暮らしとはいえいつ誰に読まれるか分からないというのは厄介だ。仕事の内容は書けない。元から書くつもりはないが、さて日記とはなにを書くものだろう。
今日は少し頭が痛い。明日に備えて早く寝よう。

九月六日
名前さんと立ち話したときに風邪を引いていたみたいだ。やっと熱が下がった。鼻がやられてちり紙が手放せない。鼻をかみすぎて鼻の頭が赤くなってしまった。情けない。布団でのびている間に色んな人が見舞いに来てくれたが記憶が曖昧で誰が来てくれたか思い出せない。まともに食べていないせいで腹が減った。うどんでも茹でて食べよう。

九月八日
普段の十倍ほど寝たお陰かすっかり身体は好くなった。寝すぎて怠くなってしまうのがまた人体の面倒くさいところだ。仕事中に欠伸が止まらなかった。
また帰り道で名前さんに会った。猫を抱いていた。捨てられていたのを見つけて放っておけなかったと笑っていた。勝手に連れて帰ったら怒られるかしらと笑っていたから、先輩はそこまで堅くないでしょうとお世辞がてら言っておいた。先輩が猫を抱いている姿を想像すると笑ってしまう。

九月九日
偶然、名前さんの働いている洋裁店に聴きこみに行った。店主に話を聴いている間、後ろで小さく名前さんが手を振っていたのを見た。少女のような人だ。こっそり話を聴くと、先輩には働くことを反対されているらしい。お腹をさすっていたから多分そういうことなのだと思う。

九月十一日
部屋の電灯が切れそうだ。

九月十三日
先輩にさり気なく猫の話を聞いてみた。だし巻きという名前をつけて文字通り猫可愛がりをしているとぼやいていた。名前さんが、だ。ぼやいてはいたけれど先輩は口の端がぴくぴくと動いていたところを見ると満更でもないのだろう。だし巻きという名前はふたりで決めたと言っていた。思わず声を出して笑ってしまった。今度だし巻きに会いに先輩の家に行かせて貰うことにした。楽しみだ。

九月十六日
名前さんと先輩の家にお邪魔してさっき帰宅したところだ。
あのときはよく分からなかったがだし巻きは仔猫だった。目が大きくてなんとなく名前さんに似ている。猫じゃらしを見せたら仔猫とは思えない素早さで反応してくれて楽しかった。何度かくしゃみが出たが、僕は猫が駄目な体質だっただろうか。
先輩の計らいで晩御飯まで頂いてしまった。女性の手料理など久しぶりに食べた。青木さんは美味しそうに食べてくれるからと喜んで貰えて嬉しい。自分でも美味しそうにものを食べる人間だと思う。お酒は頂かなかった。今度ご飯作りに行きますね、と微笑まれたがそんなことをしてもらっては悪いからと断ってしまった。よく考えればよかった。

九月二十日
電灯がとうとう切れた。仕方なく仏壇用の蝋燭を灯したが、部屋が暗い。

九月二十三日
体調が悪い。

九月二十五日
動けないでいると心配した先輩が名前さんを連れて見舞いに来てくれた。どうやらおかしな菌を貰っているらしく咳が止まらない。部屋の片付けをしてもらって、料理まで作って貰った。先輩には頭が上がらない。

十月一日
日記をつけ始めて一箇月になった。

十月三日
そういえばまだ電灯を買い替えていない。家に居てもなにもすることがないので特に不便は感じないものだ。

十月六日
最近名前さんに会わない。

十月十日
名前さんにまた家に来てもらえないだろうか。

十月十一日
馬鹿なことをしてしまった。手が震える。

十月十四日
どうやら名前さんは先輩には言わなかったらしい。一向になにも言われない。それどころか今日もだし巻きの話をした。
醤油も新しい電灯もまだ買えていない。

十月十六日
いくら待っても名前さんは来ない。分かりきっていることなのに苛々が収まらないのは何故なのだろう。恋しくて仕方ない。先輩は今頃名前さんと寝ているのだろうか。悔しいと同時に、勝ち誇った気分にもなる。
部屋の暗さに慣れてきた。

十月二十日
胸が苦しい。またなにか病気だったらどうしよう。
明日は名前さんに会いに行こうと思う。

十月二十一日
避けられている気がする。無理もない。

十月二十四日
これは享楽だけの恋なのだろうか。名前さんに僕はどんな気持ちを抱いているのだろうか。火遊びといえるほど可愛いものでないということは、あんなことをしてしまったのだからよく分かっている。名前さんは泣いていたから。泣きたいのは僕の方だ。どうして名前さんは先輩と一緒なのか。
僕はきっと大馬鹿者なのだ。

十月二十五日
たった独りで僕は暗い部屋で日記を書いている。猫でも飼おうか。

十月二十六日
帰りに花屋に寄った。黒百合を買った。本棚に活けてみたが、あまりにも似合わなくて笑ってしまった。

十月二十八日
先輩と名前さんが正式に籍を入れたようだ。あんなことをしても結局名前さんは僕のものにならなかった。人間は馬鹿だ。

十月三十日
職場に間違えて日記を持って行ってしまった。先輩に読まれそうになったときは流石に肝が冷えた。果たして日記というよりは覚書に近いのかもしれない。
明日こそ電灯を買いに行かねばならない。目が悪くなってしまう。

十一月一日
随分と冷えるようになった。寒いと余計に酒を飲んでしまうのは気のせいだろうか。今日は誰に送って貰ったか覚えていない。部屋がきれいだと褒められた気がする。当たり前だ、自分で片付けた部屋ではないんだから。

十一月二日
名前さんに暫く会わない。

十一月三日
名前さんは仕事を辞めたという。明日にでも家に伺ってみよう。

十一月四日
家に入れて貰えなかった。先輩がいるときにまたお邪魔しよう。名前さんは化粧をしていなかった所為か以前より幾分幼い顔立ちに見えた気がした。先輩と不釣合い極まりない。

十一月五日
家に行っても居なかった。

十一月六日
心なしか先輩の視線が冷ややかなように感じた。知られたのかもしれない。しかしなにも言ってこないのでまだ心配する必要はなさそうだ。

十一月七日
名前さんに叩かれた。かっとなってしまった。また馬鹿なことをしたが今度は以前より心は痛まなかった。どうやら僕は名前さんに恋をしていなかったようだ。憎くて仕方ない。僕を誘惑するからこんなことになるんだと何度も言った。僕は名前さんを恨んでいる。鬱憤を晴らしただけなのだ。名前さんは汚い。夫に黙ってあんなことをするはしたない女なのだ。こんな女に惹かれる方が間違っている。

十一月八日
家にいてもすることがない。

十一月九日
街中で名前さんに会った。丁度気分が悪かったから声をかけて家にお邪魔させて貰った。布団が新しくなっていた。

十一月十日
部屋の暗さにすっかり慣れてしまった。

十一月十二日
花瓶の黒百合が枯れていたので新しいのを買ってきた。どうも僕は暗い部屋の方が気楽に居られるらしい。


「そういやァ青木、最近あれは書いてんのか、日記は」
「最近は毎日つけています」
「そんなに書くことがあンのか? ああ分かった、女のことだろ」
「ふふ、下衆だなあ先輩は……」



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