それはまるで、助けを求めるような声だった。 「ねえ、弟よりも君を好きだと言ったら軽蔑しますか?」 イデア先輩はやっとのことでそれだけ言って、あとはわたしに任せるように口を噤んだ。冷たい指先はわたしのブラウスを辛うじて掴んでいる。すぐに振り払えそうな頼りない、細い指。 「ねえ、」 震えた、かすれた声だった。返事を急かしているのか、それとも。 わたしはどうとも答えられず視線を彷徨わせている。先輩にそんなことを言われるだなんて想像していなかった。先輩はオルトくんのお兄さんで、それで、 「ねえ、」 少しだけ指先に力が入る。 こくん、わたしは唾を飲んだ。返事次第では、先輩は二度とわたしと話してくれない、そんな気がした。 軽蔑、なんてするわけがない。でもきっとそれは先輩自身がしてしまうんだ。誰よりもなによりも大切な弟くんより、重大なものができてしまうことが耐えられないんだと思う。自意識過剰ではなく、その重大なものとはわたしのことで――先輩はわたしのことが好きなのだ。さっきの言葉通り。でもそれが恋愛感情とは気づいていなくて、こうやってわたしに助けを乞うている、はずだ。 「わたしは、しません」 小声で、ようやくそれだけ答えられた。 「わたしは、先輩を軽蔑しません」 続けて言ったこの言葉が正解だったかは分からない。 イデア先輩は指を離し、今度は両手で顔を覆った。 「僕――僕、自分が分からないんです」 そして今度は水の流れるように蕩々と話し始める。 「君が現れてから、君のことばかり考えてしまって、オルトのことすら疎かになってしまって、どうすればいいのか分からない。でもたぶん、君は僕のことなんて知らないと思ってた。思っていたのに、君がそんなことを言ってしまうから。僕、僕、どうしていいか分からないんです。こんなこと初めてで、選択肢もなにもないから、どう進めばいいか分からないんです。ねえ、もし君がゲームキャラなら僕の好感度はどうなっていますか? 知り合いですか? 友達ですか? 僕、次にどうしたらいいですか? 教えてください。笑えばいいですか、泣けばいいですか、それとも――それとも、この場から立ち去るべきですか? 早く教えてください、お願いだから」 先輩は顔をあげた。泣いているようだった。わたしは戸惑って、少しだけ後退る。 「泣いてしまうくらい、君が好きなんです、軽蔑しますか?」 「し、ません」 「本当に? 僕ですよ、僕なんかに好かれて嬉しい? 毎朝毎晩君のことしか考えていない、気持ち悪い人間ですよ。それでもいいんですか?」 「いいです」 だって、 「わたし、先輩のことが好きです」 わたしもやっと、それだけ呟いた。それは嘘ではなかったけれど、口にしてしまってからハッとした。そう、わたしだって先輩のことが好きなのだ。 水の溢れるように、わたしの口からも言葉が出てくる。 「わたし、そんな先輩が好きです。自分のことばっかり考えて、卑屈で、でも丁寧で、オルトくんを大切にしていて、そうやって初めての感情に振り回されて、わたしに八つ当たりみたいにする先輩が好きです。だって、好きなんですもん。好き。先輩が好きです」 怒っているような口調になった。先輩は驚いた顔でこちらを見ている。 「……怒っちゃうくらい、先輩が好きなんです」 似たような台詞を言って、離れてしまった先輩の指先を取る。わたしの指先はやけに熱かった。 「だから軽蔑しません。むしろ、嬉しいとさえ思っています。こんなわたしを、軽蔑しますか?」 はっきりそう言ってから少し怖くなる。 先輩は濡れた頬を歪めて、下手くそな笑顔を浮かべた。 「僕も、しません」 先輩を助けられたのか共に溺れたのかは分からないけれど、わたしたちは確かに理解し合った。やっと楽になれた、気がした。 - - - - - - |