つまらない魔法史の授業。あたしはあくびを噛み殺し、頬杖をついて窓の外をぼんやり見ていた。青い空には雲がひとつもなくて、お散歩をするには絶好のお天気だった。そういえばここに来てからちゃんとした自分の時間がとれてないや。ランチが終わったら日向ぼっこでもしてみようかな。 そんなあたしのぼんやりは先生のわざとらしい咳払いにかき消された。あたしは背筋を伸ばして教科書と対峙する。聴き慣れない言葉ばかりの難しいテキストはまたすぐにあたしをぼんやりに誘った。 と、すぐそばの窓がコンコンとノックされた。あたしは驚いて殆ど反射的にそっちを見た。そこには箒にぶら下がったイデアくんがいた。両手で箒を掴んで、踵で窓を蹴ったらしい。行儀の悪さに閉口する。幸いにも、あたしと隣の席のひと以外はイデアくんに気づいていないようだった。 イデアくんは飛行術があまり得意ではない、と思う。みんなが華麗に乗りこなしているのに、ひとりだけ必死に箒にしがみついているのをよく見る。あたしはそっと窓を開けた。 「なに、してるの」 「箒がいうこときいてくれなくて、ここまで来ちゃった」 身を乗り出して地上を見てみると先生が「降りられるか?」と大きい声でイデアくんに問いかけているのが聞こえた。イデアくんはそれを無視して、ぶら下がった情けない格好のままあたしに話しかける。 「眠そうでありますな」 「ちょっとね」 「つまんない?」 「つまんない」 「じゃあ、僕と一緒に逃げ出そう」 なにをいうかと思えば。あたしはびっくりしてまじまじとイデアくんを見る。口角が鋭く上がったいつもの笑顔だった。いくら大教室とはいえ、窓から抜け出したらさすがにバレる。そのうえイデアくんは箒を乗りこなせていないじゃないか。 「あ、僕のことちょっとバカにしてるな」 顔に出ていたらしい。あたしは素直に頷いた。イデアくんはニタリと笑って身体を翻す。 「わ、」 さっきまで情けない姿を晒していたのが嘘みたい。絵本に出てくる魔法使いのような、お手本のような箒の乗り方にわたしは面食らう。さっきからイデアくんには驚かされてばかりだ。 猫を嗜めるように箒を撫で、彼はその手をそのままあたしに差し出した。 「さ、行くよ」 「バレちゃうよ」 「それは僕もだよ」 「怒られる」 「ふたりで怒られれば怖くないって」 いつになく強引なイデアくんにドキドキした。差し出される青白い掌、退屈な先生の話、あたしは、 「……落っことさないでね」 イデアくんの手を取ることに決めた。冷たい手に掌を重ねて、少し屈んで窓を飛び出す。びゅう、と強く風が吹いた。隣の席の子が仰天した表情であたしを見る。あたしは人差し指を唇に当ててウインクしてみせた。 風に空と同じように青い炎がたなびく。背後と地上からあたしたちを呼ぶ声。 「どこに行きたい?」 「イデアくんとならどこにでも」 ふかふかの髪に顔を埋めて、お腹に手を回してしっかりしがみつく。 あたしたちはどこにだって行ける。振り落とされない限り。 「空の散歩と洒落込もうか」 イデアくんは振り返ってまたニタリと笑った。血色の悪い顔は蝋燭のようで、太陽に当たると溶けてしまいそう。そんな彼が拐ってくれたのが嬉しくてあたしも笑う。 そう、あたしたちはどこにだって行ける。怒られたって、ふたりなら平気。 - - - - - - |