誰かが死ぬと主はいつも来る。夜中、凡そ丑三つ刻には及ばない程に。 当たり前のように襖を開けて部屋に滑り込み、黙って冷たい身体を寄せる。それこそ、死体のように冷たい。着物を脱がせるときは大抵お互いに無言で、彼女はずっと目を閉じている。初めの頃は歯を食いしばっているようにも見えて、それがとても嫌だった。声を押し殺しているだけだと分かってからは気にしないようにしている。辛いなら、適切に泣けばいいのだ。それが出来ないのは僕のせいじゃない。 僅かに洩れる吐息のなか、青江、青江、とついでみたいに名前を呼ばれる。瞼を下ろしてなにも見ていないなら、目の前になにもいないのと同じだ。 「名前、目を開けて、僕を見て」 耳を優しく噛みながら囁いても少し高い声で反応があるだけで、閉じられた瞳はそのまま。 背中が軋んだ。軽傷だからと手入を怠っていたのが悪かったか、肩の辺りが妙に痛い。もしかしたら傷ができているかもしれない、後で誰かに診てもらわないと。 首に回されていた細い腕がはたりと落ちた。一度目の気を遣った合図。初めに比べると随分保つようになったけれど、それでも名前は体力がない。後は僕が埒をあけるまで好きに動く。気を遣うのは最初だけだ。 「青江、青江」 今日はあの人が死んだ。 死んだというのが正しいかは分からない。戦いは嫌いだと幽かに微笑み消えていったあの人に、名前は全く呆けた顔になって、それから嘔吐していた。数人に支えられて帰ってきたとき、見たこともないくらい酷い顔になっていたと聞いた。僕はその表情を見ていない。戦場で彼の遺骸を探していたから。 誰が死んだって彼女は同じ反応をする。きっと僕の時も同じ。自分のための反応を見られないのはとても残念だ。 三度ほど名前が気を遣って、それから漸く僕は満足して身体を引き剥がした。髪をもう一度束ね直して、もう既に眠りそうな彼女にきちんと服を着せる。「青江、昼過ぎには起こして」疲れるのか、終わると毎回名前は泥のように眠るのだ。話しかけても起きない、揺さぶっても起きない。 行為の後の彼女は汗と精液と死のにおいがする。眠っていても死んでいても、たぶん同じなのだ。 そうして、夢を見た。いつ眠ったのかは分からない。黒い服を着た女を撫でるように斬り殺す夢だった。自分がどこにいるかは知れねど、なにかを待ちわびているようだった。女が目の前に立ち塞がり、手を差し伸べる。抗わねば、と思った。刀を振りかざす。斃れる直前、女は笑った。ああこの笑顔はいつか見た、 「あおえさん!」 汗だくで目が覚める。 「とうにおひるごはんもおわってますよ。 かたづけるから、おきてください」 頬を膨らませた今剣が三角巾に箒を持った姿で仁王立ちしていた。後ろから五虎退が顔を覗かせる。「こんしゅうのおそうじとうばんはぼくたちなんです! はやくはやく!」半裸であることを忘れていた。今剣の差し出す服を受け取って、手早く着替える。背中がじっとり濡れていた。「ああ、起きるよ、主はどこにいるかな」「あるじさまー? あるじさまは、ええっと……ねえ、あるじさまどこにいた?」「えーっと、ええっと、あ! さっきどこかにお出かけになりました」しまった、起こして欲しいといわれていたのに、先に発たれてしまったか。 「ありがとう、そこの棚に水飴があるからあげるよ」 「わーい! たべますー!」 「わーい! ありがとうございますー!」 きゃっきゃと可愛く騒ぐふたりに手を振って部屋を出た。あのふたりはどうして僕が半裸で寝ていたかなんて気にしない。暑かったからだと簡単に考えているだろう。 夏の午下がり、ゆらゆらと陽炎の立つ。足元で様々な生命がさざめいて、掠れた足跡がずっと続く。 名も無き墓地に、日傘を差した喪服の彼女は佇んでいた。 たなびくお香と、紅い曼珠沙華。悲しいくらいに真っ赤な花弁が苔むした墓碑に溶けていく。名前は銘に指を這わせる。「ここ」ひび割れた墓碑銘は読み取ることが出来ない。 「ここに、みんな眠ってる」 その手には昨日僕が持ち帰った彼の欠片があった。 「ここに来れば大丈夫、もうなにも心配ない」 自分に云い聞かせているようだった。死者は沈黙を守り、応えはない。遠くで仏法僧が啼いている。 死だ。溢れんばかりの死が、緑のそよめく真夏の気配に閉じ込められていた。此岸と彼岸が曖昧模糊として、境界線が溶けてゆく。 名前は振り返った。此方に手を差し伸べる。びく、とした。既視感。 笑う。 「夢ならよかったのにね」 夢なら、きちんと泣いていたのだろうか。 - - - - - - - |