そして今日は今日で、なんとなく進んだ。 最初はそうでなくても日々繰り返してゆけば全てのことは当たり前になるわけで、例えばそれが誰かを殺すであったり誰かが死ぬであったり、そういうことでも当たり前になるのだ。全てのことは正しくて、当たり前。わたしはいちいち反応するのをやめた。初めは、いま考えると感動的なほどひとつひとつのことに動揺していた。 そうして、今日も今日で、なんとなく進むのだ。 割り切れないこともしばしばある。とても抽象的なことだが「割り切れない」ことはもう、それはそれでいたしかたないのだ。努力している者が苦しんでも、楽をしている者が飄々と生き延びても。わたしは皆に特別に声をかけるのをやめた。初めはそれこそ、ひとりひとりに叱咤激励をしていたのだが。 だからいま、長谷部が使い物にならなくなった左手を庇いながら戦っているのを見ても、感動も悲観もしない。ぼんやりと、また無理をさせたなあ、と思うだけで。でも、それもそれで当たり前なのだ。わたしは彼の主なのだから、長谷部がわたしの命に従うのは当然。「ほんとうに、あたりまえ、だよねえ」頭のなかで青江が分かった風ににんまり笑った。 「さっさと終わらせて」 聞こえたのか聞こえなかったのか、長谷部はわたしを振り向いて、それから大きく深呼吸をして相手にもう一度斬りかかった。ざあと土砂崩れみたいに血が吹き出て、長谷部は髪の毛の先からつま先まで真っ赤になる。鉄錆と汗のにおい。不快感。 「帰るわよ」 散歩のつもりがとんだ難儀を引き起こしてしまった。ただ、特別なことだとは思わない。これはこれで、こうあるべきものだったのだ。 「御意に」 わたしの勝手に付き合わされる長谷部がたまに、とても可哀想だと思う。否、可哀想ではない、気の毒の方が近い。ここで笑い話のひとつでもできればよいのだが、生憎とわたしたちはそんなつまらない会話ができるほど器用ではなかった。長谷部が歩く。血の跡が点々と足跡のよう。以前のわたしなら悲鳴をあげてまず真っ先に長谷部の止血をし、それから慌てて戻ってこういう。誰か長谷部を助けて、死んでしまう。でもいまのわたしはそんなことはしない。ゆっくり、散歩の続きで歩みを進める。どっちが正解なんてわからない。「割り切れない」ことの方が多いのだ。長谷部はだから文句もいわずついてくる。それだって全て当たり前のことだ。 あたりまえ、だよねえ。 ねえ。 だって。 「主、俺があなたのことを凄く好きなのは、誰でもない、俺の勝手でしょう」 ぼんやり。わたしは曖昧に頷く。何度も聞いた話だ。そんな話で本当の顔を隠す、嘘を共有するなんてまるで普通の関係でないみたいだ。本当の顔。長谷部の本当の顔なんて知らないけれど。わたしも適当な反応がずいぶん上手くなったものだ。世の中なんて信用できないが、わたしよりは信頼がおけるだろう。 「ねえ、長谷部、雨が降りそうよ」 この反応はこの反応で、間違っているのかもしれない。もしかしなくても、間違っている気がするのも間違いで、それでも答えなんてどこにもないし。当たり前にしとこう。なにもかも、当たり前。長谷部がわたしのことを好きだといっているのも、雨が降りそうなのも、わたしがいますぐ泣き出しそうなのも。 そうやって、明日は明日で、ただなんとなく訪れる。 - - - - - - - |