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つきゑひ


桜と夕暮れと、それからほんの少しの温い風。縁側でどこの遊女かと見紛う程に着飾った名前様が拗ねた顔つきで慣れない酒を飲んでいた。鼻の頭が赤い。泣いたか、それとも既に飲みすぎたか。少し下がった位置に控え、主がなにか言葉を発するまで沈黙を守る。こういうとき、大抵主は爆弾を抱えているのだ。今日のは分かりやすい。目当ての男性に相手にされなかったか手酷く扱われたかのどちらかだ。

「……長谷部」
「はい」

いきなり火花が飛んできた。此方を向かず、主は続ける。「今日も相手にされなかった……」予想通り、前者だったようだ。
主がどこの馬の骨に惚れた腫れたと騒いでいるのかはよく知らない。呼びつけられて登城する度に着飾って行くので恐らくはどこかの家臣に執心しているのだろう。全く、呑気な人だ。

「僭越ながら申し上げますと」
「……うん」
「名前様のその格好が一因なのではないでしょうか」

着飾るにも限度がある、ということだ。
遊女でなければ傾城、花魁、なんでもいい。とにかくいまの主は莫迦みたいに飾り立てられている。胸焼けがするくらいだ。大きな枝垂れ模様の着物は美しいが、紺地に金の刺繍糸が散りばめられていて昼だか夜だか分からない。小手毬を模した簪は大きすぎて重そうだった。帯はもうなにがなにやら分からない程色が使われている。果たしてこれは、良いのか。詳しくはないが女の着物にも規範があるだろうに、何故こうなってしまったのか。
そして着物の派手さと反比例するように名前様の顔は殆ど彩が入っていない。いまでこそ鼻や頬が赤いが、薄く紅の引かれた唇以外に化粧の匂いはしなかった。あどけなさすら感じる。

「次郎ちゃんが選んでくれたのに」
「ああ、それは……それは、最もあり得ない選択肢です」

次郎太刀の所為だったようだ。心の内で舌打ちした。あれは余計なことをしたがる。恐らく悪気はなく、だからこそ余計に面倒くさい。生来派手好きの次郎太刀のことだ、この訳の分からない着せ方をしてもおかしくない。元がいいからと顔には殆ど手をつけなかったのだろう。極めて分かりやすい、絶望的な程に分かりやすい。

「あれは、男です、名前様」

頭が痛くなる。

「うん、私もちょっと派手かなと思ったんだけどね」

鼻をすすりながら名前様は応えた。怠そうに左前に腕を差し入れて着崩そうとしている。飾り帯を外そうともがいてるので、少しだけ手伝うことにした。この一式を身に着けることは二度とないだろう。また箪笥に眠る着物が増えるのか。

「はーぁ、お洒落になりたいな」

結っていた髪を解き、主は嘆息する。
普段の主は決して地味ではないが派手な服装は好まない。落ち着いた友禅なども持っているはずなのにどうして登城するときだけこのように狂ってしまうのだろう。答えは出ている、惚れた腫れたの為す所だ。思えば以前より段々と服装が派手になる嫌いはあった。気付いたときに止めておけばよかったか、と俺も聞こえないように嘆息する。

「飲む?」
「いいえ」
「あぁ、暗くなってきた」
「灯を点けますか」

投げ捨てられた帯を整えつつ会話の相手をする。

「ううん、まだいい」

無益で無為な会話だ。俺との会話では主はなにも構えない。椅子に座って脚をふらふらとさせる子どものように自然体で稚く、口先だけで会話しているようでもある。それが何故だか誇らしく思えるのは、今日に限ったことではない。
紺に染まりつつある空に、月が山の向こうから顔を出す。梅が枝に飾られたその円さはまるで一枚の絵のように。風流だねと誰かが喜びそうな風景だ。
このような場面を、蓋し人は幸福と呼び習う。

「お月さん、円いね。お団子が食べたくなった」
「風流じゃありませんね、名前様は」
「夜桜は肴にならないんだもの」
「団子もならないでしょう」

而して我々もこの通りの気構えしない会話をしているべきなのだ。
風が一際強く吹く。夜桜のはらりと散るその刹那、振り返る名前様の肩に、月の刺繍があった。

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