星降る夜のこと。 私が嘔吐いたのは寝不足のせいでも体調不良のせいでもなかった。くらくらりと目眩がして下を向けば自ずと血溜りが目に入り、げえと口から胃液を吐く。びしゃびしゃと血と胃液が混ざるのを見て、また吐いた。もうずっと催吐感に苛まれる胸の奥。喉に任せてお腹に溜まっていたものを全て出す。朝からなにも食べていなかったので固形物は出なかった。胃液、唾液。 がくがくと膝が暴れる。ここで倒れたら血の海に寝ることになる。それは厭だ、この着物は気に入っているのに。頭がちかちかする。とても寒いのに背中に汗をかいていて。寒い。凄く。 よろり、と、身体が傾く。素早く駆け寄ってきたのは長谷部だった。少し乱暴に思えるほど強く腕を掴まれる。頭がぐらぐら。私の顔は恐らく真っ青になっている。そうでなければ真っ赤。 「どうですか、いまのご気分は」 無感動な言葉だった。普段なら何倍もの言葉を返すのにいまはもうなにも出てこない。 「最悪、」 ようやく捻り出した感想はたった四文字。 星降る夜に、私は初めて人を殺した。 明確な敵、倒すべき相手ゆえに罪悪感はなかった。ただ吐き気がある、それだけ。 私は長谷部が何体もの敵を鮮やかに斬り殺していたのを呑気に眺めていた。その時、不意に後ろから襲われ反射的に持っていた短刀で相手を刺した。自衛のための殺人といえる。彼らのように鮮やかには出来なかった。刺して、抉って、それからまた刺した。何度も何度も。血。 げえ、とまた胃液をぶち撒ける。 自分がこんなにも繊細な人間だとは知らなかった。人を殺しておいて平気な顔をしているなんて無理だったのだ。 「しっかりなさって下さい。いま、此処で倒れられると俺が困ります」 珍しい台詞に、苦しい息の下から笑いが洩れた。そうはいっても、私が倒れたら彼はちゃんと連れて帰ってくれる。 「お怪我はありませんね」 私の身体には一瞥もくれず。 「な、んか、はきそ、」 もう充分に吐いているのに、まだもやもやとしていて晴れない。もしかしたらまだなにかお腹の底に眠っているのかも。 長谷部は私の顎を支えて上を向かせた。ぐるぐるする。口の端から唾液が零れた。見ないで欲しい。酷い顔をしているから。手袋の指を噛んで、するりと外したのがなんとなく見えた。 「……失礼します」 後頭部を掴まれたと思ったら今度は下を向かされた。中途半端に開いた口に、長谷部の指が差し込まれる。あ、と思った。大きな指が口いっぱいに入り込む。中指らしき指が舌の奥を叩いた。胃がひっくり返る。ごぽ、と溺れる音がした。 「っう、あ」 流れ出る。身体の中身が逆流したみたい。もうなんだか分からない液体を吐き続けている私に構わず、長谷部の指は尚も咥内を侵す。うえ、と最低な声が出た。腕まで突っ込まれているような不快感に涙目になる。 げほ、となにか大きなものを吐き出した気がした。 「名前様」 口から指を引き抜いてから長谷部は私を揺さぶる。目の前を捉えどころのない閃光が走った。白い閃光。手を伸ばす。 ――あれはきっと、流れ星なのだ、 ――ああでもだめかも、さようなら、 届くか届かないかのうちに、私は意識を手放そうとする。 それは、星降る夜に、私が初めて人を殺したときのことだった。 - - - - - - - |