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悪魔大いに笑う


呼びつければありとあらゆることをしてくれる便利な近侍。有能で聞き分けの良い、忠実な配下。
名前は左団扇に欠伸を隠す。

「なにか、不満でいらっしゃるでしょう」

ぱちん、ぱちんと爪を切る音に混じって長谷部は話しかけた。目線は動かさない。名前の爪を正しく整えられるのは彼だけなので気を抜くことは許されないからだ。
切り揃えた爪に鑢をかけながらもう一度問う。

「なにか悔やんでいらっしゃるでしょう」

冷たい爪先を手で包み、暖めてから爪切りは終了する。名前は団扇越しにそれを確認して、長谷部に目をくれた。そして曖昧に頷いてみせる。
悔いというより不満というより、ただ欲求不満だった。
この階級に置かれてから幾日か経った。名声も地位もほぼ満たされている。
それなのに。

「何でもお申し付け下さい。俺が全て、癒して差し上げます」

長谷部は跪いたまま笑う。
口の右端を持ち上げ、少しだけ歯を覗かせた。下手な作り笑顔だ。

「本当になんでもかしら」
「ええ、理不尽なことでも、不条理なことでも」

名前は間違いなく信頼できる部下の肩に片脚を乗せた。彼は表情を変えず、頬に笑みを浮かべている。
そんな顔を見ると我儘をいいたくなる。

「私、お金が欲しいわ」

心にもないことを望んだ。

「名誉も欲しい。そうね、新しい着物と簪も欲しいわ」

彼は応える。

「仰せのままに」

その夜、長谷部は部隊を指揮し奥州へと発った。その背中を追いながら名前はまた欠伸をする。彼は振り返らない。俺あんまり奥州好きじゃないんだよね、と誰かの文句が聞こえた。
長谷部がいない本丸は少しだけ不便になる。狐や虎と遊びながら、昼寝を何度もした。
日付を越す頃に彼は帰還し、報告と共に獲物を差し出した。小判箱がいくつも積まれている。それと反物と装飾品がいくつか並べられていた。

「如何ですか、名前様」
「……さすがね、ご苦労様」

本当はちっとも興味がない反物や装飾品を身体に合わせながら労ってやった。
長谷部は笑う。
頬に血の染みがついていた。
小判も簪も、どうやって手に入れたかは興味がない。特に欲しかったものでもないが、少しだけ物欲が満たされた。
物とはつまり、価値である。三文のものを身につければ三文の価値がある人間になるし、五十両のものなら五十両の人間だ。人の値打ちとはそうして決まる。

「本当に貴方は頼りになるのね」

心も愛も、頼りない。忠誠こそ最大の拠り所になる。
だから名前には長谷部しかいないのだ。

「恨みも嫉みも、俺が晴らして差し上げます」
「……滅多なことを」

その言葉通り、彼は人を殺すことすら厭わない。
それも、笑顔で。
条件付けだ。名前がなにかを要求すれば彼は笑う。

「主の願いは、俺が全て叶えて差し上げます」

その囁きは名前から我儘を引き出す。
地位も名誉もなにもかも。
なにかを望む度、彼は笑う。
なにかに悩む度、彼は笑う。
まるで主のなかに棲みついているかのように、懊悩や欲望に対して笑顔を見せる。
唇の右端だけを動かして。

「長谷部」
「はい、何なりと」
「もう少し、巧く笑いなさい」

ふ、と声を洩らした。

「仰せのままに」

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