その日はとあるブランドのレセプションパーティーで、わたしは真っ赤なドレスを着て参加した。興味があったわけじゃない。偉い人からダンデを引っ掛けて弱みを聞き出せとアナログなハニトラの指令があったからだ。ダンデ、名前しか聞いたことない。わたしはそっち方面には全く疎いのだ。なんかやってるな、くらい。 会場入りする前にスマホでダンデの顔をもう一度確かめる。覚えやすい顔だ。これならうろつかなくてもすぐに見つかるだろう。7cmヒールを履いたいまのわたしは無敵だから。 「あの、すみません」 知らない声に呼び止められた。「なんでしょう」よそ行きの笑顔を作って振り向くと、そこにはターゲットがいた。出来すぎている。わたしは少しだけこの展開に呆れる。目の前には汗をかいたダンデがきょろきょろしていた。 「パーティ会場ってここで合ってますよね」 ターゲットの情報そのいち、馬鹿ほど方向音痴。データと一致する、間違いなくこの男はダンデだ。 「ええ、そうですよ」 被り物の笑顔のままわたしは受け答えする。ダンデはほっと一息ついて汗を拭う。「方向音痴なもので……ありがとうございます」警戒心が全くないらしい。ここまでだとこちらとしては少々やりにくいのだが、それをどうにかするのがわたしの仕事だ。 ダンデと共に招待状を差し出してホールに足を踏み入れる。キラキラした眩しい世界。どいつもこいつも成功者だ。 「実はこういうところは苦手で……」 隣の成功者は恥ずかしそうにはにかんだ。なんだ、いい男じゃん。赤いドレスの下で、わたしの鼓動は期待に僅かに高鳴った。 「もしよければ一緒にいてくれませんか?」 無邪気な顔つき、口説いているようには見えなかった。 「わたしも得意ではないので、喜んで」 サービスの男性からミモザを受け取ってわたしに渡す指先からは苦労が忍ばれる。成功者って、大変なんだな。わたしは頭のてっぺんから爪先まで美しさでできているから、苦労を外側に出すひとは違う人種だと思う。美しさが武器なのだから、当たり前だけど。 しばらく立ったまま話していると、ダンデは本当に無邪気で少年のような男だということが分かった。嘘だらけのわたしの話を楽しそうに聞いて、自分のことも嬉しそうに話す。 「パーティでこんなに楽しかったこと、ないですよ」 「ふふ、わたしもです」 いつの間にかわたしの笑顔は仮面ではなく本物になっていた。少年と話すのは嫌味がなくて純粋に楽しい。ハニートラップのことなんて忘れられる。でも、きっと、初めて会った女にこんなに馴れるなんてダンデは頭が悪いんだろうな。たぶん、今日中にわたしをベッドに沈めることなんてできやしない。 ヒールが高くて疲れちゃった、と零すとわざわざ座れる場所を探してリードしてくれた。さり気なく手を取る仕草にやるじゃん、などと思ったりして。 「お気を悪くされたら申し訳ないのですが……あなたとは初めて会った気がしなくて」 唐突に放り込まれた言葉にわたしは目を丸くしてダンデを見る。わたしの手をとる彼の手に僅かに力がこもった。 ハニートラップに恋しちゃダメでしょ。 喉元まで出かかった言葉をワインで流す。「わたしもそう思ってました、どこかでお会いしていたかもしれませんね」自分で思う満点の答えを出した。 少年のような男は一層キラキラした眼でわたしを見る。 「……やっぱりそう思われますか?」 この笑顔には勝てない、わたしはようやく投降する。いままでこんな男は近くにいなかった。ドレスの下をギラギラと見つめる下品な男ばかり相手にしてきた身体には素敵すぎて。 このままふたりで夜に消えても、きっと身体を重ねることはないんだ。たぶん連絡先を交換して、後日、植物園なんかにデートに行くような男だろう。今日の赤いドレスは無駄になったようだ。仕事は仕事、やり遂げなければならない、けれど。わたしとダンデじゃ住む世界が違いすぎる。わたしはもうすっかり諦めていた。 人々がまばらになってきた頃、ダンデはまだわたしの手を握っていた。緊張しているらしい、ドキドキが伝わってくる。いい男でも緊張することってあるんだな、なんて。 「わたし、そろそろ帰らなくちゃ」 「またお会いできますか?」 熱のこもった眼で見られるとなんとも答えられなくなる。純粋な少年が恋しているのを見るのは辛い。 「来世でまたお会いしましょう」 わたしはまた笑い仮面を被ってダンデを振り解く。 もしきっと生まれ変わったらあなたに相応しい女になってみせる。今回ばかりは手を引かせて。ねぇ、ハニートラップが恋しちゃダメでしょ。 - - - - - - |