あたしの知らないキバナがいることは百も承知で、あたしはそれでいいと思っていた。誰でも人様に見せられない、もしくは見せない顔はある。それにあたしは恋人じゃない。キバナの知らないあたしもたくさんいる。例えば、いま春用のお洋服を探しあぐねているあたしとか。目星をつけていたワンピース、いざ着てみると似合わないからやめちゃった。 お店から出たところでよく聞く声に肩を叩かれた気がした。声のする方を振り返るとそこにはセックスのときしか会わない男がいて、その傍には年端もいかない少女が立っていた。 久しぶり、とかなんとか言ってキバナは少女と楽しそうに話し込んでいる。似てないから妹とかではなさそうだし、恋人にしては歳が離れているので判断がつかない。あたしは念のため見つからないよう人混みに紛れるフリをした。会話を聞いていると単純に友人らしい、近所のイイお兄さんみたいな顔をしているキバナの笑顔は懐かしいものだった。そういえば、あたしにも初めはあんな顔してたなぁ、すぐに獣みたいな表情に変わったけど。いまの彼の顔からは一片の性欲も感じられない。白い歯、覗く八重歯、爽やかな笑顔。 気持ち悪いな、と真っ先に思った。何故ならこの後すぐあたしたちはキバナの家で会う約束をしていたから。あんな気のイイ兄貴ヅラしてるところを見て、どんな気持ちになればいいんだろう。ねぇそこの知らない子、ソイツが普段どんなセックスするか知ってる? あたしは楽しそうなふたりを尻目にとっとと家に帰ってシャワーを浴びることにした。この記憶をすっかり流してしまうために。 「いー匂い」 キバナは美味しいものを目の前にしたときのような表情であたしの髪を嗅いでいる。この癖が本当に嫌で毎回顔に出すのだけど全く気にされたことがない。鼻息が髪をくすぐって、器用な指先がくるくると服を脱がせて、全く甘くないキスをして、あたしたちのセックスは始まる。 「シャワー浴びたばっかだからね」 色気ない返事をするあたしは不機嫌な顔。さっきまで幼い少女と話していた爽やかなキバナの笑みが頭から離れないから。気持ち悪い、とまた思い返す。勝手に見て勝手に思っているだけだから、口に出してしまえばきっと楽になるんだろう。でもそんなことはしない。恋人じゃないから、どうでもいいのだ。 犬みたいに荒い息が耳元で暴れる。後ろからガンガン腰を使うキバナのツラは分からないけどどうせ獣。痛いくらい奥を突かれてあたしの息も上がる。あたしもどうせ獣。昼の記憶を知らないフリしてただ肉欲にこの身を任せる獣だ。 腰を掴む手と爪が皮膚に食い込んで彼が気を遣りそうなことが伝わる。傷になりそう。いつも通り自分勝手なセックスだ。やだな、こいつ以外の男とも寝るのに、変な痕がついたら。 「いっ、たい」 細やかな抵抗もすぐに振り払われる。むしろキバナを興奮させることになって、腰の動きが一層激しくなった。あたしは悲鳴を上げる。 「イッていいぜ?」 こういうところがまた本当に腹立つ。気持ちいいからなにも口答えしないけど。あたしが達するのと彼が射精するのは殆ど同時だった。すぐに引き抜かれた性器が生々しくて目を逸らす。 たぶんイヤな感情は顔に出ていた。キバナは初めてそれに気付いてあたしの頬を撫でる。「どうした?」優しい猫撫で声。それもまた気持ち悪くてあたしはなんでもない、と口のなかで反論してごまかした。 この感情が嫉妬ならどんなに楽だろう。ちらつくのはイイお兄さんを演じるキバナ。あたしといるときは性欲しかない振る舞いをするのに、あんな人間らしい一面があるなんて気持ち悪い。そう思うあたしは誰より人間らしいはずだ。 - - - - - - |