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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -




開闢



 あいつと初めて会った日はきちんと覚えていない。確かまだ肌寒い頃にワンマン終了後、出待ちしていたところに捕まった。ファンだとかなんだとか喧しくせず、ただひとこと「好き」と言われた。その目はキラキラとしていて、深海魚のように醜いおれには眩しかった。特別器量よしというわけではないのに、やたら目立つ容姿をしていた。それと、やたら惹かれる身体だった。下卑た目線だがそう思ってしまったものは仕方ない。彼女もそれを武器におれに近づいた。思い込みでなく。まだアウターが必要な時期に惜しげもなく肌を露出させて、ライブ終わりに昂ったおれを煽っていた。思い込みでなく。――何故なら本人が後から暴露したから。罠に嵌ったおれだったが、特に嫌な気持ちにはならなかった。相手が自分に好意を持っているのは居心地がいい。ただし「好き」の一言はステージ上のネズに向けられたもので、降りた後のネズに言われることはもうなかった。ライブが終わればキラキラしたあいつと合流していつもホテルに行った。そこに「好き」はなくて、あるのは少しだけアルコールの香りをさせた女とその肉体だ。毎回同じ匂い。ライブ後はその匂いに興奮していつも柔らかい身体を貪ってしまう。お互い合意のうえで。ホテルでの「好き」がない関係は快適だった。難しい愛の言葉を考えなくて済むし、妙な心理戦も要らない。肉体があるだけ。だから、あいつの内側について考えたことは殆どなかった。ライブ後にセックスをする女、くらいの認識だった。勿論そんな関係であるからして、少なからず自分も好意を抱いているということはあり得るが意識はしなかった。するわけなかった。肉欲のままに溺れるのが快かったから。彼女のキラキラを享受するのが楽しかったから。自分も少しは人間らしくなれる気がしたから。だから彼女の内面からは目を背けていた。怖かったのかもしれない。相手もふつうの人間ということに気づくのが。その一方でおれはあいつが人間らしい仕草をすることを嫌った。ナンパされたりおれといるときにスマホをチェックしたり、とにかく他の男が見えることが嫌で、そんなときは理不尽に八つ当たりなどして。彼女に非がなくても、他の男の匂いを纏う様子はなによりも吐き気がするものだった。人間嫌いのおれだから。アルコールと煙草以外の匂いは気分が悪くなる。八つ当たりされるあいつは少し楽しそうで、それもまた苛つく原因になるのだが。「好き」もないのに束縛される気持ちは、どんなものだろう。おれには分からなかった。最初の「好き」以来、おれたちはそれを忘れてしまったように思える。あいつは割り切っていて、さっきまでステージ上で暴れていた憧れの男に抱かれることを単純に喜んでいるように見えた。羨ましかった。そんな気持ちになれることが。この世の全てを儚んだような顔つきのくせに、おれといるときは目をキラキラさせて。おれは救いのようだった。誰かの偶像になることには慣れている。セックスを伴うのは例外だが。そういえば「好き」を伴うセックスはここ数年していない。――そんな話を、キバナと明け方まで飲んでいたときにした気がする。愛のあるセックスなんてしてない、と。完全な酩酊状態のキバナに「童貞ってことか」と煽られて、ついうっかりあいつのことを話した、気がする。ライブ後に待ち合わせて会う関係の女がいる。恋人ではない。好きだと言ったことはない。ただ抱くだけ。目の焦点が合わないほど酔ったキバナは「セフレってこと?」とゲラゲラ笑ったっけ。「オマエそんな器用なことできんだ!」テーブルの下で思いっきり向こう脛を蹴ったことを覚えている。たぶん、おれはそんなに酔っていなかった。脳裏にはあいつのキラキラが蘇っていた。「どんな子?」訊かれるがままに淡々と話した気がする。どんな見た目でどんな声でどんな服装か。内面は分からないからそれくらいしか答えられなかったけれど。恋人でもなし、誕生日なんかも知らなかった。そんな話をしたのはもう何ヶ月も前のことで、その頃すでにあいつとは1年ほど関係を続けていた。案外、おれは器用なのかもしれない。

「オレは見せてねぇからな。お前が勝手に見たんだからな」
 頭上でキバナの声がする。掌には彼のスマホと、そこに映るあいつの顔があった。少しブレているが状況を把握するには十分すぎる画だ。あいつの目はキラキラしていなくて、まるでいつものおれのように曇っている。頬を伝う涙がやけに目立って。
「スマホ返してくんねぇ?」
「……そうか」
「ん?」
「あいつも、泣くことあるんですね」
 初めて見る表情に、おれはどう反応すればいいのか分からなかった。

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