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薔薇園オブザデッド



 薔薇みたいに真っ赤な唇で、彼女は見たことないピアノの弾き方をしていた。叩きつけるような、苦しんでいるような、切ないような、そうしなければ生きていけないような。
 言葉は少なかった。ふたりきりのとき、特に会話はない。話す代わりにピアノを弾いた。だからおれは黙って聴いていた。彼女の指先は綺麗だった。いつもおれが現れる、彼女はピアノを弾いている、禁煙のこの部屋でおれは彼女を見つめる。彼女の指先は赤かった。
 おれたちの上では水銀灯が揺れる。
 ピアノを弾く彼女のことが心底好きだった。狂っているように見えて、至極真っ当だったから。狂わないようにピアノを弾いていることがよく分かったから。彼女の怒りはこうすることでしか昇華できないのだ、きっと。
 防音室のなかでしか怒りを表現できない彼女を、愛しいと思った。怒りに燃えた指先で、この世のすべてを燃やし尽くしてほしかった。
 おれは歌うたいで詩人で、時折彼女の即興曲に詞をつけることもあった。彼女は喜んでくれた。でも自分ではまるで駄目だと分かっていたので、すぐに破って捨てた。彼女の怒りを表現するには、おれは幸せすぎた。
「疲れねぇんですか」
 一息ついたところで訊いてみた。
「指が勝手に動くから」
 乱れた髪を整えようともせず、彼女は答えた。指先だけはまだ踊り続けていた。
 この世の全てを燃やし尽くしてもまだ足りない指先が羨ましかった。
「……少し休憩しませんか」
 いつもより激しかったその日、おれは思い切って提案してみた。薔薇みたいな唇が震えていた。
「でも」
「君が壊れたら、誰がピアノを弾くんです」
「……ありがとう」
 うっすら汗をかいた頬笑みは花が綻ぶようで、数分前まで狂気的な演奏をしていた女性とは同一に見えなかった。好きだった。
 ただ、おれは彼女の視界にいるだけで、それだけだった。それでよかった。幸せは創作を台無しにする。足りないくらいで丁度いい。
「ネズくんが来るようになってどれくらいになったかなぁ」
「さぁ、覚えてねぇです」
 いつになく言葉が多かった。
「いままでは水銀灯しか聴いてくれなかったんだよ。わたしが弾くとね、ビリビリ揺れて面白いんだ。ああこの灯りが消えるまでわたしはやってるんだろうなって、思ってた」
 こんなに話したのは初めてだった。少しドキドキした。天才の中身を覗いている気がした。
 誰にも知られず狂い咲いていた彼女を見つけたのはおれだけで、それが誇らしくもあった。
「理解してくれるのはあれと、ネズくんだけだよ」
 その笑顔はまた花が揺れるようで。本当に狂っているようには見えなかった。どちらかといえば、狂ってしまったのはおれの方だった。花の蜜に誘われて逃げ出せなくなった蟲だ。そうか、彼女は食虫植物に似ている。生きていくために、そうするしかなくて。
 彼女はこの世の全てが憎かった。だから殺人鬼みたいに隠れて、殺意を音色に変えていた。おれみたいな人間を誘い出すために。
 彼女の美しさを伝えるために詞を書きたかった。でも独り占めしておきたい気持ちもある。
 囚われたことが、とても幸せだった。
 幸せだから、なにもできなかった。この世の全てを燃やし尽くす指先に、この身を焦がすことしかできなかった。

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