初めて出会ったとき、彼女はパチンコ店の前でしゃがみ、煙草を吸っていた。 「パチンコ、ライブハウスと似てるの」 ギャンブルはやらないからここにいるのと笑ったその顔は穏やかではなくて、こいつは関わると厄介だぞと理性が警鐘を鳴らした。 「ライブ好きですか」 ただし、このときは理性に好奇心が勝った。 「大好き。夢みてるみたいだから」 ふわふわと取り留めない言葉で彼女は応える。 「おれ、バンドやってるんですよ」 「へぇ、コピバン?」 「オリジナルです」 「すごいね」 「すごかないです。よかったら来ませんか」 今にして思えばなぜいきなり誘ったのか分からない。自分がやられたら驚いて断るだろう。しかし彼女は煙草の火をラバーソールで消して「いいね」と微笑んだ。 「おれ、ネズといいます」 「あたし、誰でもないから、好きなように呼んで」 「それは……困ります」 「あたしは困らない」 だから彼女の名前は知らない。本人が困らないなら、それでいいのだろうと思った。 それで、おれたちの後ろでは絶え間なくやかましい音が響いていた。 「このお店よりいい音聴かせてくんないと、帰っちゃうよ」 屈伸みたいな動きをしながら、彼女はまた微笑んだ。なんとなく、陰のある笑顔に惹かれ始めていた。 「普段はどんな音楽聴くんですか」 「色々だよ」 たぶんロックなんかが好きなんだろうな、と勝手に思った。ラバーソールが似合っていたから。 「来週、ライブあるので来てください」 チケットを手渡す。彼女は一瞥もせずポケットにしまい「ありがと」とシンプルな礼を言った。おれはフロアに彼女の姿を見つけられるか少し不安だった。特別、目立つ容姿ではなかったし。 「あたし、もう少しここにいるね」 だから帰ってとっとと寝た。寝る間際に彼女の微笑みを思い出していた。気まぐれも時にはいい仕事をする。少なくとも、客がひとり増えた。 翌週、バンドメンバーと喧嘩してコンディションは最悪だった。くだらないことで、自分たちでも馬鹿らしいと思いながら殴り合いをした。理由はくだらなさすぎて、もう忘れた。 「お前とはやってらんねーよ」 じゃあやらねぇよ。 おれが吐き捨てるように言うとまた掴みかかられそうになった。そのとき、彼女の笑顔が思い浮かんで、次のライブまではバンドを延命させねばと咄嗟に判断した。 「すまん」 その謝罪に向こうは拍子抜けしたようで手元が緩む。 「明日のライブ、やろう」 なんとなく場の雰囲気も穏やかになって、その場は収まった。大人になったな、と思った。帰り道、パチンコ店の前に彼女はいなかった。 翌日のライブは多少の気まずさはあったが大人なのでなにも言わず始まった。ボーカルの出来はいつも通り上々。赤いライトを浴びて、おれはいつも通り歌っていた。そこで見つけた。彼女は後ろにぽつんと立っていた。なんとなく安心した。 ブルージーな曲を目を閉じて歌う。瞼に赤いライトが焼き付いていた。 目を開けたとき、彼女の姿はなかった。 「なんかごめんね」 帰り道、パチンコ店の前に彼女はいた。今度は酒を片手に煙草を吸っていた。 「来てくれてありがとうございました」 「ごめんね」 もう一度謝る。 「ブルースは嫌いなの」 その腕に痛々しい縦横の傷を見つけて、おれは目を逸らした。 「あたし、ほんとにうるさいのが好きだからさ。頭のなかをいっぱいにしてくれるみたいな」 「そうですか」 「でもネズくんの音楽よかったよ」 「……ありがとうございます」 「続けなよ、絶対」 「バンドメンバーと喧嘩しました」 言わなくてもいいことを言ってしまう。 「じゃ、ひとりでも続けな。ネズくんは歌ってないと駄目だよ」 その笑顔はパチンコ店のギラギラした輝きと溶け合って、恐ろしく美しく見えた。 「あたしは消えるけど、音楽続けてね」 「消えないでください」 「消えるよ。あたし、ネズくんに音楽を続けるよう伝えに来た天使だから」 「困ります」 「あたしは困らない」 「おれが困ります」 困ったように肩を竦めて「知らないよ」と不機嫌そうに応えた。彼女との会話はそれが最後だった。 ひとりになったいまでも、目を閉じると赤いライトが蘇る。あの穏やかでない笑顔も。天使はおれを残してどこかにいってしまった。だからおれは天使を求める歌を作り続ける。いままでも、これからも。 - - - - - - |