「お別れ、カメラで撮ってね」 言い終わるやいなや、彼女は駆け出して。 舞い降りた砂浜、振りかざすチェーンソー、突然の襲来に驚く人々、ランダムにシャッター音が響く。真昼間のホラー映画だ。走りにくい厚底靴であの子は駆けずり回る。あたし、海でチェーンソー振り回すんだ、それで関係ない幸せなひとたちをファックしてやるの。宣言通り、行け、やれ、そうさもっとロックに走り回っておれの可愛い少女。 ゴシックなファッションに海水と血が絵を描いて、抗うつ剤やら安定剤やらをたっぷりキメた少女の笑顔が映える。走れ、逃がすなよ、おれはここでちゃんと撮影してるから。なにが彼女をそうさせたかなんて興味ない。どんどん小さくなるあの子に淡々とシャッターを切る。 「あたしこんなに遠くまで来れたよ!」 たぶんそう叫んでいた。なにが彼女をそうさせたのか、たぶん、考えてもなんの意味もない。だってこれは夢かもしれないから。 血を洗い流す潮水、それを上書きする鮮血、踊り狂うチェーンソーマーダー。逃げ惑う人々の悲鳴はライブ中の歓声にも似ているなあ。警官がばらばらと集まり始めた頃、 「さよなら! さよならネズさん!」 白いレースのような波が揺れて、海へ、彼女は飲まれて消えて行く。消えて、なにも見えなくなる。 そんな夏の思い出。 あの子はひとりぼっちで、たくさんのひとを殺して死んだから、誰も悲しむやつはいない。おれ以外。だっておれはあの子を愛していたんだ。いまにして思えば、あのかわいそうな女の子にそれを教えてあげるべきだった。恋を教えてあげればもう少し長くおれの側にいてくれたかもしれない。 あの子は厄介だった。手首には縦横いくつもの傷跡。それを長袖でいつも隠していた。自殺した文豪の小説や小難しい哲学書を読んでは青い薬を齧ってアルコールに遊んでいた。厄介だ。わかってた。でも愛したんだ。あたし孤独なの。おれの腕枕で寝ながらそう呟いていた。 「ネズさんはいろんなひとに必要とされているから、死んじゃ駄目なんだよ」 細い煙草に火をつけて、遠くを眺める横顔。記憶の中のあの子は不安になるほど細くて儚い。 「幸せってこの世に決まった量しかなくて、誰かがたくさん持ってると、誰かは少ししか持てないんだ。だからあたしはたくさん幸せなひとが憎いから、たくさん道連れにして死ぬの。昔ホラー映画で観た、チェーンソーがいいな。海で振り回すの。きっと重たいから、そんなに動き回れないね。あたしの最期はネズさんがきちんと見ておくのよ。そしてそれを歌にするの。あたしはこんな世界クソ食らえだけど、ネズさんは生きていかなきゃいけないから、あたしが生きていたことをあなただけが覚えてて。そしたら、きっとあたしみたいな他の誰かは救われるかもしれない……同じことをするかもしれないけどね」 あの子は身代わり。誰かの身代わり。幸せになれなくて、幸せになれたひとたちを憎む、この世の隅っこにいるひとたちの身代わりになった。 夏真っ盛りみたいに暑苦しいライブハウス、おれはチェーンソーじゃなくてマイクを振り回す。いまここにいる誰かの身代わりに死んでいった少女のことを想いながら。 - - - - - - |