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あたしだけにかけて


 撫でてくれる。キスしたら嬉しそうな顔をしてくれる。それに、毎晩一緒に寝てくれる。だいたいのことはあたしをいちばんに考えてくれるし、もし調子が悪かったら一日中、一晩中でも側にいてくれる。青白い皮膚に爪を立てたら「こら」と怒るけど、優しい笑顔だ。
 そういうときに「あたしはネズにたくさん愛されてる」って感じて、嬉しくなる。
 でもそれは部屋にあたしとネズがふたりきりのときだけで、客人があると違う。ほとんど誰も部屋に上げないネズがほぼ唯一招き入れるその人間は綺麗な髪の、つんとした横顔の女だ。冷たく見えるその顔のつくりはちょっとネズと雰囲気が似ている。じっくり見ると似ていないどころか、いけすかない顔つきなのだけど。
「あいつが来ますよ」
 やだな、って言いたい。言ってみてもネズは困った顔をするだけだし、言ってどうなるものでもないし。あたしはソファに座って顔をこする。
「はい退いて、あっちの部屋行ってなさい」
 優しい手つきですぐにソファから下ろされた。彼は丹念にカーペットクリーナーをカバーにかけて、まるでホテルみたいにリビングを隅々まで掃除する。床に散らばっていたエナジードリンクの缶も、窓際に置かれていた酒瓶も、デスクトップ周りに放置されていた煙草の空箱もなにもなくなる。部屋がそういう風に急に変わってしまうから、だからあたしはあの人間が来るのが少し気に入らない。
 追い出されるような気がしてすごすごと与えられた部屋に向かう。脱走防止(しないのに)のフェンスを立てたネズが「偉い偉い」と撫でてくれた。
 かんかんとヒールが地面を叩く音が近づいてくる。あたしには出せない音だ。試しに床を勢いよく踏んでみたけど、爪がかりりと僅かに引っかかっただけだった。
 チャイムが鳴り、ネズが慌てて玄関まで小走りで行く。鍵を開ける音がして、その後からネズと女の話し声がした。いつもは間近で聞こえる彼の声が遠い。
「天気予報だと雨だったのに、全然降らなかったんだよね。折りたたみだけど荷物になっちゃった」
「置いてっていいですよ。置き傘」
「あはは、懐かしい響き」
 ふたりの声の調子は凪いでいる。ネズの声音はいつもと比べると些か頼りないが女の方は落ち着き払っていて、耳がいいわたしからしたらそれだけでふたりの関係性はなんとなく把握できた。いつものことだった。
「そういえばこないだね、あ待って」
 一呼吸おいて「……っくしょん!」と女が大きなくしゃみをし、それから「ふぁ、っ」とすっきりしない小さなくしゃみももうひとつした。
「すみません、掃除したんですけど……」
「大丈夫、死ぬもんじゃないし」
 お客さんが――この女のひとか来たらいい子にしていないと、彼の迷惑になってしまう。いつだったか妹さんが来たときにはソファで一緒に撫でてくれたり遊んでくれたりしたけど、この女が来るときにはそうじゃないっていい加減にあたしも学んだ。それは彼女があたしを嫌いだからとかじゃなくて、彼女のアレルギー体質のせいなんだって。
 こないだお薦めしてくれた映画を観に行ったよという会話から、じゃあ同じ監督の別の作品を観ようとネズが提案するのが聞こえた。
「隣いいですか」
「いいよぉ」
 間延びしたような、媚びたような返事は、耳障りだった。いつもこれだ。「いいよぉ」は映画を観ることを受け入れたのではなく、ネズの接触への同意。もちろんふたりに同意があるのならあたしがいくら喚いたってなにも変えられない。でも嫌なの、あたしは嫌なの。だってあたしはネズが大好きなんだから――あたしの方が、絶対に好きなんだから!
 想像できないほど悍ましいことを始めることに耐えられなくて部屋をうろうろする。水を飲んでみたりおやつを齧ってみたりしたけど気は晴れない。
「っあ、なに、どうしたの」
「……別に、なんでもありません」
「変な顔してる」
「いつもです」
「ネズくんはかっこいいよ」
「……どうも」
「やっ、ちょっとぉ……」
 喘ぐような泣くような音吐は感情が読めない、というか、感情そのものが乗っていないように思えた。ただ発しているだけ。特別な意味などないように。
「今度の週末、空いてますか」
「っ、なんで、あ、や、それだめ」
「……会いたいから」
「うごかないで、あ、あ、っ!」
 変なにおい、変な音、変な声、好きじゃない。不機嫌になって段ボールに頭を突っ込む。暗くてひんやりしていて落ち着いた。船を漕ぎそうになったところで、
「――今度の週末はだめ」
 女が息を整えてからはっきりとそう答えたのが耳に飛び込んできた。それはぴしゃりとしていて、有無を言わせない強い語気だった。
「そんな顔してもだめだよ、その日はだめ」
「どうしてですか」
「どうしても」
「答えになってねぇ」
「泣かないで」
「泣いてないです」
「泣きそうだけど」
「……おれがいままで、こんな我儘言ったことありますか」
「……結構あるよ」
「なんで」
「その日は彼氏と出かけるから。ほら、これでいい?」
 ふたりの会話は冷え切っていた。というより女が冷えていた。ネズは縋ろうと、甘えようと微かなよすがに頼ろうとしているがそれは蜘蛛の糸よりずっと細い。あたしにでも分かる。あたしだからこそ、よく分かる。
「やめて、そんなことするなら帰る!」
 ネズがなにか厄介なことをしたらしい。さっきまで絡み合っていたというのに女は子犬のようにきゃんきゃん吠え始めた。「そういうのやめて!」ふたり分の乱暴な足音が聞こえる。ネズが震える声で、どうにか彼女を宥めようと必死に謝っていた。
「帰る、帰るったら――送らなくていい!」
「――でも、雨が」
「傘あるから。ばいばい!」
 ばたん!と玄関の重いドアが勢いよく閉まる。いつもならあと数時間は過ごして帰るのに、今日は珍しい。倍速で映画を再生したかのようだ。
 摺足気味でネズがあたしに近づいてくる。「あたしはここよ」って、すぐ見つけてもらえるように首の鈴を鳴らす。
 フェンスを退かしながらネズがあたしを抱き上げ、頭のてっぺんに顔を埋める。
 あたしはネズの我儘なんでも聞いてあげるのに。なんでもしてあげるのに。あたしが、あたしじゃなければ。
「……ああ……」
 ねえ泣いてるの。いいよ、あたしにだけ見せるその顔もあたしは好き。涙でもなんでもかけて。あたしは「にゃあ」って鳴いて、あなたに生命のすべてをかけるから。

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