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キャラメル・ミストレス


「猫ってさ、生きてるうちに一言は人間の言葉を喋るらしいよ」
 柔らかい指が私の喉を優しく擽る。ごろごろと勝手に喉が鳴った。ついでに尻尾もぴんと立つ。
「このコはなにか喋った?」
「んー、オレはまだ聞いてないかも」
 飼い主がマグカップをふたつ持ってきて女の隣にどっかり座った。「あんまり鳴かないんだよなー、コイツ」大きな手で頭を撫でられて気持ちいい。「飯の催促するときは鳴くけど」甘ったるい香り。ふだんは飲まないのにこの女が来たときにはキャラメルフレーバーの紅茶がテーブルに並ぶ。私はこれがあまり好きではない。だからこれが出てくると居心地のいい女の膝からするりと降りて隣の部屋に避難する。人間より敏感なこの鼻はそれでも匂いを拾うが、直接嗅がされるよりはマシだ。飼い主に与えられたぬいぐるみを掴んで稚座に籠る。
「あっち行っちゃったね」
「はは、アイツ空気読めるから」
「なにそれ」
「オレに似てイイコなんだぜ」
「誰かさんよりイイコだと思うよ」
「ひでー。あー、今日はなに観たいんだっけ?」
「なに観ようか、考えてなかったね」
 しばらくふたりの談笑が続く。私は身体を丸めた。
 月に一度は来る女。少し声の低い女。飼い主と同世代だと思うが、彼の方が落ち着きがない。彼女が来るとさらに落ち着きがなくなり、妙に忙しなくなる。到着の二時間前から徹底的に部屋の掃除をしたり私の毛並みを整えたりしてちょっとでも良く見られようと真剣だ。
 映画だかドラマだかが始まって、ふたりが静かになった。外国語が流れ始め、荘厳な音楽がそれを飾る。派手なアクション映画が好きな飼い主の趣味ではないだろう。
「あ……もお、せっかちなんだから……」
 欠伸をすると、向こうの部屋から私が水を舐めるときと同じような音がした。ふたりがなにをどうしているのか窃視することに興味はない。女が「そこはだめ」と掠れた声で言うのを聞いては「人間にも触られると嫌なところがあるのだな」などと考える。私は腹を無闇に撫でられるのが嫌いだ。
 月に一度はある儀式、或いは行事、もしくはイベント――その女がなにをしに来るかといえば、要するに我々でいうところの交尾である。生殖を伴わないものなので厳密には違うのかもしれないが、ともかくやっていることは同じだ。あの女はきっと部屋がそこまで綺麗でなくても気にしないし、私なんていてもいなくてもいい、いない方がいいのかもしれないし。
 色々な音に混じって飼い主――キバナが囁くのはあの女の名前だろう。寝る前に何度も呟く夜もあるからすっかり覚えてしまった。幸せそうなのに不安そうな声音なので耳障りだ。こういうとき、彼をとても莫迦な男だと思う。だって彼女はその最中に彼の名を呼びはしないから。何度呼んでも返事は「ん、」とか「うぁ、」といった上擦った声だ。
「きもちい、」
「っあ、オレも」
「それだめ、やめて……だめだったら」
 苦しそうだが、女の調子はあくまで理性的だ。どうせまたキバナが女の身体に痕を残そうとして叱られたに違いない。何度も叱られているのにちっとも学習しないのだから嘆かわしいものだ。私の方が間違いなく賢い。
 ふたりの耳障りな声が止まった。「疲れちゃった」「ごめん」どうもコトがすべて終わったらしい。猫と比べて随分長いと思うが、これが人間の平均なのかは疑わしい。飼い主が他の女を抱くときは今日よりもっと短いので、個体差なのだろう。
「……時間は?」
 おどおどした様子で彼は問いかける。
「ん、まだちょっとはいられる」
 よかった、と小声で呟いたあと慌てて「あ、いや、映画、全然観てないから」と続けるのが可笑しい。しかし女は調子を変えず「疲れちゃった。紅茶もう一杯もらえる?」と返事をした。
 紅茶をもう一杯とスコーンをふたつ食べ、映画を中途半端なところまで流してから「じゃあね、またね」と女はわざわざ私に声をかけて出て行った。キバナは駅まで送るからと押し問答をしたがったが女は「要らない」の一言で押し除けた。彼に私と同じような耳があればぺたんこになっているだろう。
「あー」
 稚座から半ば無理やり私を引っこ抜いて抱きすくめ「ダメだなー、オレ」と背中に顔を埋めた。くぐもった音に背中がぞわぞわする。抗議の意味で後ろ足で蹴り上げると今度は「うあー」と仰向けに寝転がった彼の上にそのままぬいぐるみのように乗っけられた。素早く体勢を変えて胸の辺りに座り直す。「ぐえ、オマエ重くなりすぎ」知ったこっちゃない。
「今日も好きって言えなかったんだぜ、あー、意気地なし」
 それもまた知ったこっちゃない。今更好意を伝えたところで、彼女はきっと調子を変えないはずだ。しかしその反応を見た飼い主はどうなるだろう――私は賢いので大方の予測ができる。
 ふたりがなにをどうしてどういう仲なのか、私は詳しいところまではよく分からないし分かるつもりもない。ただ私を撫でる女の所作はとても好ましいので、月一のこの習慣は変わってほしくないとは思っている。
「次こそちゃんと言うからな」
 莫迦な男だねと私は返事をしたが、それはただ「にゃあ」という音になっただけだった。

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