――違う、オレのせいじゃないんだ―― 確かにセキにそのつもりはなかった。思ったよりも自分の力が強く、女の身体というものが脆かっただけの話なのだ。丑三つ時に。 ――手前、何処の男と逢ってやがった ――オレは確かにみたんだ ――知らねえ男と逢ってただろ ――違います、あれは従兄で、 ――後ろ暗いことはなにひとつしていません ――わたしにはセキさんしかおりません ――言い訳すんな、男に違いはねえんだよ! どん、と肩を突いた。飯の支度をしていた嫁はそのままよろけ、竈に頭をぶつけて死んでしまった。土間に落ちたしゃもじに、黒髪の隙間から流れ出る赤黒い血が沁みてゆく。 かっとなって癇癪を起こしただけで、世話してもらった嫁を殺してしまった。呆気なく。セキは頭の中が真っ白になった。 混乱し、嫁の遺体を前にしばし力なく座り込む。どうしよう。どうすればいい。どうすれば、オレは責められなくて済む? 家のなかの掃除はどうとでもなる。遺体だ。ぐたりとした女を見る限り、なかったことにもなってくれやしない。 少しだけ迷い、嫁の死体を負ぶって灯りもなしに勘だけで山へ向かうことにした。この辺りは庭だ。雪もないいまなら思った通りの場所を目指せる。堀棒を片手に、いままでは妖精のように軽かった身体を土嚢のように重く感じながら山へと道を急いだ。 セキの仕事は誰にも見られず、ただ梟だけが首を傾げて見ていた。ほう、と監視するように。泥だらけで帰宅した後、セキは明け方に「嫁が消えた」と騒ぎ立てた。神隠しだと一部は騒いだ。 山狩りも行われたが、流石にセキの見立て通り簡単に死体は見つからなかった。誰もが諦めていた。どうせあの女は逃げたんだよ、と口さがないことをいう人間もいた。そういう相手に、セキは寂しそうに微笑むことにした。 しかし――不安にはなる。不意に見つけられたとき。野犬などのせいで不意にあの女が見つかったとき。オレはどんな顔をするだろう。 ――見つからなければいいのだ ――見つかっていないよう、オレが確認すればいい 月に一度、多ければ二週に一度は真夜中に彼女を埋めた場所を確認しにいった。ぞっとしない場所だ。毎回掘り返されていなくて安堵するのだが――セキの精神は確実に削れていっていた。 足音に揶揄われた時もそうだ。 「足音がするんだよ。草を踏む音と、草履が砂利を踏む音だろうな。オレと同じ調子で歩くんだ。オレが止まるとその女も止まる。歩き始めると歩き始める。きしきし、ひたひた。黒髪が綺麗な美人だったが、そんな時間に女ひとりであんな場所にいるはずがない。況してやオレを揶揄うなんてな」 そう、女ひとりであんな場所にいるはずがない。ないんだ。 「それは――妖怪ですか」 「確かめてないから妖怪だ。足があるから幽霊でもねえな。なんにしてもふつうの人間じゃあねえだろう。帰って嫁に話しても――」 ――嫁に話しても? ――嫁は、オレが、殺したじゃないか ――オレは誰にこの話をしたんだ? ――オレは、いま、誰と暮らしているんだ? ゆっくりと振り返る。 女のかたちをした影が、ゆらりと動いた。 - - - - - - - |