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霊媒少女


 去年、恋人みたいな関係にあった女が死んだ。事故だった。信号を無視したバイクに跳ねられ、軽い身体が天使みたいに宙を舞ったそうだ。鮮血の翼を授けられたそいつは即死。加害者は足首にかすり傷のみ。彼女の家族はそれでいろいろと揉めて大変だったらしい。
 オレはといえば悲しいやら辛いやら、負の感情すべてが急に襲いかかってきたのでビョーキになってしまった。眠れない飯は食えない気が付けば死ぬことばかり考えた。あんなに遊んでいたのが嘘のように引きこもるようになった。
 せめて墓参りに行けという周囲からの叱咤激励をずっと無視していたがネズの「おまえ、霊媒って信じますか」などという胡乱な連絡にはさすがに返事をした。「そんなものない」と。
 なんとなく神様というやつは(都合のいい時には)信じているが、幽霊だのお化けだのという存在には興味がない。無論、そんなもの存在しないからだ。超自然的な存在もなにも。
 何度もクリアしたゲームをまた一から始めようとハードを立ち上げる。するとネズから電話がかかってきた。うんざりしたが、ネズも数年前に恋人を亡くしていることを思い出す。神様はオレたちが嫌いなんだろう。
 スピーカー越しに聴くネズの声は曇天を思わせる暗さだった。「おれだって熱心に信じてるわけじゃあないんですがね」を前置きに、彼は自分が経験したことを話してくれた。
「何年か前にアルバム出したでしょう、おれ。あれの所為で胡散臭い番組に呼ばれたんです。確か、恐怖がどうとか、忘れましたけど。そこで霊能力者――あとで聞いた処に拠ると霊媒者というらしいですが、そいつに、ええと、当時恋人……だった女の話をされて」
「観たなあ、それ」
「そりゃどうも。可笑しな話なんですが、その霊媒師はおれと彼女しか知らなかったことを朗々と語ってくれまして。おれたちの関係はあまりいいものではなかったので、碌なことではなかったんですけどね。いや、つまり」
「……アイツを呼び出させて話でもさせようってのか?」
「物分かりがよくて嬉しいです」
「オレをあの婆さんのとこに連れてくってわけ?」
「婆さんって歳じゃないですけど、まあ、はい」
 せめて明るい口調で誘えばいいのに、ネズはひどく遠回しに、迷子にさせるような誘導をした。
 ネズの気持ちもわかる。自分がそういった類のものを信じていると思われたくないし、況してやそれをオレに勧めるという状況に虫唾が走っているのだろう。
「いいぜ、気晴らしになるかもな」
 ああ、と安堵したような吐息が聞こえた。



 霊媒師が指定したという場所にふたりで向かう。駅で待ち合わせ、そこからずっと無言だった。偶然にもオレもネズも真っ黒い格好をしていて、これから葬式に向かう人間のようだった。
「此処ですかね」
 路地から路地に曲がり、辿り着いた先にあったのは小ぢんまりとした建物だった。洋の東西を問わずめちゃくちゃに建て付けた風のインパクトのある見た目で、しかし喧しくはなく、なんとなく「なるほど」と声に出た。
「あら、いらっしゃい」
「連絡しておいた者ですが」
「あんた、ネズね。そっちはキバナだ」
 いかにも言い当てたように威張った顔の小娘が待ち受けていた。「はあ、そう電話で言っておきましたからね」ネズは冷めた表情で彼女を見る。
「お師匠は急用で、あたしに任せて行っちゃったの。なんでも、お屋敷に取り憑いた殺人鬼の悪霊を祓わなけりゃいけないらしくって。だから今日はあたしが霊媒やるのよ」
「キバナ、帰りましょう」
「おう」
「待ってよ、あたしはまだ見習いだからお金は要らない。お試しに、どう? そんなに長くはかからないし」
「帰ります」
 ネズは不機嫌になっている。それもそうだ。時間も場所も指定されておいて、家から近くはない屋敷に来させておいて本人がいないのは無礼極まりない。
 まあ、オレもそんなにいい気分ではなかったが、このまま帰るのも面白くないな、と思った。小娘になにができるのかは知らないがオレがいま以上に傷つくことはないだろうし。
「ネズ、霊媒やってもらおうぜ」
「ええ? 本気ですか」
「本気じゃねぇよ」
「失礼なひとたちね、あたしは本気なのに。じゃあお部屋にどうぞ。準備はちゃあんとしてあるから」
 小娘は掃除していた手を止め、エプロンを脱ぎ捨てた。シックなワンピースを着ている。
 迷路のような廊下をしばらく歩かされ、突き当たりの広い部屋に案内された。ぼんやり昏い室内にはゴブラン織とペルシャ絨毯の合いの子みたいな敷物の上に大きな丸テーブルと猫足椅子が四脚。水晶や細石のまぶしてあるタロットカードが並んでおり、怪しさは百点満点でいうと百五十点だ。ネズが「帰りましょう」の「か」の口をしていた。
「アンタの師匠はこんなの使ってなかっただろ」
「それはお師匠だからよ。あたしはまだ見習い。霊媒少女だもの」
「あっそ」
 しゃあっと勢いのいい音を立ててカーテンを閉めながら”霊媒少女”はにかっと笑った。部屋は真っ暗になった。
 蝋燭に火を灯し、霊媒少女を挟むかたちでオレたちは着席した。ネズは腹が痛そうな顔でどこかよくわからないところを眺めている。オレはもう信じるとか信じないとかではなく、とりあえずこの状況をあとでネタにできるよう細かく観察することにした。
 少女がなにかもごもごと口のなかで唱え、ロザリオみたいなものをゆらゆらと振り回す。変なパフォーマンスだった。うにゃうにゃとした呪文が終わると、ふっと蝋燭が消えた。これで正真正銘の真っ暗、なにも見えない。目を閉じ、もう一度開ける。カーテンから僅かに漏れる光がうっすらと家具の輪郭を浮き上がらせるが、霊媒少女の動きは読めなかった。
「あのね――あたしまだ力不足だからちゃんと霊媒はできないの――でもあなたの恋人、来てるから」
 右手にひんやりしたものが触れた。「ぎゃっ」思わず跳ね上がる。
「あなたの恋人――寒いとこにいるって――だからきっと手が冷たいのよ」
 心臓がぎゅっと締めつけられた。なんだ? いまのひんやりとしたものがアイツの手だっていうのか?
「お、おい」
「手繋ぎたかったみたいだけど――そう、そうなのね、あなたの恋人は死んでもあなたを愛してるって、そう言いたいみたい」
「は、」
「いまもずっと愛してるって、ちゃんと言えなかったけどすごく愛してるって――身体が痛いって、なんだか苦しそう――会いに来てねって――言って――あら……恥ずかしがり屋さんなのね、帰っちゃうみたい。なにか伝えたいことある?」
 アイツの死化粧を思い出す。傷を隠すために厚化粧が施された顔は血色がいいのに痛々しくて、オレはちゃんと見てやれなかったんだ。
 胸が詰まり言葉が出てこず、察したらしいネズが「もう結構です」と静止してくれた。
 またごにょごにょと呪文が唱えられ、蝋燭に火が点いた。いつのまにかベールをつけていた少女が立ち上がり、カーテンを全開にする。
 ふと自分の頬に触れる。冷たい涙が二筋ほど流れていた。
「――あたしね、恋したことないんだ」
 黒いベールに覆われた表情は、笑顔にも泣き顔にも見えた。
「気晴らしになりましたか」
 帰り道、ぼそりとネズが問いかけた。行儀悪く歩き煙草をする姿は哀愁を帯びている。
「思ったよりいい経験になった、と思う」
「それならよかったです」
「オレさあ」
「はい」
「アイツに愛してるって言ったことなかったなあ」
「……あっそ」
「墓参り、行くかあ」
 力の抜けた、間伸びした声しか出なかった。
「墓の場所がわかってんなら、行くといいですよ」
 含みのある言葉にはなにも返せなかった。



 あのややこしい日から数ヶ月後、ネズから「すみませんでした」と電話がかかってきた。ひとでも殺してきたみたいに恐ろしく澱んだトーンだったので思わず怯む。
「あの”霊媒少女”ですよ」
「ああ、なんかあの後ネットでよく見かけたな。奇跡の霊媒師とか、バズってた動画観たぜ」
「それです」
「どれだ」
「奇跡の霊媒師――詐欺で捕まりましたよ」
「は? あの婆さんも?」
「だから婆さんって歳じゃ……あのひとは捕まってません。霊媒少女が、です。元からそんな力なんかなくて、あれ以来それっぽいことを繰り返して法外な値段を取っていたそうです」
 つまり、あの儀式は全部嘘、まるで嘘、なにもかもが嘘。オレへの恋人の言葉も嘘。
 そりゃオレも弩級のバカではない。あの日言われた言葉はどれも当たり障りのないものばかりだった。ちょっと調べればオレの恋人が事故死したことはすぐわかるし、死人は暑がるよりも寒がる方がそれらしい。会いに来てね、はどう捉えることもできる。
「おれたちは金払ってませんけど……悪いことしましたね」
「オレは別に恨んでないよ」
「……はあ」
「墓参り行けたしな。いいきっかけになった」
 それならよかったんですが、とネズは気難しい返事をした。恋を知らないインチキ少女に恋人を騙られ泣かされた男を憐れんでいるに違いない。いや、それは事実だ。オレは否定しない。
 ただ、少女の声は恋人の声と少しばかり似ていた。それに、あの冷たい指先はオレの手を握ろうとしてちょっとばかり照れたような動きだったのだ。だから「恋を知らない」は嘘ではなかったはず。
「恨んでないって、ほんとだぜ」
 オレは久しぶりにきちんと笑った。

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