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籠の鳥



「アンタ、あれどうするつもりです」
「あれってなんだよ」
 嬶が大袈裟に呆れた顔を作り「あれです、あれ」と視線だけでムラの隅を指した。作業していた腰を上げてその方向を見ると見慣れた小さい住まいがある。
「まだ言ってんのか」
「ずっと言います。あんなのが同じ村にいるだけで私は我慢できないのに、いつまで置いておくつもりですか」
 あんなの呼ばわりはねぇだろと反論しそうになったがややこしくなるのも嫌なので黙る。
 こいつがいう「あれ」とはオレがこの嬶を貰ってしばらくした頃に囲い始めたひとりの女だ。ずっとセキさんをお慕いしておりました、まさか結婚されるなんて……と泣きつかれては男は弱い。そのまま妾として家を与え、定期的に会いに行くうちに勘づいた嬶が大騒ぎしたのは先週の話だ。その頃にはオレもすっかりあの女に絆されて、可愛くて可愛くて仕方なくなってしまっていたのだ。
 確かに貰った嫁はよく働く。傷だらけの手は働き者の証だ。そんな逞しいところが好ましくはあるが、なにしろここまでの悋気持ちとは思わなかったのだ。
「はやく追い出してください。長なんだからそれくらいできるのでしょ」
「そう簡単にいくか莫迦」
 そこにくるとあの女は嬶とは正反対の存在だ。弱くてオレがいないと生きていかれないような繊細さがある。機を織るのが得意で、女連中にはそこそこ人気があるらしい。オレが顔を出すと羽搏くように両手を広げ抱きついてくる様がとても愛らしく感じる。
「まさか子供なんか」
「できてねぇよ……」
「ツバキくんなんかまだ独り身ですよ。世話してやったらどうです」
「オレが決めることじゃねえ」
 最近は毎日これだ。顔を合わせてはあの女をどうにかしろ追い出せの繰り返し。うんざりだ。しかし嬶はムラの年寄りに世話された恩義もある。いい加減あいつの方をどうにかしないといけないのかもしれない。
 畑作業を終え、癖でふらふらとあの家に向かう。
「まあ、セキさん、泥だらけ」
 出迎えた女は目を丸くしたあと、優しく笑った。上品な絹の着物を着ている。「お疲れなのに来てくださって嬉しいです。湯浴みでもなさいますか。お背中流します」オレが来るのが分かっていたかのように準備がいい。こんな気が効くところも癒やされる。初めからこいつと出会っていればオレは――
「泊まって行かれます?」
「いや……ああ、そうだな、今日は泊まる」
 話さなければならない。もうおまえをここに置いておくことはできないと。にこにこと酌をする女を見ていると口も開きにくく、当たり障りのない会話しかできなくなってしまう。
「最近、どうだ」
「そうですねぇ、元気にやっています」
「ムラの連中には仲良くしてもらってるか」
 きょとんとした顔のあと「はい、皆さんよくしてくれています」と言って目を細めた。その笑顔に胸が痛む。オレと別れたらこの明るい笑顔はかたちを失ってもう二度と見られなくなるのではないだろうか。
 もやもやとした気分のまま身体を重ね、ぴたりとくっついて寝た。朝になって家に戻るまで、とうとうオレはなにも言い出せないでいた。
 とはいえこの曖昧なままの状態を続けることもできまい。ツバキを呼び出して率直に嫁を取らないかと伝える。しどろもどろのツバキは「ええと、アニキがいうなら、そうしようかな」と何度か頷いた。相手を教えると耳まで赤くなって「でもそれは、アニキの、あの、えっと」「いいんだよ、嬶がうるせぇから……」オレはため息をついた。ツバキはちらちらと周囲を確認して「ボク実は……」前からあの女に惚れていたのだ、と打ち明けてくれた。だからここまで赤くなったのか、わかりやすいやつめ。
「で、でもその、向こうの意思とか」
「そこはオレがなんとかする」
 さあ、ここで最も難しいのが女の説得だ。大人しい女だが、激昂してなにをされるか分からない。なにせ「おまえを捨てる」と宣言されるのだから、初めの頃とは比べ物にならないくらい泣き喚くかもしれないのだ。
 閉じた空間で話すのは恐ろしかったので、浜辺に誘って話すことにした。海風が気持ちいい。柔らかい髪をなびかせながら、女はなにかを悟ったような目をしている。
「あのな――実は……」
 オレの方が女の顔を見られない。夕陽を眺めるふりをして、なにも見ないよう視線をずっと落としている。
「……わたし、分かってます」
 後ろから小さい声で、でも有無を言わさぬ強い口調で返事があった。「セキさんに幸せでいてほしいから、わたしはどこへなりとでもゆきます。いままで可愛がってくださりありがとうございました」そんな健気なことを言われたらたまらない。小さい身体を抱擁したい気持ちを堪え「おう、じゃああしたツバキの家でな」とだけ言って逃げるように帰った。とても情けなかった。
 ツバキは完全にのぼせ上がっていた。式などしなくてもよいからとにかく一緒になりたい、大切にするからとオレの目の前で口説くので苦笑いをしてしまう。嬶も満足そうな顔をしていた。
 ツバキと――その嫁には新しい住まいをやることにした。子どもができたときのことを考え、少し大きめの家宅だ。オレの住まいとは逆の位置にある。これは誰かが仕組んだものだろうか。いや、いい。あいつの人生にオレはもう登場しないのだ。オレはあいつを捨てた。オレの幸せのために身を引く、という殊勝な態度にも惚れ直したがもうなにもかも遅いのだった。
――さてそれから一月過ぎ二月過ぎ、三月が経った。嬶とはそこそこ上手くやれている。互いの努力の結果だ。
 別の集落の親戚に会いに行くから二日は帰らない、と嬶が言うのでオレはふっとあの女を思い出した。三月も顔を見ていない。優しくて働き者のツバキといるとはいえ、そろそろオレが恋しくなっているのではないか――自分勝手な妄想だが、いままでのあいつを考えると十分ありうることだった。やつらの生活が順調かどうかは聞いていないし、様子を見るだけ……と自分に言い訳し、草履を履いて家を飛び出した。
 犬柘植に囲まれた家屋はよく目立つ。隠れるのも変だが目立たないように近づき、様子を伺ってみた。縁側に座ったツバキが「お茶が入ったよう」と庭に声をかけた。むく、と立ち上がったのはあの女で「枇杷が成ってます。食べますか」とにこやかに夫に返事をする。そこらの女が着ているのと同じ着物を襷掛けにし、手先は汚れていた。驚いて凝視してしまう。
「畑の西瓜も小さいのができてます。じきに食べられますよ」
「楽しみだなぁ」
 ふたりは楽しげに会話しながら並んで縁側に腰掛けた。
 まるで別人なのに、優しい物言いはあの女そのものだ。笑顔もオレといたときの影があるものとは違う、心底楽しそうな表情だ。ああ、果たしてどちらが本当の彼女なのだろう。考えれば、どうせオレにとって都合の悪い結論になるに決まっている。
 足音を立てないようゆっくり帰る。思い出もなにもかも美しいままに閉じ込めておくべきだったのだ。一度逃げた鳥はもう帰ってこない。本当に羽ばたく楽しさを知ってしまったのだから。

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