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アイビー


 ぬるい風にレースのカーテンが揺れる。同じリズムで隣に座るお姉さんの髪もふわふわとそよいだ。窓際の観葉植物が気持ちよさそうにしている。そんなに寒くなかったので黒いカーディガンを脱いだ。
 退屈な数式とつまらない問題文に飽いていたら丁度良く彼女が「もう終わろうか」と提案してくれた。おれは瞬きくらい僅かに頷いて能動的にそれを受け入れていない風を装う。
「今日もお疲れ様、ネズくんは賢いね」
「いえ……はい」
 否定しようとして、でもいままで勉強を教えてくれた本人の前でそう言うのも失礼だと気づいて慌ててまた頷いた。本人はまったく気にしていない様子であくびを噛み殺す。
「寝不足でさ、全然ちゃんとできなかった、ごめん」
「映画でも観てたんですか」
「ううん、なんか首が痛くて眠れなかったんだよね」
 そう言って首を指差すが見た目には分からない。薄い皮膚のしたに蛇のように血管が走っているのが綺麗に見える。腫れているとか怪我をしているとかそういった原因ではなさそうだ。「で、首が痛いのを庇ってたらだんだん背中とか腕も痛くなってきて……もう全身痛いの」「運動しました?」「してない、しないよ」当たり前みたいに笑われるから自分の質問がおかしいのかと思ってしまうが、きっとふつうの問いかけだったはずだ。わざわざ服をずらしてまで晒されたしろい首にどきどきして目を逸らす。
「ここが特に痛いっていうか、凝ってる。ここ」
 今度は背中を向けて真ん中辺りを指で差した。
「ちょっとマッサージしてくれない?」
「え」
「わたしよりはそういうの慣れてるでしょ」
 違うともそうとも答えないうちにお姉さんはベッドにうつ伏せに転がった。さらに手首を掴まれて「ほら、お願い」と可愛く言われてしまっては、思春期のおれは断れない。「……ひとにしたことないから、知りませんよ……」と言い訳めいたことを呟きながら彼女の身体と向き合う。首筋に触れてみると思っていたよりも暖かくて心臓がぎゅっとした。
 呼吸に合わせて動く肩甲骨に指先を置いて少し強めに押す。誰かにしてやったことがないのは本当だったので「痛くないですか?」と伺ってみる。「うん、きもちいよぉ」返事の声は外気に溶けるバニラアイスみたいだった。「上手だよ」リラックスしきった声音にほっとして同じ調子でマッサージを続ける。おれを信用しきっただらけた姿は却って淫美に感じられた。
 背骨に沿って背中の真ん中に触れると、下着を着けていないのが分かってぎょっとした。変な声が出そうになって堪える。よくないと頭では理解できても、手は止まらなかった。親切心と下心が半分半分だった。「んん……」眠気に抗う子どものような吐息を漏らし、お姉さんはおれにされるがままだ。すごく柔らかい、首も背中も腕も腰も、ぜんぶ。
「じょうず」
 また褒められた。勉強で褒められるよりもずっと嬉しくて口元が緩む。いまなら簡単にこれ以上のことに及べるのではないかと思う。この細い身体に乗り上げてシーツに押しつけて、抵抗されないうちにすべてを終わらせてみたい。むしろいまの彼女なら受け入れてくれるのではないかとさえ思った。
「脚もしますか?」
 自然な口調を意識してそう尋ねる。肩は動いているのに返事はなかなかなくて、しばらく待ってみた。「おねぇさん」揺すぶっても規則正しい呼吸音が聞こえるばかり。
「……寝ないでくださいよ」
 おれの口から溢れたのは文句というよりは躊躇い、不安だった。こんなに腹のしたが熱くなっているのにひとりで残されて、おれは理性を保ったままこの場から立ち去れるのだろうか。
 彼女の耳元に顔を近づける。眠っているか確かめるふりをして、思い切り彼女から溢れるにおいを吸い込んだ。知っているどんな花よりも菓子よりも甘くて不思議な香り。
 起きてください、起きてくれないとおれの手が勝手に変なところに触っちまいますよ。笑いながらそう言えたらどんなにいいだろう。実際のおれは既に息を荒くしてスカートの下に手を伸ばそうとしている。
「――します、からね」
 無言は肯定と同じだ。嫌ならいますぐおれの手を払ってそういうのはやめようね、とか言ってくれるはずだから。
 腰から尻に指を動かし、脚の付け根を親指で揉む。柔らかすぎてそのまま指がどこまでも沈んでいきそう。筋肉なんてなさそうな身体は、本当に菓子でできているのかもしれない。「ん、」と小さい声で反応されては、もうおれはひとつのことしか考えられなくなってしまった。
 吸い寄せられて彼女のうなじに鼻を埋める。たまらない、毒気のある優しい香りだ。シャンプーの匂いかコンディショナーの匂いか香水なのかはおれには分からなかった。それらが脳と下腹部にダイレクトに作用して、お姉さんの小さい身体のうえで下半身がさらに熱くなるのを感じる。脚の付け根の奥。そこになにがあるか知っていても、見たことはない。でも本能的に身体がそこを求めていた。
 体重をかけないように覆い被さり、できるだけ息を殺す。下着からそれを取り出して彼女のどこにも触れないよう片手で握った。先走りが服を汚さないよう、火照った性器がどこにも触れないよう腰をやや高く上げる。
「ふ……っ、う」
 彼女のことを考えてのオナニーなんて何度もした。数えきれないくらい。でもいつもは自分の部屋でするだけだ。いまは、彼女が目の前にいる。興奮に目が眩んだ。「は、ぁ……あ……」止め処なく出てくる先走りを指につけ、いつもと同じように先端を手のひらでくるくると刺激する。
 髪のにおいを嗅ぎながら自分のものをいじっている光景はこの世でいちばん惨めなものだろう。すぐそこにいるのにひとつも手出しできなくて自分を慰めるだけ。そのシチュエーションにまた興奮して手の動きが速まる。頭の奥が痺れる。
 いいにおい、やわらかい、きもちいい、自分でしているのに、まるでおねえさんとセックスしているみたいだ。
 まともに考えることもできなくなって、ただはぁはぁと獣のような息を吐くだけ。粘着質なぐちゅぐちゅという音と、その吐息だけが広がる部屋でおれはいろんな感情のために死にそうだった。
 薄いスカートを捲れば生の太腿が、その奥の下着と、その奥まですぐ触れられる。触りたい。もっとしたい。でもさすがに起こしてしまうだろうか。――いま起きたとしたら、彼女はどんな顔をするんだろう。軽蔑して、二度と部屋に入れてくれないかもしれない。想像するとぞくぞくした。
「あ、あ……っ」
 精液が駆け上ってくる。どうしよう、このままだと彼女のものを汚してしまう。咄嗟に、最初に脱いだ自分のカーディガンにぶち撒けた。べとつく感覚が気持ち悪いがほかにどうしようもない。
 ちら、と彼女を見る。相変わらず眠っていて、おれがなにをしたか気付いていない、ように思えた。そうであってくれと願ってみる。まだ快感のかけらが残る胸が自分への嫌悪感にわずかに震えた。
 起こさないようにゆっくり身を引き、手を洗う。何度も何度も何度も。生身の彼女に欲情してしまったという罪悪感から、すべてを洗い流すように血が出るくらい手を擦った。
 部屋に戻ると、今度は仰向けで気持ちよさそうに寝ているお姉さんが目に飛び込んできた。くらくらして、もう過ちを犯さないよう「おれ帰ります、ありがとうございました」と早口で捲し立てて荷物をまとめた。お姉さんは寝ぼけた声で「ぁ、寝てた、かも、ごめん」と顔を上げる。
「またしてね、ネズくん」
 もうなにも返事ができなくて、カーディガンをぎゅうっと抱きしめたまま逃げるように家を出た。心臓の音がうるさい。街の雑踏もなにも耳に入らないくらい高潮していた。
 まだ手のひらにはあの温かさと柔らかさが残っていて、心なしかいいにおいもついてきている。走って自分の部屋に帰り、さっきのことを思い出してまた自慰をした。ネズくん、と呼ぶ蕩けた声がいつまでの耳の奥に残っている。
 また手を洗って水を飲んでから、お姉さんから一通のメッセージが来ているのに気付いた。そういえば次の勉強会について日程を決めていなかった。スケジュールに関することだろうとアプリを立ち上げる。
「いくじなし」
 白い背景に並んだたったの五文字に、大きな声で糾弾されたように思えた。その場で崩れ落ちる。
 だって、おれはまだ子どもなのに、お姉さんを傷つけるのはよくないと思っていたのに、どうしていまさらそんなこと言うんですか。喉の奥でお姉さんに言いたいことが詰まって、でもどれもきちんとした言葉にできなくて、お姉さんからのメッセージは既読無視にした。情けない自分と、余裕ぶっているお姉さんへの、せめてもの仕返しだった。

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