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三つのお願い


「実はおれ、魔法が使えましてね」
 フレンチトーストを作っていたらネズくんが変なことを言いだした。先日ふたりで観に行った映画の影響だろうか。わたしは返事をせずに食パンの耳を齧る。
「だからきみの願いを三つ叶えてあげられます」
「ボウル洗って」
「そういうのじゃなくて」
 卵液が入っていたボウルを差し出したらやんわりと拒否された。ネズくんはランプから出てきた魔神じゃないし、魔法も使えないただの人間だ。また無視してフライパンの蓋を取り、パンに焦げ目がついたか確かめる。バターとバニラのいいにおいがキッチンに広がった。パンをひっくり返してあと五分くらい。
「じゃあおいしいフレンチトースト作って」
「もうできてます」
「そうだね」
「なんか、ないんですか?」
 後ろから抱きしめられる。シャワーを浴びてきたばかりのネズくんからは石鹸の純粋な香りがする。頭のてっぺんに彼の息遣いを感じながら、手早くココアも作った。ミミロル印、甘さとカロリー控えめココア。ミルクを使わなくても作れるお手軽インスタントココアに今朝はネズくんがいるからマシュマロも浮かべてあげる。
「なんでもいいの?」
「ルールはあります。ひとつ、ひとを殺すのは駄目。ふたつ、死人を蘇らせるのも駄目。みっつ、ひとの気持ちを変えさせるのも駄目です」
「厳しいね」
「安易に叶えると人間界がめちゃくちゃになりますから」
「フレンチトーストできたよ。お皿に載っけるから腕どけて」
 しっしと追い払うと彼は渋々離れてくれた。子どもと大人みたいな戯れだ。綺麗に盛り付けてメープルシロップと粉砂糖をかけて、白いクロスを引いたテーブルにそっと置く。ココアはそのまま手渡した。
「三つじゃ足りないかも。願い事を増やすのは?」
「聞けません。三つだけです」
「うーん」
 椅子を引き、向かい合って座る。いただきますと同時に言ってナイフとフォークを手に取った。ネズくんはカップを持ったまま「どうします?」と再び問いかける。
「世界一のお金持ちになるのはどうかな。あしたの朝でいいから口座に非課税の何兆円……」
「あさましい」
「できないの?」
「できますが、しません。世界中の富の分配は決まっているので、いますぐきみに大金を渡すのは、その、ルール違反です」
 咄嗟の返答にしてはよく考えられている。ちょっと感心して、あさましいと言われたことに怒るより前に「ああ、なるほど」と思わず大きな相槌を打った。
「世界平和は?」
「よく次々にそんな心にもないこと思いつきますね」
 ひどい言い草にテーブルの下で脚を蹴ってやった。ネズくんはにやりと笑って「それも理由がひとつではないので、急に一度に解決はしません。難しいですね」難しくしてるのは自分のくせに。パンを口に運び、咀嚼しつつまた考える。
「みんなどんなお願いをするのかな」
「そうですね。例えば窮地に陥った自分を助けてほしいとか、絶世の美男美女にしてほしいとか、そんな感じです」
「それはできるんだ」
「時と場合に依るとしか」
「できるんなら世界一の美女にしてよ」
「もうなってます」
 わたしが少し思案していた間にとっととトーストを平らげたネズくんがじっとりした目でこっちを眺めている。大嘘つきにも正直ものにも見える不思議な顔つきだ。少なくともいまの言葉は嘘ではないと信じたい。彼にとっては。
「お皿洗うのは?」
「お願いされなくてもやりますよ」
「あしたも?」
「それはどうでしょうね」
 彼はそう答えて肩を竦めてからココアを飲み干した。口の端についたココアをぺろりと舐める仕草がやっぱり子どもっぽい。あんなことやこんなこともするのに、時折みせるこんなところがすごく可愛いと思ってしまう。もしかしたら彼を構成する要素のうちでもっとも好ましいかもしれない。わたしに甘えているのがよく分かるから、どうしたって嫌いになれなくて、だいすきなまま。
「じゃあ、ネズくんがいまの恋人と別れるようにできる?」
 薄い唇が事務的に「むりです」と動いた。
「それはひとの気持ちを変えることになりますから」
 最初の方の台詞をなぞる声色は極めて冷静だ。頭ごなしに否定するのでなくきちんとルールに則って拒まれると、わたしはそれ以上なにも言えなくなる。
「わたしをずっとすきでいてほしいって願うのもルール違反だね」
 一瞬ネズくんが眉を顰める。「はい」さっきより声に張りがない。「なるほど」なんと言えばわたしが反論しないかを考えながら返事している感じ。別にわたしだって朝から口論したいわけじゃない。
「それはまあ、気持ちを変えることにはなりませんけど」
「じゃひとつめはそれね。ふたつめは――今日泊まっていって」
「困らせないでくださいよ」
「なんで? できないなら断っていいよ」
 今度はネズくんがどうしようもない駄々っ子を相手にする表情でわたしを見る。ぬるくなったパンを口に放り込んで「できないの?」と煽った。
「……できます」
「はぁい。それなら最後は明日の朝のお皿洗いね」
 ふう、と大きく息を吐く。「彼女さんから電話だよ。出てあげて」スマホを指さしたらネズくんはもっと眉を顰めて「いまはいいです」と呟いた。そっか、もう願い事三つとも使い終わったから聞いてくれないんだ。ずるいねと何気なくこぼす。ネズくんは返事をせず窓の外を見ていた。

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