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恋より遠い


 自分のファンへの対応、いわゆるファンサが手厚いことで有名なのはダンデさんだ。オフの日でも写真オーケー、握手もしてくれて、話せばバトルについてのアドバイスなんかもくれるらしく、それまでファンでなかったとしても応援するようになると聞いたことがある。それも老若男女、誰でも分け隔てなく行うのでいやでも好感度は上がってしまう。本人はなにも考えていないとしても。それと同じくらいサービス精神が旺盛なのがマクワさん。ファンレターにはサイン入りで返事をくれるとか。カブさんやヤローさんも、彼らほどではないけれど優しいらしい。キバナさんは可愛い女の子にはとんでもない神対応で、上手くやれば繋がることもできると追っかけが言っていた。それはちょっとどうなんだ、と僕は思う。
 僕がいちばん接することがあるのはネズさんだ。というのも毎日奴隷のように働いているライブハウスで彼は月に一度は必ずライブをするから。音響周りで走り回っている僕は必然的に顔を合わせるし、楽屋で頼み事をされて使いっ走りをすることもあるので言葉を交わすことになる。ネズさんは言葉は少なめだけど優しい。でもファンへの対応はとても冷たい。
「出待ち禁止でーす、集まらないでくださーい」
 何度も言っても心が強いファンたちは無視して楽屋裏に座り込んでいる。気弱な僕は強めに言えなくて困ってしまうけど、どうせネズさんは全員に対して「はあ」「へえ」「どうも」なのだから関係ない。ありがとうも言わないからクールというか硬派というか。とにかくファンサービスとかそういうものとは無縁に見える。
「新曲聴けてよかったです、歌詞がすっごく良くて泣いちゃいそうでした」
「はあ」
「ネズさんのライブに来ると生きてるっていいなあって思うんです!」
「へえ」
「これ差し入れの煙草です。いつものですけど。えへ」
 だからいつも来ている女の人がライブの感想とかをいつも通り一生懸命伝えているのをいつもと同じように冷淡に聞き流すネズさんを横目に掃除をしながら、モテすぎるとこうなってしまうのかな、とかなんとか考えていた。その女の人は僕が勤め始めてから、だからもう何年も、ずうっと毎月欠かさずネズさんのライブに来ている。フェスがあったらそっちにも行くし、他のハコでやっててもちゃんと行く大ファンのうちのひとり。特別綺麗というわけじゃないしスタイル抜群でもない。平凡でふつうでどこにでもいそうな女の人。エール団みたいに派手な格好もしていない。えへ、と笑うときはえくぼができるけど、目立つのはそれくらい。写真を見ずに似顔絵を描けといわれたら困ってしまうような、そんなひと。
「どうも」
 ネズさんは手紙と紙袋を受け取って小さくお辞儀をした。そんなに熱心な女性相手なら、僕だったらサインくらいはしてあげるだろうし、ツーショットや握手も安いもんだ。だって毎回煙草をカートンでくれるんだぜ。なのにネズさんはそんな軟派なことはせず、お辞儀だけ。きっと彼女もネズさんのそんなところが好きなんだろう。
「また次のライブで! 楽しみにしてます!」
 笑顔で立ち去る彼女の姿が見えなくなってからネズさんはバイクに乗る。「じゃ、また」ヘルメットをかぶる直前に小さく僕に挨拶し、けたたましいエンジン音とともに彼も消えていった。



 禁煙と大きく書かれた楽屋のドアから細い煙草を咥えたネズさんが顔を出し、「ギターとエフェクター、いつもと違うのがあるんですよ、音響チェックさせてください」と僕の腕を掴んだ。「あ、はい」いつもはリハなんか真面目にしないのにさすがに楽器が変わると慎重だ。本番でエラーがあったら全部僕のせいになるから慌ててステージに向かうネズさんについていく。昨日あんまり眠れなかったから少しぼうっとしているけど、特別なことはしていないからなにも考えなくても手は動く。半分白目を剥きつつ作業しているとネズさんは「きみは面白い顔をしてますね」と皮肉なのか冗談なのか分からないことを小声で言った。「よく言われます」僕もよく分からない返事をした。
「大丈夫そうです」
「どうも」
 こういうときもネズさんはありがとうとは言わない。クールだ。でもステージ上で煙草はやめてほしいんだけど。
「開演まであと一時間でーす」
 タブレットを片手に歌詞や告知事項を口のなかでぶつぶつ唱えるネズさんはスタッフの声に返事をしなかった。入場が始まっているからバーカン辺りは一層ばたばたしている。整理番号が若いファンは血眼になってステージ前、最前列を取ろうと熾烈な戦いを繰り広げていた。どこで聴いたって同じだろうに、目が合ったとか指差してもらえたとかそういうどうでもいいことで悦に入るために騒いでいるのだ。
 本番三十分前、十五分前、五分前――SEが大きく鳴り響く。スタッフもファンもそわそわし始める。三分前、一分前――「行ってきます」大きな拍手が鳴り響くフロアにただひとり冷静なネズさんが歩みを進める。ピンクの淫靡なライトに照らされた彼の横顔はつくりもののように整っていた。
 拍手が徐々に鳴り止み、いつもの口上でライブが始まる。ギターを持ったネズさんを袖から見守りながら僕は寝そうになっていた。ドラムがリズムを取り、ベースが低く唸る。次にネズさんがバカみたいにデカい音量でギターをかき鳴らすはずだ。
「あれ、ネズさんどうしたのかな」
 ところがギターを持ったネズさんが迷子のように呆けて立ち尽くしているから周りがざわつき始めた。なにか考えている風でもなく、むしろなにも考えられない、といった様子の顔だった。
「ちょっと、すみません」
 マイクを通して広がった彼の声は震えていて頼りないもので、僕たちは大慌てで照明を落としたりマイクを切ったりした。訳もわからないまま少々お待ちくださいとアナウンスし、放心した表情のネズさんにスポドリを手渡す。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃ、ねぇけど、やります」
 こんなネズさんは初めて見る。深呼吸を何度かして、ネズさんはさっきと同じように、でも心なしか力なくステージに向かっていった。
 そこからライブ自体は恙なく進行した。いつにも増してMCが少なかったのと次のライブについての告知をし忘れたのは皆が気づいていたが、誰も指摘しなかった。
「お疲れ様でした」
「……なかった、」
「え?」
「いなかった、あいつ、来なかった」
 パイプ椅子に座ったネズさんが頭を抱え、吐き出すように呟く。ほとんど独り言のように小さい声だったから僕以外には聞こえなかったみたいで、足を止めたのは僕だけだった。
「来るって言ったのに、あいつ、約束したのに、どこにも……」
「あいつって誰です」
 思わず返事をするとネズさんは頭を抱えたまま「手紙と煙草をくれる、あいつ」と応えた。あいつ。ああ、あの地味なひと。他にいつも来る強烈なひとたちがいるから特別に思い出すことはなかったけど、確かにいなかったかもしれない。
「え、どの客がどこにいるかちゃんと把握してるんですか」
 僕の間抜けな声にネズさんはようやく顔を上げる。つくりもののように綺麗な顔は、真っ青になっていた。
「だって、おれは、あいつがいないと」
 薄い唇がおよそネズさんらしくない言葉を漏らす。自分の耳がおかしくなったのかと思った。「あいつは仕事があってもおれのライブを優先するんです、おれの曲があるから生きるのが楽しいって、おれのライブが生きがいだって、言ってた、のに」声がどんどん弱々しくなってゆく。
「それあのひとが聴いたら喜ぶでしょうね」
 寝不足のせいなのか頭が悪いのか、そのどちらもなのか、僕は思ったまま喋ってしまった。でも、だって、そうだろう。ネズさんの大ファンなんだからそこまで気にかけられて嬉しくないはずがない。自分がいないというだけでライブひとつを駄目にしかけるくらいに思われているのだ。それはもうファンとアーティストの関係を超えたところにあるんじゃないだろうか。
 ネズさんは大きな手で顔を覆う。「ちがう、あいつはそうじゃない」椅子に座ったまま項垂れ、また僕にしか聞こえない声で「あいつはネズの音楽がすきなだけで、おれをすきなわけじゃない」と続けた。
「あいつはおれ自身にはまるで興味ないんです、おれの曲と歌詞がすきなだけ、おれに価値はない、おれはあいつをすきになる資格なんかないんです」
「そんなことは」
 ないと思いますけど、と言いたいのに口がうまく動かない。
「あいつ、来なかった――」
 苦しそうにそう繰り返すネズさんは、顔は見えないけれど泣いているようだった。



「先月のライブ行けなかったんです、チケットは取ってたんですけど妹が倒れちゃって」
「はあ」
「あ、もう元気なんですけど! 病院の付き添いとか大変で」
「へえ」
「だから今日のライブとっても楽しかったです。来週の対バンも行きますね! これ差し入れです!」
「どうも」
 僕はまた裏口の掃除をしながらふたりの会話を盗み聞きしていた。いつも通りライブの感想を一生懸命伝える地味な女性にいつも通りクールな返事をするネズさん。先のライブではあんなに動揺していたというのに、本人を前にするとこうだ。
「いつも素敵な曲ありがとうございます、えへ」
 えくぼを作って微笑む彼女に、ネズさんが一瞬だけ眩しそうな顔をする。でも決してありがとうなどとは言わず小さく頭を下げるだけ。でも僕はもう冷たいな、とは思わなかった。冷淡で整った表情のしたに、寂寞に歪む本当の顔を見た気がしたから。

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