労力をかけて嫌いなものを食べる趣味こそないが、供されたものを拒絶するほどの意志もない。一ヶ月前のカレーとか総スパンコールで虹色に輝くセットアップとかバツがふたつついたシングルマザーとか、おれの手に負えないものは積極的に避ける。つまり基本的に好き嫌いがないのだ。それは長所ではあるが同時に致命的な短所でもある。 連絡してから三十分、急いだ様子でもなく女は現れた。駅、と伝えただけなのにおれがいる出口を的確に見つけて。 「寒い」 ポリエステル100%のブラウス、コーデュロイの膝上ジャンパースカート、レースのクルーソックスに合皮のメリージェーン、あちこちにサテンリボン、ハートのスカラップ、極め付きはぬいぐるみみたいなマホイップのリュック。スモーキーピンクとミルク色と黒でまとめられた装飾過多なファッションは胸焼けするほど甘いケーキを思わせた。 「寒いならタイツ履いたらどうです」 着けている意味がいまいち見出せないハーネスを眺めつつ指摘すると「分かってないなあ」という顔をされただけで、返事はなかった。代わりにおれの首へ腕を伸ばしてぶら下がるように抱きついてくる。酒のにおいがした。 「飲んでますか」 「さっきまでお店にいたから。早退してきちゃった」 肩口に顎を置いて「せっかく太客来てたのに」と文句を垂れるから謝ろうとしたらするりと離れていく。じゃらじゃらとシルバーのリングをつけた指先がおれの手首を掴んだ。「行こ、ネズくん」どこに連れて行かれるかも知らないのに。 彼女のファッションはまったくおれの趣味ではない。わざとらしい涙袋も大袈裟なアイラインも幼稚なチークも、どれを取っても好みではなかった。呼べば来る、それなりに可愛い、おれを好いている。それだけの理由で定期的に会う。主にセックスをする目的で。 「今日どこでやったの?」 「いつもの箱です」 「行きたかったな。あれやった?」 「やってません。よかったですね」 友達のようになんでもない会話をする。今日のライブのこと、仕事のこと、寒いこと、欲しいものがあること。どれも大したことではない。おれたちは決して重要な話はしないから、気を抜くと数秒前の会話も忘れて「今日どこでやったんだっけ?」「いつものところです」とお互いに間抜けな話を繰り返す羽目になる。 五分程度歩くと目をつけておいた安いラブホテルに着いた。適当な部屋を選んでエレベーターに乗ると、女は目薬をしてぱちぱち瞬きをする。明るいところで見ると耳がほんのり赤い。余程寒いのだろう。 「シャワー浴びてくる」 どうぞと応える前にリュックを投げ、服をぽいぽいと脱ぎ捨てる。およそ一ヶ月ぶりに見る彼女の裸の後ろ姿は相変わらず細くて白くて、薄明るい照明の下では思春期の子供のように見えた。手持ち無沙汰になったので煙草を吸いながらスマホを弄るが、収穫はない。お疲れ様でしたという連絡に既読をつけ、無意味に電子書籍のアプリを開いたり閉じたりする。無意味といえばすべてが無意味だ。いまからなされる行為も、すべて。 メイクが崩れないよう上手にシャワーを浴びた彼女が下着だけ纏って戻ってくる。「なにしてんの」「なにも」「ふぅん」無意味な会話だ。 寝転がっているおれのうえに跨り、じいっと見つめてくる目は潤んでいる。 「あ」 「なに」 「タトゥー増えてますね」 胸元になにか知らない花が咲いていて、何気なく指でつついた。 「オーニソガラム」 「……へぇ」 知らない花だったので気の利いたことも言えず口籠る。手首の薔薇や星、背中の羽根なんかは分かりやすいが、全体で見ると思想のない落書き染みていた。 「前にネズくんが言ってたでしょ」 「は」 「腕とか脚切るくらいならタトゥーにしろって」 言っただろうか。でもおれなら言いそうだ。セックスのときに彼女の傷だらけの身体を見るのが嫌で――恐らく自分が責められているような気分になる、という身勝手な理由だが――無責任に言ったに違いない。 「可愛い?」 「似合ってます」 へへ、と笑う彼女がぐっと顔を近づけてきて口づけをねだる。「ネズくん、好き」珍しくそんなことを言うから驚いて目を見張った。そんなこと――そんな面倒くさいことを言わないからこの関係が続いているというのに。 「あのね、いいこと教えてあげる」 真っ赤な唇が歪み、さらに顔が近づく。耳元で「地雷っていうのは離れなきゃ爆発しないんだよ」と囁かれ、固唾を飲んだ。 「ずっと一緒だよ、ネズくん」 そのままキスをされ、ぬるりとした感触に意識を持って行かれる。身体は呆れるほど正直だった。 「あいしてる」 腰を振りながらそんな愚かしい言葉を吐いたのはどちらだっただろう。おれでもないし、彼女でもない気がした。 - - - - - - - |