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モンブランケーキ


――ティーカップ、テーブルクロス、ケーキナイフ、モンブラン――現世は寂しいミュージシャンと少女趣味な追っかけ。あたしたちはきっと、今度こそ幸せになれる。



 からんからんと細い柄がティーカップとぶつかって寝起きのいい朝みたいな音を立てる。ピンクの唇から舌が少しだけ出て、行儀悪く匙の先を舐めた。「まだ苦いかも」呆れるほど砂糖を入れたのにまだまだ足りないらしい。
「で」
 いつまでも話し始めないのでおれの方から切り出すことにする。
「きみは前世の記憶があるって言うんですね」
「ケーキいつ来ますか?」
「すぐお持ちします」
「はぁい」
「無視しないでください、そっちから絡んできたのに」
 白いレースのテーブルクロスを指先で弄りながら「絡んでないもん」と子どもっぽい喋り方をする正面に座った女の年齢は分からない。分かるのは黒目が大きいのはカラコンであることと、ナチュラルに見えるメイクは実際には完全武装であること、全身が不必要にフリフリヒラヒラしていることだ。頭にくっついた大きなリボンにはワンピースと同じ生地が使われている。ナボコフはこの幼稚なファッションに自分の代表作と同じ名称が使われているのを知ったらどんな顔をするだろう。いつの間にかケーキも頼みやがって。おれが支払うのに。高いものじゃないといいが。
「前世だけじゃないよ、ずっとずっとネズさんに会うために生きてきたの」
「はあ」
「生きて、死んで、生まれ変わって、ずっと追っかけてるの」
「へえ」
 もう一度丁寧に聞いても同じような返事しかできなかった。あまりにも突拍子もない、さりとて新鮮味もない話だったからだ。
 そういえば昔、思い込みの激しい女に刺されたことがあったっけ。「一緒に死んで」と言われたような気がする。また刺されるのだろうか。安易な誘いに乗ってこんなところに来るんじゃなかった。こんなところが陽当たりのいい明るいカフェだったとしても。無意識に刺された箇所をさすっていたようで「お腹痛い?」と訊かれた。静かに首を横に振る。
「今時、学生でももっとマシな妄想してます」
「そうだね、妄想ならもっとロマンチックだよ」
 偽物の睫毛が桃色の頬に陰を落とした。
 ある時は王様と詩人、ある時は兵士とペテン師、娼婦と客、羊と犬。「カラスだった時はネズさんを探し当てる前に殺されちゃったけど」白い鳥で生まれた時代は平和の象徴として愛でられ、最期には撃たれて食われたと言う。
「いま思えば、あたしを食べたのはネズさんだったかも」
「やめてください、冤罪ですよ」
 ふわっとした髪の隙間から小さい耳が見えた。ファンシーな服とは正反対のハードなピアスがびっしりついている。変だなと思った。
「いっぱい辛いこともあるけど、ネズさんといるときは幸せなの。きっと最初の出会いがすごく素敵だったんだよ。どの記憶が最初か分かんないけどね。あたしが楽譜でネズさんがピアニストだったときにはさぁ……」
 詳しく聞けば聞くほど、なんだか歌詞のようでいいなと感じてしまう。どのシチュエーションも不穏で秀逸だ。こんなにもおれにしっくり来る妄想をするのは、この年齢不詳の女が上等なネズファンということの証左に違いない。おれのファンを自称するやつは少なくないが、世界観を完全に理解する者は決して多くないので、それだけでおれはこの女を少々好ましい人間だと認識し始めている。現金な野郎だ。
「……連絡先でも交換しますか」
「へぇっ?」
 おれの優しい提案に女がひっくり返った声を上げる。
「あ、そうか、そうだね、出会えたんだから今度の人生はふたりで幸せになりたいもんね」
「そこまでは」
 言ってないし言うつもりもない。しかし否定する前に勝手にスマホを操作し始めたので口を挟むタイミングを失う。まあいいかと思うことにした。この人生もどうせ死ぬまでの暇つぶしなのだ。
「ケーキ来ないなぁ」
 またテーブルクロスを弄りながら女が呟く。指先がほんのり赤く染まっていた。二度も催促するのは恥ずかしいのか、唇を尖らせるだけだ。目の前でもじもじされると気まずい。
「すみません、モンブランまだですか」
 仕方ないので忙しそうに歩き回るウェイターを呼び止め、おれが尋ねてやる。女はちょっと驚いた顔をして、それから「えへ」と笑った。目がなくなる。今日いちばんあどけない、愛らしい表情だった。つい目を背ける。心なしか傷跡の少し上の辺りが熱くなって居心地が悪くなった。



――ティーカップ、テーブルクロス、ケーキナイフ、モンブラン――現世は寂しいミュージシャンと少女趣味な追っかけ。あたしたちはきっとまた幸せになれる。紅茶とケーキでまたお話ししようね。

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