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嘘のひばり、明けの夜鷹


 彼女の吐く嘘は美しい。すべて偽りなのに、おれは喜んでしまう。おれが愛の言葉を囁くと「わたしもだよ」と優しく応え、抱きしめると同じように抱きしめ返してくれる。愛されていると錯覚してしまうのだ。なんて優しく、美しく、残酷なのだろう。
「今日は泊まっていけますか」
「始発で帰るけどね」
「……どうせ休みなのに」
 バスルームから出てきた彼女は背中が濡れたまま下着をつけ、雑にドライヤーで髪を乾かし始める。ベッドからたったの数メートルの距離なのにもどかしくて、邪魔になると分かっていても足許に擦り寄って甘えてしまう。困った顔の彼女はぽんとおれの頭を撫で「こら」と言葉だけで叱った。
「髪とか片付けるから、離れて」
 こんな中途半端な関係を続けているにも拘らず、というか、だからこそなのか、このひとは飽くまでおれを気遣ってくれる。綺麗好きだからというのは建前で、本当は明日この部屋におれの恋人が来るから見つからないためにそういうことをする。おれともおれの恋人とも違う色の細い髪がくしゃりと丸まってティッシュに包まれ、ゴミ箱に放り投げられた。それを確認してからまたふたりでベッドに寝転ぶ。この部屋に来るとき、彼女は香水もピアスもつけない。おれが縋るためのよすがをなにも残してくれないのだ。慣れている。さっきまでの汗もなにもかもをシャワーで洗い流し、いま腕のなかにあるのはただ人間のにおいがする柔らかい身体。嘘でできた虚しくて美しい身体だ。
「すぐ寝る?」
「眠いですか」
「ちょっと、疲れたかな」
 ネズがしつこいからね、と揶揄う言葉はたぶん真実だろう。ほんのりピンク色の指先がとんとんと肩を叩き、次に首筋をくすぐる。ぞくぞくして身体が熱くなった。もっと触ってほしいし、触れたいと思う。作り物の愛にしがみつきたい。
 彼女のすべてを偽りだというのなら、いまのおれだって嘘でできている。うとうとする彼女の耳許で「好きです」「ずっと一緒にいたい」「あなたといるときだけが幸せです」と愚昧に満ちた言葉を零し続け、彼女しか見えていないような男になろうとする。嘘だ、大嘘なのだ。実のところ、おれにはこのひととは別に恋人がいるし、その女を憎からず思っている。そして彼女もそのことをきちんと知っていて、こんな嘘で塗り固めた関係を続けてくれる。それが優しさでなく、なんなのだろう。
 せめて「恋人と別れてほしい」とでも言われれば、おれは喜んでそうする。その方が全員が間違いなく幸せになれるからだ。こんな状態でいまの正式な恋人に会っても不誠実なだけだ。向こうも、こんな誰とも知れない女とセックスしている恋人は嫌だろう。それならおれから別れを切り出せばいいのだが、ひとつの恐れがあった。――即ち、おれがいまの恋人と別れた瞬間に彼女に捨てられる可能性だ。大勢いる男のうちのひとりでさえ、いられなくなる。それは怖い。なによりも怖い。愛も嘘もなにもなくなってしまう。
 急に不安になり、腕のなかで眠りにつきそうになっていた彼女にキスをした。「なぁに」眠そうな反応を無視して何度も何度も唇を重ねる。そのうち彼女の方から舌を差し入れてきて、生温かくぬめったふたつが絡み、溶け合って、麻薬のように脳髄に沁み込んでゆく。もっともっとほしくなる。体温と味だけは嘘を吐かないから、彼女の肉体から離れられなくなる。
「だめだよ、シャワー浴びたから……」
 そんな言葉を聞き流し、脚を掴んで身体の中心を暴く。口先だけの抵抗はいつも通りだ。
「全部、ほしいんです」
 おれの愚かな睦言は、彼女のか細い喘ぎ声にかき消された。



 ネズの吐く嘘は幼稚だ。とても分かりやすくてこっちが恥ずかしくなる。反対に、心の底から吐き出している言葉は呪いのように重くて抱えきれない。わたしはそれを受け止めきれずに溺れそうになるから、ある程度は流すようにしている。
「今日は泊まっていけますか」
「始発で帰るけどね」
「……どうせ休みなのに」
 バスルームから出た途端にネズがくっついて甘えてきた。
「髪とか片付けるから、離れて」
 まったく、明日が休みだという些細なことすら嘘だ。本当は午後に恋人が来るとわたしはしっかり知っている。だから細心の注意を払って水回りに少しの痕跡も残さないよう片付けをした。綺麗になりすぎないよう、ただわたしがいたことだけが嘘になるよう。寄りかかるネズはどこまで理解しているのか分からないけれど。
「すぐ寝る?」
「眠いですか」
「ちょっと、疲れたかな」
 久しぶりに会ったせいか、今日の彼はいつもより激しかった。怠い身体をシーツに揺蕩わせ、あくびを噛み殺す。青白い腕が伸びてきて、わたしを閉じ込めた。肩から血管に沿って指を這わせ、首筋で止める。ネズが背中を震わせたのが分かった。もっと触ってほしいのだろうけど、そう簡単に思惑通りにはしたくない。
 彼はわたしの耳許で歌うように「好きです」「ずっと一緒にいたい」「あなたといるときだけが幸せです」と呪詛を唱え、わたししか見えていないような男になろうとする。時折わたしも同調してネズを喜ばせ、そのたびに自己嫌悪に陥る。いくら彼の愛の言葉を飲み込んでも、わたしは結局誰とでも寝る女なのだ。ネズが抱きしめているこの身体は、ひとつの場所に留まらない。昨日はあの男と寝た、その前はあの男と、その前は――きちんと恋人がいる分、ネズの方が立派な人間なのかもしれない。そんな彼はわたしの実際を知らないから――知っていたとしても目を逸らしているから、こんな嘘で塗り固めた関係を続けようとする。幼稚だ。幼稚で、愚昧で、優しくて、悲しい。
 せめてはっきりと「おれだけのものになってほしい」とでも言ってくれたらいい。そして彼も恋人と別れて、本当にわたしとずっと一緒にいれば良いのだ。そうしたらこんな嘘で塗り固めた会話なんてせずに、わたしもお気に入りの香水やピアスをつけた可愛らしい格好でネズと会えるのに。どうせわたしから離れられないくせに。
 なにかを考えていたらしいネズが身体を動かし、顔を近づけてくる。「なぁに」わたしの媚びた声は唇に蓋をされた。甘く、激しく、夢中になるキス。身体だけはどちらも正直で、触れ合う肌が熱くなる。
「だめだよ、シャワー浴びたから……」
 無視されると分かっていても抵抗してみせた。ネズを真似た幼稚な嘘。
「全部、ほしいんです」
 歌うような呪いの睦言が、カーテンから覗く白みゆく空に溶けて、消える。

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