×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




ロミオとメロス


 わたしは激怒した。あの我儘なナルシストの元彼を絶対に叱りつけないといけない。わたしは音楽には詳しくないが、少なくとも別れたあと勝手にふたりの思い出も曲にしていいはずがないのだ。わたしに一言あって然るべきである。有線でその曲を聴いたときは驚いた。わたしとネズしか知らないことがあの暗くてまっすぐな声で歌われている。カフェではいつも窓際に向かい合って、家のソファで座るときには彼が右側、ふたりでいるときのわたしの口癖は「いい加減にして」、思い出すのは些細なことばかり、きみに会いたくて死にそうだ――なんて悪趣味、最低、最悪! わたしとネズ以外には分からない内容だからこそ腹が立つ。
 もう二度と会わないつもりだった。でも我慢できない。
〈新曲聴いたよ、なにあれ、やめて〉
 もう半年も前に連絡が途絶えているアプリからメッセージを送る。気味の悪いことに一秒も経たずに既読のチェックがついた。
〈会いたいです。来てください〉
 素っ気ない文字列なのにやたらと重いのはあの頃のまま。
〈やだ。家は行かない。あの曲やめて、どうにかして〉
 少し間があって〈来てくれないと死んでやります〉と信じられない返事があった。「ああもう!」誰も聞いていないのに大声で吐き捨て、わたしは部屋着のまま家を出た。
 タクシーを拾って三十分、空がどんどん暗くなる。車から降りた瞬間、緩んで湿った風が頬を撫ぜた。まるでネズの肌みたいだと思ってぞわっとする。
 チャイムを派手に鳴らし、ついでに喧嘩みたいにノックもした。「どうぞ」足音が聞こえなかった。ずっと待っていたらしい。馬鹿みたい。遠慮なくドアを開けると両手を広げたネズが不健康な笑顔でわたしを見ていた。
「なに」
「ハグしちゃいけませんか」
「ふつうは別れた恋人にはしないよ」
 彼は少し考えた風な顔をして、そのままのポーズで靴を脱ぐわたしに近づいてくる。「ちょっと、」背中に腕を回される寸前で慌てて身体を引いた。
「わたしたち別れたんだよ」
「そうですね」
 結局そのまま抱きしめられてしまった。ネズがわたしの頭のてっぺんの匂いを嗅いでいる。うわあ、嫌だなあ。半年ぶりの彼の身体は相変わらず冷たくて湿っていて、細かった。「痩せた?」「はい、失恋の痛手で」また応えにくいことを。黙っていたらネズは顔を寄せ、キスしようとしてきた。思いきり叩いてそれを阻止する。
「そういうんじゃない、今日は文句言いにきたんだから」
「……聴いてくれたんですよね、嬉しいです。どうでしたか」
「最低だよ。いままででいちばん、最悪」
 腕の力が緩んだ隙にリビングまで小走りで向かう。相変わらず寂しい部屋。大きいソファに腰掛けると付き合っていたときのことを思い出す。日当たりの悪い部屋、どんな植物を置いてもすぐ枯れる部屋、ネズみたいな部屋。右側に座った彼は甘えるように身を寄せてくる。
 確かに、ネズからしたらひどい失恋だっただろう。自分でいうのは恥ずかしいが彼はかなり、信じられないくらいわたしに依存していた。それが快くてわたしも彼と一緒にいたのだけど、やっぱり上手くいかなかった。ミュージシャンとはそういうものなのか、ネズが元よりそういう人間だったのか、彼とはなにもかも合わなかった。朝起きて出社して夜帰るわたしと、夕方起きてから一歩も外に出ず制作をして朝方に寝るネズ。ご飯を食べるのがなによりの癒しのわたし、食に興味がなくエナジードリンクと酒が親友のネズ。晴れた日は出かけたいわたし、太陽が嫌いなネズ。だんだん「わたしはネズのどこが好きなのだろう」「付き合うって、どういうことだったっけ」と思い始め、具体的な部分を探し始めるともう駄目だった。別れよう、と言ったのは、だからわたしからだ。別れたい、と言った気がする。ネズは顔を歪めてなにも言わなかった。別れたくないならなにか言い訳でもするだろうと思ったのに、空振りだった。だからわたしたちは半年前にさようならをした――つもりだった。
「なんでわたしに断りもなく、あんなの書いたの」
「どうせ嫌だって言うでしょう」
「言うよ」
「だから訊かなかったんです」
 理屈は通っているが、だからまた腹が立つ。
「会いたくて死にそうでした」
「いい加減……」
 以前の口癖が出そうになって口を閉じた。
「……その言い方やめて」
「おまえ以外いないんです」
「いるよ、たくさんいるってば、もっとネズを理解してくれるひとがいる」
「別に理解されなくても、おまえがいいんです」
 青白い指が唇の端をなぞる。なにか言わなければ、と思って「好きなひといるから」と呟いた。指が一瞬止まったが、すぐにまた同じ動きを始めた。「おまえは嘘をつくとき下唇を舐めるんです。変わってないからすぐ分かる」ネズは嬉しそうだった。
「わたし怒ってるんだよ」
「いいです、それでも」
「よくない! あの曲もう流さないで、聴きたくない!」
「また付き合ってくれるなら」
 いつの間にかネズがわたしの上にいた。昏い顔は影と前髪のせいで表情がひとつも読めない。
「キスして、セックスして、家に来てくれて、好きだって言って、おれを甘やかしてください。そうしてくれないと、死んでやりますから」
 どこまでも自分に価値があると思っている、そういうところがネズらしくて嫌になる。
「いい加減にして」
 力が抜けたわたしの言葉に、ネズの唇が弧を描いた。喜んでいるようだった。

- - - - - - -