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インターネットやめろ


 特に隠すべきことでもないが、大声で言いふらすことでもない。訊かれたら答えはするが、わざわざ吹聴するものでもないと思う。だからおれに不眠症の恋人がいるという事実を知っているのはいわゆる関係者だけだった。
 ラブソングをほとんど歌わないおれの恋愛事情についてファンの野郎どもは興味がないし、キャーキャー言ってくれる女たちはあえて詮索しようとしない、もしくは自分がそのポジションに収まろうとする。なかには男でももちろんそういう人種はいて、そういう人間は決まっておれの中身をすべて知っているような顔をしやがる。ライブで観ただけ、音楽を聴いただけなのに。あまつさえおれがそいつ(ら)を分かっているとさえ誤解している。「自分を分かってくれるのはネズだけだ」と幻想を抱いているのだ。そんなはずがないのに。
「ネズくんはネズくんのことなんにも分かってないよ」
 もう寝ると宣言して一時間ほど経ってから、恋人が薄暗いおれの部屋に顔を出した。両手で握りしめたスマートフォンだけ煌々と輝き、彼女の青白い頬を鈍く照らしている。
「どうしました」
「なんでもない、寝る」
「スマホいじってると眠れませんよ」
「うるさい」
 どうやら不機嫌らしい。さっきまではふつうだったのだから寝る前になにかがあって不機嫌になった、というのが正確なところか。彼女は気まぐれでよく分からない。あの言い草からしておれのなにかが気に障ったようだが心当たりはなかった。ぺたぺたと足音が遠ざかる。部屋のドアが閉まる音を聞いてからふたたびヘッドフォンをした。あの様子だとこのあとセックスに誘っても嫌がられるだろう。引っかかれるかもしれない。甘噛みでなく本気で噛まれるかも。それもいいが、今日は彼女の意思を尊重することにした。明日のライブに向けて歌詞のおさらいを軽くして、ソファに寝転がる。目覚ましアラームと通話機能くらいしか使わないスマートフォンを腹に置いて目を閉じた。「ネズくんはネズくんのことなんにも分かってないよ」という意味深な台詞を反芻しながら、眠りに落ちるのに時間はかからなかった。



 また今日も熱心なファンが花道のように出待ちの列を作っている。一段と人数が多いように感じた。いい加減やめてほしくてげんなりした表情を作るけれどたぶんやつらからしたらいつものネズと変わらないだろう。ライブ後でちょっと疲れて見えるだけ。
「オレのデモテープ聴いてください!」
「サインお願いします!」
「今日もかっこよかったです!」
「大好き!」
 楽なのは前者二パターンだ。デモを受け取るだけ、サインするだけ。手を少し動かせば済む。面倒臭いのが後者二パターン。大抵はプレゼントや手紙(そこには確実に連絡先が細かく書いてある)を携え、おれが気の利いたことを言うまで去ろうとしない。目をキラキラさせて「あたしだけは特別」などと思い込んでいる。並ぶ顔はなんとなく見覚えがあるのに全員名前は分からない。おれは「いつもありがとうございます。また来てください」くらいしか言えないのに、それに大喜びするのが鬱陶しいうえに哀れでもある。こういうときはファンサービスが得意なキバナを羨ましく感じる。あいつには心がない。心がないから「オレさまも好きだぜー」などと軽はずみに返事をして女をさらに夢中にさせる。
「付き合ってください!」
 さて、そんなキバナならこの最も厄介な、最近急に増えているタイプのファンにどう答えるだろう。おれは精一杯当たり障りのない表情でスルーした。こういう要求はきっぱり断るべきなのか軽薄に返すべきなのかいまだに分からない。前髪が左目に刺さってちくちく痛む。
 手を振り花道を通り過ぎて、ついてくるファンがいないことを確認してから家に帰る。シャワーを浴びてからキッチンにあったバドワイザーを煽った。
「ただいま」
 ベッドサイドの小さい明かりの下でスマホをいじっている恋人に話しかける。返事はない。
「帰りましたけど」
 やっぱり返事がない。近寄って相変わらず青白い頬を撫ぜてみる。「やめて」また不機嫌だ。
「お酒のにおいする」
「帰ってから飲んだんです」
「どっか寄ってきたんじゃなくて?」
 彼女は眩しいディスプレイから目を離さず「別にいいけど」とふてくされたように呟く。画面をスクロールするたびに眉間の皺が深くなっていくのを見逃すことはできなかった。大袈裟にため息を吐いてスマホを取り上げる。
「おまえ、おれの噂でも目にしたんでしょう」
「噂じゃない、返して」
「イヤです」
 厄介なファンの厄介なところ。それはネット上に「やや誇張して」おれについて書くところだった。おれはライブ中誰の目も見ない。右下をぼんやり眺めたあと右上、左上、左下に視線を動かすだけ。それなのにやつらときたら「目が合った」だの「あたしだけを見てた」だのいいように解釈して喜んでいるらしい。らしい、というのはおれ自身はそれを見ないからだ。エゴサーチに余念のないキバナはおれのことまで検索して「オマエもやってんなぁ」とにやにやする。おまえと違って恋人以外に欲情しないと言ってもにやけるだけだ。
 ひどいものになると「この歌詞はあたしについて書いている」と主張する。そんなはずがない。どうしておれが知らない人間を思って歌詞を書かなければいけないのか。頭が痛くなるのでそういう書き込みは見ないのに、恋人は自分から探し回って読んで不機嫌になる。今夜もそれだろう。おれが他の女に目移りしたと勘違いしているのだ。そんなはずがないのに。
「たいしたことじゃないよ」
「じゃあどうして怒ってるんです」
「……うるさい」
「おれは、」
 ぐい、と顎を掴んでこちらを向かせる。鼻先がぶつかるくらい顔を近づけて「おれはおまえしか見てません」とかなり恥ずかしい宣言をした。
「おれはおれに関する噂全部は知りませんが、おまえのことしか考えてないことくらいは自分で分かります」
「……なにそれ」
 バドワイザーたった一瓶で酔うはずもないのに、頬が熱い。
「おまえがおれを大好きで、それで心配性なのも分かります」
「だ、だだ、だいすきとかじゃ」
「違うんですか?」
「……ちがわない」
 赤くなった耳にキスをして「おやすみ」と囁く。大きな瞳がおれを見上げる。今日はとびきり甘ったるいセックスができそうだ。肩に刺さる爪の柔い感触を想像して喉が鳴った。

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