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夏の夜の悪夢


 温い汗が胸を滑り落ちる。オレが額の汗を拭うと同じようにツバキも腕を動かした。自らの経験を語り終えたカイがふうっと蝋燭の火を吹き消す。数時間前にはとても明るかった板の間はもうすっかり暗くなっている。半分以上に減った蝋燭の灯りが囲炉裏を囲む人々の顔をちらちら照らし、真っ暗な外と家の中が一体化してしまいそうだった。
「次、博士どうぞ」
 カイが指示した。ラベン博士がおどおどと帽子を脱ぎ「ええと、蝋燭は終わってから消すんですね」と左右を見回した。
 初めに提案したのは誰だっただろう。百物語、とまではいかなくとも大勢が集まってたくさんの怪談を語る。そのたびに点けていた蝋燭の火を消し、最後のひとつを消し終わったら――どうなるか、確かめてやろうという目論見だった。オレの数え間違いでなければいままでに三十と幾つかの怪異が語られた。人数は限られているからひとりが複数の話をする。既にオレも短い話をみっつほど終えている。怖い・怖くないが重要ではなく、とにかくこのたくさんの蝋燭の灯りがひとつもなくなったとき、それを楽しみにしていた。そうだ、楽しみだったのは最初だけ。いまでは後悔している。締め切っているためかくらくらするし、なにより暑くて仕方ない。隣に震えるツバキが座っていると分かっていても、頼りない光源では別人のようにも思える。
 面白い催しですねと軽い気持ちで参加したらしいラベン博士は彼の故郷では有名だという怪談を長々と話して聞かせた。その見事な講談にオレたちはすっかり聞き入り、最後に彼が「男は黒猫のため絞首刑台に送りになったのです……ああほらそこに! その黒猫が、大きな口を開けて!」と神妙な面持ちから一転して大きな声で叫んだときにはほとんど全員がびくりと飛び跳ねた。特にススキはキャーと大きく叫んでそれに釣られたヒナツがギャーと喚いた。そのふたりの大騒ぎに、ガラナの膝で寝ていたワサビが目を覚まし「うるさいなあ」という顔をする。改めて見回すとやはり馴染みの面々ばかりだ。
「いやあ、久しぶりにこんな話をしました。お粗末様です」
 ふう、と博士が目の前の蝋燭に息を吹きかける。煌々と輝いていたそれがふつりと消えた途端、部屋が一段と暗くなった。
「いま何刻だろう、アニキ分かるかい?」
「さあな。なんだおめえやっぱり怖ぇのか、帰ってもいいぜ」
「ち、違うよう」
「じゃあお次、どうぞ」
 囲炉裏を挟んで向かいの博士がツバキに手を差し向け促した。
「もう話すことないよう……」
 困った顔でこちらを見るからじゃあ代わりにと座り直す。リーダーをやっていれば不思議なことなど毎日のように起こる。それを少し味付けして話すだけで立派な怪談だ。博士ほど立派な話はできないが、それなりの怖さはあるだろう。話し終わってからさっさと火を消す。そのとき一陣の風が吹いた気がした。「あ」オレが消した一本と、離れたところにある一本から火が消えた。ススキが潰れた蛙のような声を出す。
 いよいよ暗くなってきた。月のない夜だ。徐々に自分の鼻の先くらいしか見えなくなる。
「次――失礼します」
 遠いところから女の声が聞こえた。目を凝らしても誰だか分からない。声の様子からして若者か老人かも察れなかった。オレからいちばん遠いところに座っているらしい。その女の周りにはもう消えた蝋燭しかないらしく、服装の一片も見えないのだった。
「皆さんやっぱり愛憎劇がお好きなようで」
 和やかな口調だが、本人はあまり楽しそうではないようだ。
「短い話です。世間知らずの女がいました。病弱なためか両親には可愛がられ、外には出ないので友人は少なかったのですが楽しい日々を過ごしていました。年頃になったその女は少しずつ外に出るようになりました。皆さん……ああいいえ、他の村人のように働くことはできませんが、勉強は好きでした。やがて資料室に通うようになり、そこでひとりの男性と知り合いました。立派な男性で、人望も厚く、ちょっと豪快すぎるきらいはありますが、ムラの人気者です」
 額の汗が目に滲みて、ごしごしと腕で擦る。畜生、視界が霞むな。
「端正な顔立ちと逞しい身体は、女からすればまったく別の生き物のようでした。ふたりはすぐに恋に落ちました。――違いますね、恋に夢中になったのは女の方でした。男性からすれば男に慣れていない女を揶揄っただけなのでしょう。身体を重ねることを愛と呼ぶなら、それは確かに愛ではありました。男は働いたことのない女の綺麗な指を愛撫するのが好きでしたっけ。女は何度も何度も抱かれ、やがて彼との婚姻を夢見るようになりました」
 この辺りでは婚前交渉は禁忌とまではいかないがあまりいい顔はされない。古臭い考えの人間がまだまだ多いからだ。汗だくなのに鳥肌が立っている。気分が悪い。
「何ヶ月か経った頃、女が孕んだことが分かりました。女は産みたいと男に言いました。彼の喜ぶ顔を想像して。こう言ってくれると思ったのです。そりゃ本当か、すぐに結婚しよう、愛してるぜ、ずっと一緒にいよう、なあんて、そんな風に。ところが、男のひとってひどいですね。その男は真実オレの子か、どうせ誰とでも寝てるんだろう、オレはこれから忙しくなる、家庭なんて持つつもりはない――などと信じられないことをわた……間違えました、女に言ってのけたのです。そのときの女の絶望といったら、どんな風に言葉にすればいいか分かりません。あんなに愛していたのに、とても悲しくなって、ついには男が憎くて憎くて仕方なくなったのです」
 誰もなにも口を挟まない。オレは「やめろ」と呻いた。そんな話はここですべきではないのだ。
「女は大きなお腹を抱えたまま、身を投げました。女は死にました。もちろん赤子もです。両親や数少ない友人は悲しみました。葬儀には男も参加し、いかにも辛そうな表情を作っていました。棺桶のなかを見もせずに。とっても酷い話だと思いませんか?」
 最後は問いかけだったが、やはり誰も返事をしなかった。オレの「やめてくれ」という言葉にも誰も反応しない。
「わたしばかりこんなに辛くて目に遭って、わたしばっかり苦しくて、セキさんはこんなたくさんのお友達に囲まれて、死者を揶揄するようなお遊びまでして」
 突然女の声が耳元で聞こえた。驚いて振り向くが、そこにあるのはただの暗闇だ。
「ねえ、ここは寒いです、セキさん。抱いてくれませんか、わたしと一緒にいてください。またこの指を愛してください。ふふ、いやとは言わせませんよ――」
 白い、細長い指が首に絡んだ。オレは自分でも驚くくらい大きな悲鳴をあげた。助けてくれと喉が裂けそうなほど大きな声で叫ぶ前に、足首や腕も捕まれ、身動きが取れなくなる。
「助けてくれ、たすけ、て、くれ、オレは、あ、あ――」



「セキだ」
 溺死体の確認を頼まれたカイは口元を覆ったままぼそりと呟いた。
「間違いない、セキです。もう見たくない、覆ってください」
「はあ、すみませんね、どうも」
「あの夜急にいなくなって、それで捜してたのに」
「変ですね、雪原に向かう途中の川沿いで見つけたんですが」
「笛も使えないのに一日やそこらで行けるのかな。ああいやだ、わたしがみんなに言わなきゃいけないんだ」
「それでですね、もうひとつ変なのが」
「なに、もう、いやだなぁ」
「溺死体なんです、これは。でも見てください、いえ見なくてもいいです。首に、妙な痕があるんですが」
「怪我してたんじゃないの」
「そのう、分かりやすくいうと扼頸といいまして、指でこうぎゅっと絞めた痕なんですね」
「知らない、もう、野生のなんかにやられたんじゃないの。あの夜も急に喚き出して出ていって、怖かったんだから。みんな黙ってたのにひとりでぶつぶつ言って最後に飛び出したから怖くておかしくなったのかと思った」
「ご遺体、もう見ませんか?」
「見ません。じゃあ、とりあえず報告に行くので」
「はあ、それにしても鬼の形相とはこういったものを指すんでしょうねえ――最期になにか恐ろしいものでも見たのかもしれません」
 手を合わせ、布をかけ直し、部屋を出る。去り際にふうっと蝋燭に息が吹きかけられ、部屋が真っ暗になった。
 ゆるしてくれ、と何処からか微かに声がする。聞き届ける者は誰もいなかった。

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20220712
ポーはアメリカ人なのでシンプルに間違えました。スルーしてください。