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また会えたらいいね


 最初に気になったのはライブ後、おれに群がるファンからぽつんと外れたところに立っていたのが目についた夜だ。「初めて来たけどすごくよかったよ」とやや生意気に言う様子が可愛かった。次のライブも、その次のライブも同じようにぽつんとファンたちから離れておれを待っていた。
「分かんない、なんかここに来ちゃう、なんでかな」
 おれのファンになったのかと少し偉そうに訊いてみる。返ってきたのはぼんやりとした言葉。いつも酒か薬の影響でふらふら歩いていて、危ないからという理由をかこつけてタクシーに乗せてホテルまで行った。過ぎていく景色を見ながらも彼女は「なんでかな」という表情をしていた。
 ぼんやりとしたままおれに抱かれた彼女は朝方、服を裏表逆に着て(着られずにおれの手を借りて)よたよた歩いて身体をあちこちにぶつけながら帰っていった。あの歩き方は生来のものらしい。道理で身体のあちこちに大きな痣があった。おれは一服してから部屋を出ることにしたが、サイドテーブルに彼女のスマートフォンとピアスが置いてあることに気づいた。唖然とする。連絡の取り方も分からなかったのでどうせ次のライブも現れるだろうととりあえず持ち帰った。
 半月後、やはり彼女は同じように控えめに出待ちをしていた。半月もスマホがなくて不便ではなかったのかと訊くと首を傾げ「いつもあんまり使わないからなあ」と答えた。ついでにピアスも返してまたホテルに行った。よろよろと歩く身体を支えていると、自分が彼女の恋人になったかのような錯覚に陥る。悪い気分ではなかった。
 彼女はいままで出会った人間のなかでもっともぼんやりした人間だった。呼んでも反応しない。腕を引っ張ってようやく振り向く。そしてそのついでによろめいてこける。その結果膝に大きな痣を作ってえへへと笑う。「よく生きて来られましたね、立派なものです」「ありがと」おれの皮肉にもえへへと返す。
 そのうちおれは彼女をブチと呼ぶようになった。本名で呼んでも返事をしないし、痣だらけのしなやかな身体が猫のように見えたからだ。「それ可愛いね、いいね」ブチは喜んだ。そう呼ぶときちんと振り向くから、よほど気に入ったのだろう。髪色もいつの間にかおれに合わせて白黒になったのでますますそれらしくなった。
 いつもと違う場所でライブをした日、ブチは来なかった。心配になって電話をかけると「場所が分かんなかったから」と言い「ていうかいま自分がどこにいるかも分かんない、どうしよう?」と続けておれを慌てさせた。スマホの追跡機能で彼女を捜すと用もないはずなのにワイルドエリアの入り口にいたので近くにいたエール団に指示して保護させた。
「なんであんなところに?」
「なんでかな」
 猫ならもっと賢い。ブチは人間でも猫でもなんでもなく、ただこういう生き物なのだと嘆息した。
「きみが心配です。一緒に住みませんか」
 彼女はにこにこ笑っておれの唐突な提案を受け入れた。このままだとブチが知らない間に完全におれの前から消えそうで怖かったのだ。いま思えば、彼女に恋をしていたのだろう。
 それからブチとの生活が始まった。料理をさせると火事を起こしかける、掃除をさせるとなにをどこにしまったか分からなくなる。彼女はまったくそういう生き物だった。ブチにはブチの部屋を宛てがい、無理に家事はしなくていいと伝えた。彼女はいままで自分の部屋を持っていなかったようで大喜びでおれに抱きついた。日向の匂いがした。
「どんな部屋にしてもいい?」
「どうぞ、きみの部屋ですから」
 なにか集める趣味でもあるのかと思いきやシンプルなカーテンや家具を揃えるだけで至ってふつうの部屋を作り上げた。「あんまりものが多いとなくしちゃうから」もっともな理由だ。
 ブチはおれのライブがある日は当たり前のようについてきた。リハから参加してにこにこ眺めていた。嫌な存在感でもなかったのでおれはそれを許した。家で仕事をする日にはおれの傍にいて本を読んだり寝たりする。おれが家にいない日にも外に出ることもなく大人しく過ごしているようだった。友人もいないようで、おれ以外と連絡を取る様子もなかった。
「たまには映画でも観に行きませんか」
 デートに誘うとそれなりに粧しこんでおれと手を繋ぐ。相変わらず不安定な歩き方をしながら、おれの隣で笑っていた。「手は繋いでてね、すぐ迷子になるから」その言葉通り、メイク直しのために一瞬だけ手を離すと数分後にはまた自分がどこにいるか分からないと連絡がきた。狭い館内でよく迷子になれるものだと感心してしまう。なぜかスタッフしか入れないバックヤードにいたブチは迎えにきたおれを見て申し訳なさそうに、でもやっぱり嬉しそうに微笑んだ。尻尾があったらぱたぱたと振っていただろう。
 それにしても彼女の痣はまるで減らなかった。彼女からしたら「ふつうに」歩いているはずなのだが、おれから見れば「いまにも倒れそうに」歩いている。なにかの病気なのかと訊ねたが「なんでかな、ずっとこうなんだよね」とはぐらかされた。「だから手を繋いでてね、ネズくんと手を繋いでると少しは歩きやすいから」などと可愛いことを言うので追及もできない。もしかしたら彼女自身も本当の理由は知らなかったのかもしれないが。
 ブチが「そろそろわたしの誕生日かもしれない」と自分に対して半信半疑で言った週の日曜日、リングをプレゼントした。細い指に細いリングを通し、彼女は口元を綻ばせた。「こんなの初めて」エンゲージリングのつもりだった。言わなくても分かると思い、おれはただ「似合います」とだけ返した。
「ネズくんはなにが欲しい?」
「おれは別に。きみがいてくれるならなんでも」
 照れ臭くてわざと気障な台詞を吐いた。ブチは「難しいこと言うね」と眉を顰め、照明にリングを翳していつまでも見ていた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 会話らしい会話はそれが最後だった。
 翌朝目を覚ますとブチはおらず「ネズくんのプレゼントを買ってきます。サプライズ! お楽しみに!」と癖字の置き手紙が彼女が寝ていたシーツのうえに置かれていた。嫌な予感がした。彼女の部屋を見るとスマートフォンは置きっぱなし、連絡を取れるものはひとつもない。冷や汗が流れた。
 半日待った。一日待った。三日待った。一週間、二週間――半月、ひと月、ブチは戻ってこない。おれは悲しくて、寝るときにも手を繋いでいなかった自分が悪いのだとひたすら己を責めた。きみがいてくれるなら、と言ったのは本心だったのに。
 よく考えればブチのことはほとんどなにも知らないのだ。もしかしたら男と逃げたのかもしれないし、別の面白そうなものに惹かれて自分でも分からないままそこにいるのかもしれないし、本当におれへのプレゼントを探して彷徨っているのかもしれない。
 いまのおれにできるのは彼女の部屋をそのままに保つことくらいだろう。シンプルな家具が揃った、シンプルな部屋。確かに彼女がいた証だ。
――いつまでぼんやりしているつもりでしょうね、まったく。「なんでかな、遅くなっちゃった」ってふらふら帰ってくるのを待ってますよ。もしこの文章をどこかで読んでいたら、迎えにいくのでその場で待っていてください。手を繋いで帰りましょう。傍にいて、もう二度と離してあげませんから。

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