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カラフルメリィと会った日に


「だーれだ」
 背後から軽やかな声に問われた。目を覆いたかったのだろうが、指が届かず頬を押さえるだけになっている。結果的に顔が固定されて振り向けない。綺麗に整えられた爪だけがぎりぎり見える。駅の雑踏のなかでも聞き取りやすい声はもう一度「だーれだ」とオレに問いかけた。
 困った。この戯れはたいてい声で分かることを前提としている。ところがまったく心当たりがない。オレより背が低くて、少なくともこんな遊びをできるくらいに距離が近い――誰だろう。
「降参だ」
 両手を上げてそう告げると、目元を隠していた手が離れてゆく。振り向いて「なんだきみか」と言う準備をしていた。だが、立っていたのはやはり心当たりのない少女だった。しかし少女というほど幼くないように見える。けれど制服を着せても似合いそうだ。つまり、いくつなのかも分からない。
「えーと……」
「やだ、ダンデさんわたしを忘れちゃったんですか」
 さっきまでオレの目を覆っていた小さい手が今度は彼女の口元を隠す。「ネズの妹です。前にライブのときに楽屋でご挨拶しましたよ」ととても楽しそうにくすくす笑いながら教えてくれた。「ダンデさんが迷子になって大遅刻して、入り口を間違えたあの日です」ああ、あの日――思い出して顔が熱くなる。「いや、ライブというものに慣れていなくて……」「それはあの日も聞きました。今日はどうしてエンジンシティに?」「え?」辺りを見回す。確かにエンジンシティだ。
「しくじったな……」
 シュートシティに戻るつもりが電車を間違えたらしい。正反対じゃないか。予定が終わってからのミスでよかったが、行き先を確かめてから電車に乗る癖をつけるべきだ。大きなため息を吐いたらまたくすくす笑われた。
「もしお時間があるならちょっと付き合ってほしいんですけど、どうですか?」
 人懐こい笑顔はネズとちっとも似ていない。あの日もそう思ったような、思わなかったような。シルバーのアクセサリーが似合うのは兄譲りだな、と改めて思った。特に断る理由もないので「いいぜ」と笑い返す。
「やった、じゃあ行きましょう!」
 手が差し出され、反射的に握ってしまった。またしくじったと思ったがすぐに離すわけにもいかない。にこにこ笑う彼女に連れられるまま駅を出た。日が暮れかけている。昏い黄金色の空がいまにも落ちてきそうだった。
「どこに行くんだ?」
「内緒」
「変なところはやめてくれよ」
「甘いものは好きですか?」
「まあ、人並みには」
「じゃあ、いいところです」
 ふたりで細い路地に入ってゆく。エンジンシティには詳しい方ではないが、まるっきり知らないということもない。しかし見覚えのない街並みだ。石畳も煉瓦造りの壁も、知っているようで知らない風景だった。彼女は迷いなく先に進んでいくからこの辺りに明るいのだろう。黄昏時がそうさせるのか、この不思議なシチュエーションがそうさせるのか、オレは導かれるまま歩みを進めた。
「ここ! この時間からしかやってないお店なんです」
 彼女は地下に続く階段の前で足を止め、入り組んだ書体で店名が書いてある看板を指さした。店名が読めない。馴染みのない言語らしい。
「目的は?」
「カップルじゃないと頼めないパフェ!」
 屈託ない笑顔に思わず笑ってしまった。「いいよ、分かった」手を握ったまま階段を下りる。コンクリート打ちっぱなしの素っ気ない階段にブーツの音が低く響いた。
 空と同じように昏い黄金色の照明の店内は一見すると広く感じられるがよく見ると奥の壁が鏡面で、間抜けな顔をした自分が映っていた。「ちゃんと恋人っぽくしてくださいね」鏡越しにオレの目を捉え、彼女はにやりとしてみせた。
 店主らしき男性が顎で座席を指す。そのままいちばん端の席に向かい合って座った。彼女はメニューを手渡される前になんだか長い名前のよく分からないものをオーダーした。「それと、炭酸水。ダンデさんは?」「コーヒー、ブラックで」なるほど、呪文のように唱えられたのが「カップル限定のパフェ」か。「少しお時間頂きます」と言われたが頷くしかなかった。
「コーヒーお好きなんですか?」
「初めての店ではブラックを頼むことに決めてるんだ」
「あ、それで美味しいお店かどうか確かめてるんですね」
「だいたい失敗しないからさ」
 たまに失敗することもあるが、おおむね信用のおける指標だ。そんな風に言うと彼女は大きな目を細めた。
 オレたちは漠然と色々な話をした。彼女はくるくると表情が変わって可愛らしい。相変わらず年齢は読めなかったが、気にならなくなった。
 やがてカラフルなパフェが運ばれてきた。わざとらしいレインボーカラーの生クリームに、チョコスプレーとアラザンが振りかけられた三色のアイス、グラスのなかに所狭しと詰め込まれたシロップ漬けのフルーツ、居心地悪そうなシリアル。甘いものは好きだが、これは見るだけで胸焼けがする。
「いいですよ、わたしがほとんど食べちゃいますから」
 思いっきり顔に出ていたようで、彼女は長いスプーンを手に取ってぺろりと舌舐めずりをした。
「これ食べてみたかったんです」
 上から順序よく山を切り崩していく様は見事だった。テンポよくスプーンが口に運ばれるのは見ていて気持ちがいい。「お味は?」「おいしいです!」それはよかった。オレはコーヒーを一口飲む。これは大当たりだ。
「ダンデさん見て見て」
 彼女は突然小さい舌を突き出した。ぎょっとしたが、着色料のせいで青く染まった舌を見せびらかしたかったようだ。ずいぶん子どもっぽいことをするな。ネズも昔はこんな風に無邪気な時期があったのだろうか。想像しようとして、不気味だったのでやめた。
 一応はデートなのでオレが支払うと言ったが、パフェをほぼひとりで食べたからと彼女は受け入れてくれなかった。「次、なにか奢ってくださいね」とウィンクされたときには思春期のように胸がときめいた。
「迷わず帰ってくださいね」
 と駅で見送りまでされ、今日のオレはつくづく情けなかったと感じる。次か。次があればいいな。それなら連絡先を聞いておけばよかった、と気がついたのはベッドに入ってからだった。



 翌日、ロッカールームがネズと一緒だったので「昨日エンジンシティで妹さんに会ったよ」と話しかけた。ユニフォームを脱ぎながらネズが変な顔をする。「マリィは昨日ずっと家にいましたよ」「いいや、もうひとりの、」「はぁ?」もともと悪い目つきがさらに悪くなった。
「マリィ以外におれの妹がいるんですか、知りませんでした」
「いるだろう、ほら、背が低い……」
 特徴を言おうとして口籠る。分かりやすい特徴がなにかあっただろうか。背が低くて、自分より年下(のように見えた)、爪が綺麗で、シルバーのアクセサリーが似合う、それから……目の色は? 声は? そもそも顔つきは――オレはどうしてなにも疑わず、彼女をネズの妹だと断定したのだろう。
「そうだ、バックヤードで挨拶した子だ」
「おまえが遅刻した日?」
「そう」
「おれはその日誰とも会ってないです。忙しかったんで楽屋にも誰も入れてません」
 今度はユニフォームを脱ぎかけたオレの手が止まった。そういえばそうだった気がする。キバナがいたので帰りに駅前のバーに行ったんだ。彼が最初に頼んだカクテルも鮮明に思い出せる。カルアミルクだ。あんなに前のことは思い出せるのに、彼女の顔はぼんやりとしていて説明できない。
「幽霊でも見たんじゃないですか」
「……いや、足はあったし、鏡にも映ってたぜ」
「……ジョークですよ」
 オレは曖昧に笑い、一旦話を無理やり終わらせた。
 去り際にネズは「おれのファンを名乗るイタいおまえのファンじゃないですかね。よくいますから、そういうの」とフォローするように言ってくれた。「おまえのファンを名乗るおれのイタいファンもいますからね。刺されかけたことがあります」続けて言われたそんな言葉を上手く理解できないほどオレの頭は混乱していた。
 ユニフォームにひっかけたままの指から血の気が引いて冷たくなる。背中に冷や汗が流れるのを感じた。幽霊か危ないファンか、どちらがいいだろう。なんとなく二度と会えない気がするのに、オレはいますぐ彼女に会いたい気分だった。

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