×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




スイートバツバツバツ/Redo



「困っちゃったよぉ」
 コーヒーにミルクと砂糖を大量に投入してぐるぐるかき回し、例の友人はにこにこ笑った。最後に会ったのは確か、ダンデさんからプロポーズされたというとんでもないニュースを聞かされた日だ。あれから半年ほど経って、わたしは相変わらずそれなりに大変な日々を過ごし、たまに彼女を「困らせる」男とも仕事をした。誰もが裏の顔を隠して爽やかにわたしと接した。当然なのだけど。
「プロポーズ以上に困った話?」
「うーん、分かんない」
 わたしはダンデさんが表紙を飾る今月の『月刊リザードンのいる生活(特別号)』が彼女の目に触れないようそっとクッションの下にしまい、手土産のケーキを小皿に載せてテーブルに並べた。ストロベリーミルフィーユがふたつ。この子は甘いものがすきだ。
「そういえばこの前週刊誌に撮られてたよね、ネズさんと」
「あ、うん、見たんだ、あはは。わたしは読んでないんだけど」
「顔は出てなかったよ」
 見出しは忘れてしまったが「硬派なロックスターに恋人発覚」とか「恋人にだけ見せる柔和な顔」とか書かれていた気がする。ネズさんって硬派だったんだ、とか思った記憶がある。何十年前のカメラを使っているんだというひどい画質の白黒写真は玄関のドアを開け、彼女を迎え入れるネズさんがしっかり写っていた。柔和といわれれば、まあ、そんな感じはするかなというくらいのものだ。別に変な顔ではなかった。一般人だから彼女の顔にはモザイクがかかっていたが、いまの彼女を知る人間なら服装と背格好ですぐに分かる。それはつまり、わたし以外の、彼女を「困らせる」男たちでも分かってしまうという訳で。
「すっごく怒られるんだって、ネズ」
「アイドルでもないのに」
「わたしが最悪だから」
 そっちだったか。なにも入れてないコーヒーをぐるぐるとかき回してわたしは曖昧に相槌を打った。
「あのあとネズが倒れて大変だったんだー。そこまで撮られてたらもっと困ってたかもね」
「緊急搬送されたっていうネットニュースは見たよ。大丈夫だった?」
「知らなーい。あれから会ってないもん」
「え?」
「死んでないってことは、大丈夫なんじゃない?」
 あまりにも冷たい言葉に思わず顔を窺う。わたしの反応が面白かったのか彼女は「なぁに?」と目をくるくる動かしてキュートに微笑んだ。その拍子にミルフィーユがぱたんと倒れる。
「入院したって聞いたけど」
「そうなんだ。じゃ、しばらくライブできないのかな。心配だね」
 先日会ったときにはネズさんの話になるとうっとり目を輝かせていたのにいまではそこまでの熱意が感じられない。好きなアーティストの体調を気に掛けるふつうのファンに見えた。
「困ったのって、ネズさんの話かと思ってた」
「それはなんていうか、困ってたけど、別にそこまでじゃないかも」
「じゃあキバナさん?」
「そうだ、あいつ彼女できたんだよ。内緒なんだけどモデルの……あー、名前忘れちゃった、画像出すから待ってて」
「別にいいよ」
 相変わらず長い爪でスマートフォンをいじって「ほらこの人」とファッション雑誌の表紙を出す。表示されたのは新進気鋭の若手女優だ。女優だと訂正するほどでもないのでわたしは黙って頷いた。素朴な雰囲気のある、美人というより可愛いといわれる感じの子。いわゆる清純派とされているが、なんとなくこの友人と似ている。
「キバナの大ファンなんだってさ」
 くすくすと無邪気に、でも馬鹿にしたように笑って黒い爪でかつかつと女優の頬をつっついた。また要らない秘密を抱えてしまったわたしは苦笑いでごまかす。
「じゃあキバナさんとはやめるの? えーと、そういう関係……」
「やめようか?って訊いたんだけどねー」
 あっけらかんとした口ぶりからして、それについては特に困ってなさそうだ。
「ダンデは相変わらず」
 わたしが訊く前に彼女はミルフィーユを崩してそう言った。
「相変わらずだけどなんていうかもっと病んできたかも。でもいまはネズの家にもキバナの家にもいられないから一緒に住んでるんだけど。お金くれるし。うーん、めんどくさいけど、でも慣れたみたいな」
 正直、働かずにお金が得られるというだけで彼女が羨ましい。妬ましいとさえ思えないほどだ。あれだけの有名人がそれこそ病的に自分を愛してくれる。彼女の言葉を借りるなら「愛されることもひとつの才能」だ。彼女がいま手にしている最新機種のスマートフォンだってきっとダンデさんに買ってもらったのだろう。このミルフィーユもそうだ。「働いてないと部屋って借りられないんだよねぇ」ぼそ、と呟いた独り言は投げやりだった。
「だからいまはあんまりフラフラしてる感じじゃないよ。ちゃんと決まった家に帰ってる」
「ダンデさん嬉しいだろうね」
 少し意地悪な言い方になってしまった。「あー、うん、まあまあかなー」またコーヒーをぐるぐるかき混ぜ、彼女は何度も何度も首を縦に振る。肯定しているのか適当なのか分からない。その様子を見ていたら首に大きな絆創膏が貼ってあることにようやく気づいた。隠している風でもないので「それどうしたの」と指差す。
「首の」
「はぇ?」
 カップを口に運びかけたのを途中でやめ、白い手が探るように首に触れる。「あ、これ」忘れてた、という顔つきで目をぱちぱちさせて、それから「そうだ、これで困っちゃったんだよぉ」とカップをソーサーに置いた。
「知ってた? 誰かにやられた場合って医療費全額負担になっちゃうんだよ」
「え? 誰にやられたの?」
「だからこれはこけましたって言ったけど、マクワにやられた。見る? 結構痛いよ」
 要らない、と答えるより先に絆創膏が勢いよく剥がされた。白い首に生々しい赤黒い裂傷。想像よりも酷くて思わず目を逸らす。「なにされたの」わたしの声は掠れていた。
「それが困った話でさぁ」
 彼女はまたにこにこ笑い、いまからが本題だというように座り直す。
「じゃあどこから話そうかな」
 その表情は心なしか楽しそうで、カフェで会ったあの日を思い出させた。ぺろ、と下唇を舐める赤い舌には、やっぱりシルバーのピアスが光っていた。

- - - - - - -