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ガレット・デ・ロワの日



 寝返りを打った拍子にベッドから落ちた。背中を強く打ちつけて大きく咳き込む。あれ、おかしいな。いつもは頭を打つだけで済むのに。足元を見ると二日ぶりに足枷が外されていた。少しだけ痕になっているけれど骨に異常はないみたいだ。ベッドサイドのテーブルには真面目な字の「仕事に行く。午後七時までには帰る。夕食は駅前で買ってくる。寝ていていい」といった内容のメモが置いてあった。寝てていいったって、もう昼過ぎだ。昨日までは足枷のせいでトイレくらいしか行けなかったから今日は羽を伸ばしたい。今日はラッキーな日みたいだ。
 ちょっと考えて、いつもおいしいランチに連れて行ってくれる男にメッセージを送った。〈変な時間だけどどこか行かない?〉するとすぐに〈エンジンシティにいい店があるんだけど、行こうよ〉と返ってきて鼻白む。まあいい、ここから出られるならなんでもいいのだ。シャワーを浴びて綺麗にメイクをして可愛い服を着て、鍵もかけずに家を出る。半分わたしのものじゃない家から。
 それで食べるものを食べて買うものを買ってやることをやっていたらいつの間にか午後六時になっていた。やば、ここから一時間で帰れるかな。まだ一緒にいようとする男の身体を引き剥がし、駅まで走った。改札を抜けてホームに飛び込んで、荒くなった息を整えながら座って鏡を見る。髪がくしゃくしゃだ。しかも最悪、喉にキスマークみたいなものがついていた。舌打ちして指先で揉んでみる。すぐには消えない。
「こんなところでなにしてるんだ」
 ぞっとする声に振り返る。スーツ姿のダンデがわたしを見下ろしていた。「ダンデこそ」急すぎてそう言い返すのが精一杯だった。「オレは仕事だ」まあ、そりゃ、そう言われるよね。
「ショッピングだよ」
 さっきからずっとショッパーバッグを見つめているダンデからそれを隠すように抱え込み、何事もなかった顔つきでまた鏡を覗く。
「きみの財布はオレが預かってるぜ」
……そうだった。もうなにも言い訳が思いつかなくて黙る。「帰ろう」ダンデがわたしの手を取った。冷たい手だった。振り払う気力もなくてされるがままふたりで電車に乗る。座ったわたしの前に仁王立ちで立つダンデはわたしの向こうの、窓のその向こうを感情のない目で眺めていた。
 最寄駅に着いてからは腕を強く掴まれ、引きずられるようにして家に帰った。玄関に入ってすぐ扉に押し付けられ乱暴に唇を奪われる。ぬるりと入ってくる分厚い舌を押し返そうとすると腰を抱き寄せられ更に深く口付けられた。ミントタブレットの風味がする。鼻を抜けるような爽快感が雰囲気に不釣り合いで可笑しい。ダンデの表情は焦燥と憎悪と悲憤が綯い混ぜになった奇妙なものだった。
「今日は誰といた」
「いや、」
「答えろ」
「いやだ、やめて」
 キスマークを確かめようとする手から必死に逃れようと抵抗しているうちにバランスを崩してフローリングに倒れる。また背中を打った。咳き込んでいたらダンデが馬乗りになってやっぱり喉を見つめる。もうごまかせるものもないから両手を広げてされるがまま。殴りたいなら殴ればいいし、彼がわたしに暴力を振るえないことはわたしがいちばん理解している。
 それからはいつもやる無駄な儀式。誰といたか、どこでなにをしたか、警察の取り調べってこんな感じかなといつも思う。最後に「セックスしたのか」と訊かれると「したよ」と答える。するとダンデは唇を歪ませて懊悩とも怨嗟とも欣喜ともとれない不可解な面相になる。そのあと決まって「許さない」と言い、その男がどうやってわたしを抱いたか説明させ、それを上書きするみたいに、そっくりそのままのやり方でわたしを抱く。だから今日は息が止まるくらい強く喉元に吸いついて痕を残す気だ。
 今日はラッキーだと思ったのに。少なくともサマーニットを買ってもらった時点では最高の日だった。いや、外に出られただけ幸せだったか。そもそもダンデが昨日の夜に足枷を嵌め忘れていたのがいちばんのラッキーだったのかもしれない。
「痛いよ」
 焦っているみたいに皮膚を這い回る指先の力はいつも以上に強い。皮膚が引き攣れてちり、とした痛みが走る。
 そんなにわたしの自由を奪いたいなら徹底して監禁すればいいのに。それこそ手枷足枷を毎日着けさせて、外から鍵をかけて。彼はいまでもそうしているつもりなのかもしれないけれど、たまにこうやってわたしがふらふらする隙を作る。ばかみたい。ダンデはばかみたいだし、結局こうして上書きするセックスを受け入れる自分がいちばんばかみたいだ。
「次はどうされたんだ」
「……どうされたと思う?」
「分からないから訊いてる、答えろ」
 わたしの煽りに興奮したのかダンデが息を荒げた。
「服は脱がずに、そのまま下着だけずらして挿れてもらったの。ゴムなしで」
 彼の嫉妬心を刺激するために言った最後の言葉は思ったより効果的だったらしい。ダンデは獣のような低い唸り声を上げてわたしの首筋に噛み付いた。「痛いってば」また文句をつけて、でも彼が入ってきやすいように脚を広げる。のぼせたような顔つきのダンデが自分の性器を握って腰を進めた。ぐちゃぐちゃのそこに熱を感じた瞬間、一気に貫かれる。無理やり押し広めながらダンデが入ってくる。
「もっとゆっくり、」
 と言いかけたところで力任せに揺さぶられ始めた。声にならない声が口から溢れる。身体がばらばらになりそうなほど激しくされて、そのたびに自分のなかがいやらしくきゅうと動いた。ダンデがわたしの身体に溺れてゆくのが分かる。
――ああ、いつからこんなことになったんだろう。
 初めは浮気なんて考えられなかった。確かナンパされたのを彼に見られたのが最初だったかもしれない。嫉妬した彼がその日からわたしを家から出さないようにして、その目を盗んで外に出るのが楽しくなって、ナンパされたらついていくようになって、上書きされるようになって――ぐるぐる考えていたらダンデが「出そうだ」と囁いた。
「外に出して」
「それじゃ意味ない」
「あいつは外に出したよ」
「だから、それじゃ意味ないんだろ」
 濁った蜂蜜みたいな瞳がわたしを睨み、それからお腹の奥で射精される感覚があった。ダンデは目を細めてわたしの臍の下辺りを優しく撫でた。
「男の子かな、女の子かな。オレはどっちでも嬉しいよ」
「妊娠しないよ」
「今日は排卵日だろ」
 その台詞がひどく気持ち悪くて大きな手を払い退ける。
「しないってば、ピル飲んでるんだし」
 ダンデがまた唇を歪めた。「きみはオレを信じてるんだな」と呟くと、彼はわたしの肩口に額を押し付けて震えるような吐息を漏らす。そして「嬉しいよ、オレもきみを信じてる」再びお腹を優しくさすった。その意味するところが分からなくてまた気味悪く感じる。
「ばかみたい」
 吐き捨てるように呟いたわたしを優しく抱きしめて、ダンデは「幸せだ」と狂ったことを小声で独りごちた。

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20220327
リクエストありがとうございました!