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彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも


 昔から手に入れにくいものほど欲しがる、自分のものにしたがる質だ。
 夜中突然コールラビを(調理方法も思いつかないまま)買い求めたり、五十年前に絶版になった詩集の初版本をオークションや古本屋で延々と探し求めたり、おれを無条件で好いてくれる手首に傷のない女を追い求めたり。コールラビも詩集も忘れた頃に手に入れ、特に感動はしなかった。ポトフで食べてそんなに好きではないなと思ったし、詩集は埃っぽくて開くたびにくしゃみが止まらなくなるので三分の一も読まないうちに本棚にしまわれた。
 そして手首に傷のない女とはカフェイン入りのチョコレートを見つけたときに出会った。広々とした棚にそれはひとつしかなくて、手を伸ばした瞬間に彼女の手が重なった。「あ」「あ」おれたちは顔を見合わせ、同時に「どうぞ」「どうぞ」と頭を下げ、おれはそれが売られているのが珍しくて手に取ろうとしただけで、買うつもりはないからと彼女に譲った。「それ依存性あるので気をつけてください」おれの言葉に彼女は笑った。愛らしいひとだった。おれはここで会ったのもなにかの縁だとかなんとかいってすぐ近くのカフェに彼女を連れ込み、その日のうちにホテルまで行ってしまった。明け方の暗い部屋で彼女は「家族が心配してるかも」と言った。彼女の手首に傷はなかったが、薬指に悪趣味なリングは嵌められていた。「また会ってくれますよね」板状のチョコを割って、その一欠片を放り込んだ彼女は答えた。「まあ、いいんじゃないの」曖昧なその返事はおれたちの関係をも曖昧にした。とても好ましかった。
 おれたちは大抵ホテルでセックスしたが、たまにおれの家に招待することもあった。そのたびに彼女はおれが唐突に買った珍しいフルーツを消費してくれ、時に積んである本を読み聞かせたりしてくれる。あまり話さない女だが、たまに自分のことや家族のことを教えてくれた。おれよりふたつ年上、父親が作家で母親が大学教員、弟はミュージシャン志望でときどき駅前で歌っている。「だからネズくんとわたしが一緒にいるのを知ったらびっくりするだろうね」薬指については、おれからは触れなかった。言わないなら訊かないほうがいいと思っただけだ。タブーに自ら飛び込んでいく趣味はない。ある日彼女が「半年後に挙式なの」と言っただけで、それでもおれたちの曖昧な関係は変わらなかった。
「今日は泊まっていってください」
 次の日に新居の内覧があると彼女が言ったとき、首筋にキスマークをつけ、そんなことを呟いてみた。「うーん」彼女は困ったように笑ったあと「いいよ」と髪を撫でてくれた。いつもより優しい声だった気がする。
「いいんですか」
「いいよ、だってネズくんといたいもん」
「おれのこと好きなんですね」
「好きだよ、大好き」
 そう言って抱きついてきた彼女に興奮してしまいそのまま何度もセックスした。「だめ」と弱々しく止める声を聞きながら彼女のなかに精液を吐き出して、汗だくになりながらも幸福感と優越感に包まれていた。外が白み始めるまでそうしていて、彼女が婚約者に体調がよくないのでひとりで内覧に行ってほしいと連絡するのを盗み見した。それからふたりでシャワーを浴びて夕方まで眠った。
 空が紫色になる頃、彼女はチョコレートをかじりながら鏡で首に絆創膏を貼って「駅まで送ってくれる?」と甘えてきた。駅に着く頃にはすっかり日が落ちていて、恋人繋ぎにしている手は妙に熱い。なんとなく気の利いたことを言わないといけない気がして懸命に考えてみるが、なにも思いつかなくて黙ったまま彼女を見送った。
「じゃあね」
 改札の向こうで小さく手を振る笑顔の彼女を見て、ああ幸せとはこういうものなのだなと考えた。彼女と別れてからしばらくなにも考えず迷子のように街を彷徨ったが、結局なにもせずに家に帰った。彼女がいれば駅の近くのレンタルショップで変わった映画でも借りて一緒に観るのだろう。そして「ネズくんもちゃんと楽しめた?」とおれの機嫌を伺うような彼女を愛らしく思ってまた幸せを実感するのだ。
 寒くなり始めた頃、彼女の手首に包帯が巻かれていてぎょっとした。どうしたのかと問うと「ご飯作ってるときに手が滑って包丁落としちゃった」と悪戯を叱られる子どものような顔つきで答える。ともかく「痕は残らないよ」という笑顔にほっとした。
「でも結婚式はレースのグローブするから大丈夫」
「そういえばそろそろですね、式」
「うん、もう大変」
「こんなところにいていいんですか」
「よくないかも」
 えへへ、とまた笑って、抱きついてきた。「でもネズくんが大好きだから、よくなくてもここに来ちゃう」耳元で囁かれてぞくりと背筋が震える。
「……その指輪、悪趣味ですよね」
 おれの言葉に彼女はやっぱりえへへと笑った。
 彼女の挙式当日、おれはもちろん呼ばれない。今年初の雪が辺りを白く染め、往来の人々を早足にさせる。忙しない季節が始まった。あのチョコレートをかじりつつ、彼女とやりとりしていたアプリを立ち上げる。最後の連絡は三日前。おれのつけたキスマークが消えないという泣き笑いのメッセージが最後だ。胸がちくちく痛むが、なにに対しての痛みなのか分からないまま、おれはおめでとうのひとつも言わずに彼女との連絡を絶った。
 それからはいままでのようになにかを欲しがることがなくなったように思う。恐らくは(間違いなく、ともいえる)彼女が占領していた部分が抜け落ちてしまい、なんだか身体の中心にぽっかりと穴が空いたようで、チョコレートで取り繕って緩慢に生き続けた。他の女では埋められないその穴におれはひどく苦しんだ。好きで、大好きで、どうしようもなかったのはおれの方だったのだ。依存していたのはおれだったのに、それを認めたときには彼女とはもう連絡がつかなくなっていた。
 数ヶ月して、無垢なウェディングドレスに身を包んだ彼女の写真が送られてきた。結婚しましたとプリントされた文字の下に、手書きで「あの指輪はわたしが選んだんだよ」と几帳面そうな字が書かれていた。おれは自分でも驚くほど悲しくなってそのポストカードを破ろうとした。けれど彼女をもっとも美しく写したその一枚を無下にすることもできず、もう読まない詩集に挟んでそのまましまいこんでしまった。もういらない、早く忘れたいと願うほどに彼女の輪郭がはっきりしてくる気がして、怖かった。

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20220308* 篠野目さん
リクエストありがとうございました!