――ピンポーン ふだん滅多に鳴らないインターフォンが廊下に響いた。ドアスコープを覗くとグレーの帽子を目深に被った業者がふたり、大きな段ボールを台車に載せておれを待っている。特になにか買った覚えはないが、酔った勢いでということも考えられた。一旦受け取ってから不必要なものなら返品すればいいだろう。 ドアを開け、指定された場所にサインをして荷物を受け取る。「天地無用」「下積み厳禁」「ワレモノ」「精密機器」ありとあらゆる注意書きのステッカーが貼ってあった。思った以上に大きい。重いが、抱えられないほどでもない。ギターや楽器などの類ではないようだ。とりあえずリビングに運んで厳重な封を破る。 ゆっくりと蓋を開けた。真っ先に目に入ったのはマシュマロのような白い緩衝材だ。それから――胎児のように蹲った人間。 「な……っ!?」 思わず腰を抜かす。なんだ? 悪趣味な人形か? そういうものには縁がないと思っていたが、ドッキリやサプライズか? ただひとつ分かるのは自分が混乱しているということだけだった。 次に考えたのは「死体だったらどうしよう」だ。恐る恐るそれを覗き込むと、微かな呼吸音が聞こえる。腕で隠れているが胸の辺りが上下にゆっくり動いていた。安堵して、それからやっぱりまた混乱する。 そうだ、差出人を確認せねば。おれはその人間みたいなものを起こさないようそっと蓋を確かめる。またしても驚いたことに、宛先はあっても差出人のラベルは貼られていなかった。 どういうことだ。嫌がらせか。嫌がらせにしてもおかしい。なにが目的だ。 真っ先に思いついたのはキバナの悪戯だった。メッセージで〈うちになにか送りましたか〉と質問したら〈オマエ誕生日まだだろ?〉とすぐに変な返事がきた。とにかくキバナではないらしい。ダンデもマクワも、ましてやカブさんや女子陣がそんな嫌がらせをするはずもないし、手詰まりだった。 おれはその場で胡座をかき、腕を組む。じいっと人間か人形か知れないものを見つめていても答えが出るはずはない。顎をさする指先も疲れてきた。 「……おい」 どうやって声をかけるべきか悩んだが結局ふつうに腕を掴んで揺り起した。それは目を覚まさない。「おいって」強く揺さぶる。かち、となにかスイッチの入るような音がした。白い身体が大きく動き、緩衝材を床に散らばしながら起き上がった。 「おはようございます」 大きな目がゆっくり瞬きする。しっかりとおれを見ていて逃げ場がない。また腰を抜かしたおれは後退りしながら「……なんですか、君」と最低限の質問しかできなかった。 「ネズさんですか?」 そうですと答えてからおれの問いに回答がないと気づく。もう一度「なんなんですか、君は」と訊いてみた。とりあえず、身体の作りからして女だ。 「わたしはセックスを目的とした高性能アンドロイドです」 「はあ?」 「いわゆる、セクサロイドというやつです」 「……はあ?」 「ですので、ネズさんとセックスするために来ました」 「……えぇ……?」 自称・セクサロイドは立ち上がり、おれに近づいてくる。這いずって逃げ回っていたがついに壁際に追い詰められ逃げられなくなった。 「疑っていますね、証拠ならあります」 声は自動音声のような人工的なものでなく、大抵の男が好ましいと思うような舌っ足らずの甘い声音だ。アンドロイドとは平たくいえばロボットだろう。この雪解け水のように滑らかな皮膚のしたには金属が詰まっているのか。シルクのような髪は作り物で、宝石みたいな瞳はガラス? おれのその観察する視線に彼女はまた首を傾げた。 「証拠がご入用ですね」 「なにも言ってませんけど」 「でもわたしを疑わしい目で見ていました」 それは否定できない。なにも答えないでいると、彼女は屈み、あろうことかおれの膝の間に顔を埋めてジッパーを咥えた。緩慢な動きでそれを下げようとするので慌てて身体を引き剥がす。 「証拠って……なにするつもりですか」 「セクサロイドですので、セックスが上手いです」 「……クソ、誰だこんな変なもの送りやがったの……」 途方に暮れて悪態を吐いた。彼女はそれを気にせずきょろきょろと部屋を見回した。「ここが寝室ですか?」「違います、ここはリビング」「リビングでするのが趣味なのですか?」「違います」どうしておれはこいつとふつうに会話しているのだろう。だんだん可笑しくなってきて、思い切り仰反る。天井はいつも通りの白いトラバーチンだ。 「あー……」 馬鹿馬鹿しい、くだらない。なんだこれは。 「お疲れなんですか?」 そりゃ君のせいで疲れてんですよ。そうは言えなくて立ち上がる。彼女も立ち上がって、おれを見上げる。「どうしますか?」どうしよう。 なんとなく事態を把握したらくらくらしてきた。それもそうだ、夜通し編曲していたので頭が疲れている。仮眠を取りたいし腹も減っていた。 「おれのために働いてくれるんですよね」 「はい」 「じゃあ、飯作ってください」 彼女はまた首を傾げる。「そういうプレイですか?」「違います。おれは腹が減っています。辛口のカレー、野菜多めで作ってください」「はい」「できたら起こしてください。そこのソファで寝てるんで」「はい」返事はいい。新調したばかりのソファに寝転んだら二、三度の瞬きですぐに眠気がくる。目を閉じ、この一連の流れが夢で、起きたらいつもの薄ら寂しい部屋でひとりになっているところを想像しながら眠りについた。 飛び起きたのは火災報知器が派手に鳴ったからだ。地獄からの呼び声みたいなブザーを慌てて消し、キッチンに飛び込む。コンロの前で難しい顔をしている女がいて、フライパンのなかでもともと野菜だったらしき塊が煙を上げている。 「……高性能アンドロイドって言ってましたよね」 「セックスは上手いです。でもそれ以外はちょっと苦手で」 「ちょっと……」 食べられたものではないのですべて捨ててデリバリーでカレーを頼んだ。ゴミ箱をじいっと見つめる目は少しだけ申し訳なさそうで、アンドロイドもそういうことは分かるのだなと感じる。そしてこれをアンドロイドであると受け入れている自分に呆れた。 高性能ですので、と前置きして、彼女もカレーを食べた。食べなくても充電すればいいらしいが、食事をエネルギーに変えることもできるらしい。うなじの充電口を見せてもらったが黒子にしか見えなかった。 また困ったことに彼女は皿洗いもできなかった。いきなりグラスを割ったので、スポンジの存在などを教えながら目の前でやってみせる。「ネズさんも高性能ですね」とアンドロイドジョークを言うものだからシカトしてやった。 「シャワー行ってきます」 「お背中お流しします」 「結構です」 「お風呂でセックスしますか?」 「しません」 こんなに誰かと会話したのは久しぶりだ。内容はともかく、マリィがひとり暮らしを始めてからは家ではほとんど口を開いていない。たまに仕事の電話や軽く歌ってみるくらいだ。久しぶりの会話がよりによってこれか……と髪を乾かしながらうんざりした。 次いでシャワーを浴びた女は濡れた髪も身体もそのままに飛び出してきたので捕まえて乾かしてやる。裸のままでも困るのでおれの服を貸したら肩幅が合っていなくて、お下がりをむりやり着せられた子どもみたいになっていた。 さすがに疲れ果て、ベッドに勢いよくダイブする。それが楽しそうに見えたのか、彼女も同じようにすぐ隣にダイブしてきた。まだしっとりしている髪がシーツに広がった。単純に可愛いなと思った。無邪気で、罪のない笑顔をしている。ぼんやりとそう考えていたら身体を擦り寄せてきて「しますか?」と今日何度目か分からないセックスの誘いをする。シャンプーの香りの奥に、独特の甘い匂いがした。どこから香っているのだろう。 「君はどこから来たんですか」 「分かんないです。目的だけ知ってます。ネズさんとセックスしに来ました」 「セックスがなにか分かってんですか」 「ええと、はい、たぶん」 高性能らしくない返答に続けて「愛し合っている者同士がする行為です」保健体育の教科書みたいなことを言う。 「じゃあ、おれたちは愛し合ってますか?」 「……分かりません」 宝石の瞳が揺れる。 「愛って分かりますか?」 「……わかり、ません」 冷静さを欠いた口調になってきた。 ピンク色の唇をなぞる。それから頬、耳、首筋に指を走らせたらくすぐったそうに身を捩った。正しい反応だ。額にキスをして「じゃあ、愛というものが分かったら教えてください」と囁く。 「分かったらセックスしますか?」 「さあね、おれの気分次第です」 別に愛がなくてもセックスはできるけれど、こいつ相手にはそんな気分にはなれなかった。アンドロイドじゃなかったとしても。 「じゃあ明日からがんばって勉強します」 「……あー……」 そうか。じゃあ明日からもこいつはおれの家に居座るのか。それならせめてカレーの作り方は教えてやらねばなるまい。胸の辺りで蝶々が飛んでいるようなむず痒い気分になって、彼女に背中を向ける。 「絶対セックスしましょうね、ネズさん!」 寝たふりをした。 - - - - - - - |