そういうものがある、と知ったのは制服のスカートを短くすることを覚えた時期だ。クラスメイトが血糊をつけて登校し、先生や生徒見境なしにトリックオアトリートをやっていて、すぐ叱られて昼休みには清潔な格好になっていた。半ば無理やり奪ったお菓子を分け前に与ったのはよく覚えている。有名な画家がロゴをデザインしたキャンディを二本。翌年には彼女に付き合ってわたしもなにかの仮装をした気がする。魔女かなにかだ。その年も同じキャンディを二本もらい、手間暇かけたわりにはしょぼい成果だとがっかりしたっけ。結局、あれ以来トリックオアトリートをすることはなくなった。 「また向かいの家が張り切ってますね」 ネズがゆっくりカーテンを開けて「去年よりエスカレートしてます」と感心したように呟いた。甘い余韻に痺れているわたしは寝返りを打ってなんとなく外をみただけだ。 「どんなの?」 「マーダーライドショーみたいな」 「分かんないよ」 「世界中の殺人鬼をマネキンで再現して置いてるんですよ、被害者も一緒に」 「……それってなんか違わない?」 「ま、怖いものではありますから。ああ子どもが出てきました――ピエロの仮装してますね、あの有名な映画の……」 「子どもが死ぬやつ? お向かいさん根本的に勘違いしてない?」 「楽しけりゃいいんじゃないですか。おれはあんまり、そういうの馴染みがないんですけど」 「わたしも――いや、ある、わたしはコスプレして学校行ったことある」 制服の頃を思い出したのは、そういうネズとのたわいない会話のおかげだった。血糊のにおいやキャンディの味、くどくど説教する先生の声もついでに蘇ってきた。 「ピエロを?」 「違うよ、もっと可愛い感じのやつ。いままで忘れてた。写真撮らなかったんだよね」 どうせ見せろと言われるだろうと牽制する。ネズはふぅんと相槌を打って、チェストから煙草を引っ張り出した。「それわたしのだよ」出てきたのがいつものネズお気に入りの黒いパッケージのものではなく、白い箱だったのでいちおう注意する。ネズはまたふぅんと生返事して、そのまま封を開けて火をつけた。途端にバニラの香りがふわりと流れ、ネズは咳き込む。 「まっず……子どもが吸うもんですよ、こんなの」 「子どもの頃から吸ってるんだよ。返して」 「じゃあほら、あれ言わないと」 「なに?」 「甘いものが欲しい子は?」 あのときも、別に甘いものが欲しかったわけじゃない。スカートを短くするのを可愛いと感じたのと同じように、彼女と一緒にはしゃいだら面白いだろうと考えただけだ。わたしは彼女についていっただけで、トリックオアトリートとは言っていないし。 「素直じゃねぇ悪い子のところには怖いのが来ますよ」 「それもたぶん違うよ」 ネズはのそりと動いてベッドに腰掛けた。ガラスの灰皿で煙草を潰し、どこかで見たような顔の横で両手を構えるポーズを取り「がおー」とまったく似合わない鳴き声を上げる。そしてすぐ恥ずかしそうにはにかんでシーツに潜り込んだ。 「いたずらするの?」 「します」 「甘いものもらったのに?」 「おれはこういうイベント詳しくねぇんで」 言い訳になっていない言い訳のあと、甘ったるいキスが降った。あの頃きちんとやったトリックオアトリートのキャンディより、いまの方がずっと甘いものをもらえている。大人になるってたぶん、こういうこと。 「ハッピーハロウィン!」 外から誰かの声がする。今夜はみんなハッピーな日、なんだか分からないけどハッピーになる日だ。 - - - - - - - |