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贅沢病


 嫌な差し入れといえば、食品だ。飴くらいならまだ嬉しい。ナマモノは当然として、消費期限があるものは非常に困る。向こうは百パーセント善意なのだから「食べなければならない」「駄目にしてはいけない」という心理的な圧も働き、どうにも弱ってしまう。そもそも食い物には困っていない。ありがたいのは煙草(カートンなら文句なし)、返事を要求しない手紙、タオルなど実用的なもの。一度本当に困ってしまったのはおれへの愛を"赤いインク"で最初のページから最後のページまで几帳面な字でみっしり書き連ねたノートを受け取ったときだ。いやなにおいもしていたので、知り合いに頼んで"お焚き上げ"をしてもらった。渡してきた女はそのプレゼントに反応しないでいたら、いつの間にかライブに来るのをやめてしまった。
「ネズさん、今日もサイコーでした!」「ネズさん、お手紙書いたので読んでください!」「ネズさん、またライブ来ます!」
「はいはい、どうも」
 いつものように適当にプレゼントを受け取っていたら、ふだんは見ない顔の、幼い少女がもじもじとこちらを見つめていた。後ろにいる仲間に励まされて、おれに話しかけるタイミングを伺っているようだった。
「あの、えっと、これ、食べてください! 手作りのケーキです! か、感想も聞きたいです!」
――久しぶりに困るプレゼントがきた。
 それはいままでロッカーに入れていたのか、とか、初めましての差し入れにしては重すぎる、とか、いろいろ言いたいことはある。おれという男は変なところで繊細で、相手を傷つけないよう断るためにはどうすればいいか考えて押し黙ってしまった。
 我に返ったのはべしゃ、という情けない音とそのあと劈くような悲鳴が聞こえたからだ。
「ケーキになに仕込んでんだクソガキ、キモいモン渡すな」
 驚いた。もしおれが女の気持ちを考えない素直な男だったらそのまま口にしているような台詞だった。
「あた、あたし……あたし、」
「うるせーよ喚くな、どっか行け、死ね」
 元凶はおれとケーキ女のあいだに立ちはだかる女だった。凶悪な声音でケーキだけでなく、その他の出待ちも威嚇している。おれに背を向けているので表情は分からない。ヒートアップした猫の喧嘩が連想された。
 蜘蛛の子を散らすように出待ちの女たちが逃げてゆく。ありがたいようなはた迷惑なような、奇妙な気持ちになった。
「……どうも」
 それで、なにも言わないのもおかしいので礼とも挨拶とも取れる声がけをした。女はゆっくり振り向く。おれにいわれたくないだろうが、血色の悪い、不健康そうな肌色だった。
「いやあ……珍しいです、あんな強烈なのは」
 おれの言い訳じみた言葉に女がなにか返事をする。声が小さくて聞き取れない。厄介者を追い払ってくれた義理もあるので無視もできず、わざわざ顔を寄せて「え?」と問いかける。に、と女は嗤い、両手でおれの両肩を掴んだ。
「ちょっと、」
 思ったよりも力が強い。戸惑って両手に持たされていた紙袋をどさりと落とす。首に冷たいものが触れた。なにかも分からないまま、本能的に総毛立つ。
「……動いたらケガするよ」
「傷は治りにくいタチなんですが」
「わたしの言うこと聞いてくれる?」
「はあ、手作りのケーキでも食おうか?」
 ジョークのつもりだったが女の機嫌を損ねたらしい。薄皮を舐めるように冷たいものが動いた。恐らく血は出ていないが、女がもう少し力を入れたら動脈が裂けて一巻の終わりだ。そういうのは自分の手首にだけ使ってくれねぇかなぁ。
「キスして」
 囁かれたのが思いもよらないおねだりだったので腰を抜かしそうになった。動いてもいいと言われていたら実際にへたりこんでいたかもしれない。
「……どこに?」
「上の口」
「下品なこと言いますね……おれ、まだきみの顔も見てないよ」
 手元が緩んだ。徐に上半身を動かし、なにも武器を持っていないことを示すために胸の前で両手を広げる。
 キスを要求する女の顔はよく見たらきちんと可愛らしかった。こういう脅迫はいかにも男に相手にされないつまらない女がするものだと思っていたが、考えを改める必要がある。重い睫毛はつけ睫毛だろうか。眠そうに見えた。尖らせた唇は赤黒い。血の色だ。
「目は開けたままですか」
 大きな瞳をぱちくりとさせ、女は慌てた様子で瞼を下ろした。アイシャドウは黒だ。おれの真似でもしているのだろうか。
 さて、キスには慣れている。感じやすいところはひとによって違うが、およそふつうのキスで構わないだろう。唇を重ねる。特に抵抗感はなかった。むしろ女の方がびくりと肩を跳ねさせた。脅迫したくせに、心の準備ができていなかったらしい。逃げようとする仕草すら見せた。かつん、と首筋に当てられていた剃刀が落ちる音が聞こえた。
「は、んぅ」
 酸素を求めて開いた唇に舌をねじ込む。狭い口の中を確かめるように舌先を動かし、離れようとする小さい頭を逃さないよう後頭部を掴んだ。指に絡む髪は柔らかかった。もう片方の手はどこにやるか迷って、結局腰を抱いた。そこで気がついたが、女は少しだけ背伸びをしていて苦しそうだった。
 唾液が混ざり合う。こんな裏口、誰も来やしないから止める人間もいない。おれは図に乗ってさらにキスを激しくさせる。反応が処女のようで面白かったというのもある。舌の裏を丁寧に舐めたら溺れるみたいに身を捩っていて愉快だった。さっきまで脅迫被害者だったおれが一転して調子づいている。女の香水と、踏み潰されたケーキの甘い匂いで頭がおかしくなっていたのかもしれない。
「も、やだ、もういい、いや」
「まだ」
「っつぅ、いたい、」
 気づかないうちに腰を掴む指先に力がこもっていたようだ。女はおれからするとややオーバーに痛がった。後頭部を押さえつけていた手をするりと首に移動させる。女はまたびくりと跳ねた。
「ケガ、したくないですよね?」
 喉仏の辺りを親指で強めに絞める。
「このままきみを絞め殺すこともできます、でもきみが言うことを聞いてくれたらそんなことしません」
「……ごめん、なさ」
「許しません」
 女は怯えた目でおれを見た。最初とは大違いだった。知らない人間相手に死ねなどと罵っていた人物と同一には思えなかった。いまの方が弱々しくてずっと可愛い。
「下の口にもキスさせてください」
 女は面食らった顔をして「……すっごい下品なこと言うね」とさっきまでおれに弄ばれていた唇を噛み締めた。ぷつ、と下唇がひび割れ、赤い体液が滲む。あの"赤いインク"と同じ鉄のにおいがした。なんだ、別におれはこのにおいは嫌いではないんだな。ただ相手を選ぶというだけで。
「ほら、どうしますか、ケガしたいですか?」
 ぐしゃり、足元のケーキをまた踏み躙る音がした。

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