母と父の最初の思い出は一枚のCDだそうだ。 「お父さんがね、まだ付き合ってなかった頃に急にCDプレゼントしてくれたの。聴いたことないアーティストだったんだけど不思議と気に入ってねえ。これを聴くたびにあのときの気持ちを思い出すのよ」 「おいやめろって、恥ずかしい。俺が当時この人にハマってたんだよ」 母は笑って、古いコンポでそのCDで再生した。わたしはお腹の中にいる頃からこれを聴いているそうだ。ジャンルはたしか、ケルト音楽、だった気がする。異国情緒あふれる音にゆらゆらとした女性の声が乗っていて眠くなる。 とてもロマンチックだと思った。父は母のことを考えながらこれを選んだのだろう。大好きな人に、自分の好きな人を好きになってほしかったのかもしれない。母はふだん激しい音楽を聴いているから真実気に入ったというより、好きな人が自分を思ってプレゼントしてくれたことが嬉しかったに違いない。ああ、素敵だ。わたしも好きな人の思い出になってみたいものだ。 「はあ、それで――ダンデの好きな音楽を?」 ネズさんは紅茶を片手に、呆れたような不思議な顔つきでわたしをじっくり眺めた。言葉にされると途端に恥ずかしくなって両手で頬を包む。熱い。熱があるみたいだ。 「あはは、顔真っ赤」 揶揄うのはキバナさんだ。チーズケーキの欠片がまだ刺さっているフォークでわたしを指して「そーゆーのは本人に聴かないとハズレるぜ」ともっともなアドバイスをくれるのだった。 「一度オペラに誘ったことがあります。あ、チケットが余ってたので……。第一幕が終わった頃に寝てましたから、興味ないんでしょうね」 即座に有意義な助言をくれたマクワくんはミルフィーユの食べ方に苦戦していた。倒して食べるといいよ、と教えたら小さくお辞儀して律儀にその通り食べ始めた。 「みんなの好きな音楽は分かりやすいんだけどなあ」 「へえ、じゃあオレは?」 「青春パンク。それとオルタナ、ミクスチャー……」 「分かんねえ、そうなの?」 「ほらこの辺ですよ、好きでしょう」 ネズさんは即座にスマホを取り出し、音楽アプリをキバナさんに見せた。思い当たるアーティストがいたのか「あーそうそう、オレ様こーゆーの好き!」と拍手してくれた。 「ネズさんはロック、古いやつ。パンクも好きそう。プログレはどう?」 「プログレ好きに見えますか」 「好きだったらいやだなあ、と思ってる」 「じゃあそれで」 「プログレってナニ?」 またネズさんはディスプレイをキバナさんに見せた。「知らねえなあ」と呟きながら画面をスクロールし、やっぱり「知らねえや」。 「マクワくんはクラシック好き。一度一緒にコンサート行ったし」 「行きましたね、バロックでしたか」 「でもロマン派が好きだよね?」 「まあ、はい、王道が好きなので」 「で、その辺は分かるんだけどダンデくんが分かんないって話」 ふう、と一息つく。 「好きなもん訊けばいいじゃないですか。いまさら恥ずかしいとか言わねえでくださいよ」 「違うよ。例えばネズさんがプレゼントでCDもらうとするでしょ」 「はい」 「このバンド好きだったよね! どうぞ!って渡されて、封を開けたら、既に持ってるCDなの」 「ああ――分かりました。相手の得意分野で勝負すると、そうなりますよね。特に好きなアーティストだったら発売日に買ってるかもしれないし」 「じゃーまったく興味なさそうなヤツ選んだら?」 「せっかくならハマりたいじゃん」 「音楽とか聴く人なんですかねぇ……ぼくはあんまり、そのイメージないですけど」 「オマエが曲作って贈ったら?」 「……それはおれの黒歴史だからやめろ」 「えっ! ネズさんそんなことしてたんですか! ぼくにもなにか作ってください。アンセムみたいなやつ」 男三人寄ればかしましい。 「っつーかやっぱ本人に好きな傾向くらいは訊くべきじゃね? 敬虔なクリスチャンにブラックメタルあげるハメになったら大事件だし」 キバナさんはにかっと笑ってスマホを素早くタップした。わたしが「やめて」というよりも早くダンデくんに通話を繋ぎ「いまヒマ? オマエに質問あるらしいからちょっと代わるわ」と言葉足らずにも程がある説明をし、投げるみたいにスマホを渡してきた。 「え、あう、」 「それもう繋がってる」 「もしもし? 誰だ?」 「わ、わた、わたし」 「なんだ、きみか。驚いた。キバナといるのか」 「あ! 違う! いない! ダンデくんの話してた」 「ひでーな、オレいないことになってるよ」 「誰のスマホ使ってんでしょうね」 「ダンデくんって、あの、普段、なに聴くの?」 「ラジオ番組かな?」 「ちが、ちがうくて、えーっと、音楽とか、なにが好きかなって」 「結局ストレートに訊くんですね」 「ほらな」 「ちょっと静かにしましょうよ聞こえますよ」 「うん? 音楽はあんまり詳しくないなあ――きみが歌うならなんでも好きだぜ?」 そこから記憶はないのだけど、ネズさん曰く、おひさまにあてられてとろけたバターのような顔で、とても幸せそうに会話を続けていたそうだ。電話のコードを指でくるくるする仕草をしながら。 「じゃあ次のデートはカラオケで」 と言ったのは誰だったか。とにかくわたしたちの思い出は当初の考えとは違う方向に、綺麗に実りそうだ。ネズさんだけが黒歴史を掘り返されて苦々しい顔をしていた。 - - - - - - - |