×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




うさぎ


「うさぎが寂しいと死んじゃうっていうのは、ウソなんだって」
 女は潰れたマルベリーみたいに赤黒い痣がいくつもある膝を抱え、重大な秘密を打ち明けるように囁いてくれた。
 ありふれた「本当の話」だった。いまさらそれくらいのことを言われても驚けないが、おれはいちおう目を大きくして初耳だという顔つきをしてみせた。
「うさぎは元々野生の生き物だから寂しいとか感じないんだって」
 次に女は細い腕に巻きついている白いリボンをひっかいた。おれはそれを手で払って嗜める。「そんなことしてたら治るものも治らねぇです」「かゆい」「がまん」「はぁい」少し血が滲んで、赤い縦線が浮かび上がった。白粉彫りのようだ、と思って、それも都市伝説だったかと考え直す。
「たまにね、飼い主がいないときに突然死しちゃうことがあって、それがそういう風に伝わったんだってさ」
「誰に聞いたんですか?」
「昨日調べたの」
 蒼いカラコンが張り付いている目は充血している。鼻をむず痒そうに何度も擦り「ネズさん知ってた?」と上目遣いで問いかけた。少し思案するふりをして、肩をすくめる。
「勉強熱心なのは結構だと思います」
 ネオンピンクの夜、雑踏、誰もがおれたちを無視して通りを歩いている。
「わたしね、うさぎはわたしと同じだと思ってた」
 ライブハウスの喫煙所は大渋滞、喫煙所を求めて駅前に戻れば封鎖中、仕方なくどこともしれない路地裏で、先に来ていた女と向かい合って無益な会話をしている。
「寂しいと、死んじゃうんだって」
 暗いからよく分からないが、彼女は一張羅を着込んでいるらしかった。黒いチョーカー、不必要にヒラヒラのついたワンピース、赤い爪、ラメの瞼、天にまで届きそうな厚底のロッキンホースバレリーナ。
「お前はそうかもしれないですね」
「ねえ、生まれ変わったらいいコになるよ」
 それでね、
「うさぎも飼ってみたいな」
 膝を抱えていた腕がおれの腕に絡みついた。
「それって脅しですよ」
「そうかな」
「そうです」
「だめ?」
「だめ……じゃねぇけど」
 女は不健康な笑顔でに、と笑った。すぐ近くのホテルで寂しさを埋めてもらおうという魂胆に違いない。
「ここで会ったのもなにかの縁だよネズさん」
 そう言われてみれば、このシチュエーションはかなりロマンチックだろう。
「寂しいの。わたしに死んでほしくなかったら慰めて」
 やっぱり脅しだ。



 女の肌はどこをみても傷だらけだった。切り傷、痣、よく分からない火傷。白い肌を彩るそれらにひとつずつ丁寧に唇を落とす。「へんなの」女はその行為を不思議そうに眺めていた。不快そうではなかった。
 ずっと鼻をぐすぐすと擦っているので「花粉症ですか」と念のため聞いてみる。「うさぎは花粉症になんてならないよ」そうなのか、勉強になった。
 一張羅を雑にベッドの下に散らばし、女はか弱く喘いだ。おれが腰を突き上げるたびに、食前の肉食動物に弄ばれる小動物のごとく身体を震わせた。うさぎのように長くはない耳を甘く噛んだら、かちりとピアスが歯に当たる。どこを舐めても金属の味がするのでそのうち耳を愛撫するのは諦めた。
 哀しいような虚しいような不可解な気持ちになった。一晩だけの慰みに使われるというのが、初めての経験だからかもしれない。その逆はよくしていても。穿つごとに、満たされるはずの気持ちが空虚になってゆく。自分が分からなくなって、前置きなく彼女のなかに精液を注いだ。彼女は嬉しそうな顔で「わあ、」と声をあげ、愛おしそうに臍の下あたりをさすった。
 こいつ、うさぎの癖に、おれを獲物にしようとしている。いや――おれはもう捕まって、食われたあとなのだ。操られるがままに気を遣って、汗だくで抱き合って、そこでようやくキスをした。
「おれは、慰めになりましたか?」
 女ははっきり答えない。に、と笑うだけだった。
 鼻をひくひくと動かして「眠いや、寝るね」とすぐにシーツに潜って目を閉じる。瞼をそっとなぞり、おれも眠ることにした。身体的にはとても満たされたセックスだったが、精神的には落ち着かないものだった。彼女を抱きしめて寝ようとしたけれど、すぐに寝返りを打たれて離れていってしまったので拒否されているように思えて腕が伸ばせなかった。



 目が覚めると、ベッドにひとりだった。バスルームにもどこにもいない。おれの指先にラメだけ残して、消えてしまった。
 おれはもう骨までしゃぶりつくされたか、その先か、とにかく少しでも彼女の寂しさの穴を埋める役には立ったはずだ。だから元気になって、おれなんて用無しになったから置いていかれたに違いない。うさぎに罪悪感はないのだろう。元々は野生の生き物なのだから。
 胸の奥に澱んでいる感覚は、彼女を恋しく思う気持ちの芽吹きであるように思われた。せめて連絡先を聞いておけばよかったが、いまさら気づいても仕方のないことだ。
 鏡を見る。目がひどく充血していた。
「ネズさん」と呼ぶあの頼りない声が耳から離れない。胸の澱が次第に濁り、大きな穴が空いたようになる。ああこれが、寂しさ、か。これを埋めたくてあいつは獲物を探していたんだ。
 次はおれがうさぎだ。赤い目をギラつかせながらこれを埋めてくれる女を探す。願わくばもういちどあの赤黒い膝に口づけをしたいが、いつ出会えるかは神様次第だ。
「おれに死んでほしくなかったら慰めてください」
 被害者ぶれるいい台詞をもらった。おれはうさぎ、獲物を求めて暗い街を彷徨う碌でもねえ小動物だ。

- - - - - - -