不服、不本意、不愉快だった。普段ならバラエティになど出ないのに、数年ぶりのアルバムのプロモーションでどうしてもと「偉い人」に頼まれてひとつだけ、しかも生放送の番組に出ることになってしまった。アルバムのリード曲に「エクトプラズム」なんて文言を入れてしまったがために〈夏の終わりの恐怖映像 〜あなたの知らない世界〜〉などという唾棄すべき茶番に組み込まれてしまう。 「台本はありますけど、読まなくてもいいです。流れで、いい感じにお願いします」 打ち合わせたスタッフは仏頂面のおれ相手に何度も頭を下げた。 「本番入ります」 カウントダウン、強くなる照明、拍手を始める客席。 「さて始まりました、夏の終わりの――」 おれはゲストだというのにテーブルに肘をつき、顎を載せ、これ以上ないほど悪い態度で臨んだ。名前と肩書きが紹介され、顎をくいと動かすだけで挨拶。振られた話題には「ええ」「はあ」「まあ、そうかもしれませんね」と応えるくらい。カンペになにか指示が書いてあるが無視する。 精巧に作られた心霊映像、海外の雑な恐怖動画などの紹介が続き、おれはずっと無表情だった。時折それらしくゆっくり瞬きしたり、 「ネズさんは幽霊は信じていますか?」 「ゴーストタイプとか結構好きですけどね」 などとMCを困らせる適当な返事をしたりもする。新進気鋭のコメディアンが後ろで舌打ちしたのが聞こえた。 「それではラストのコーナーです。えー、なんと、死んだ方を憑依させて……お話しさせてくれるという霊能力者の方を呼んでいます!」 「エクトプラズムですか? ネズさん、出番ですよ!」 「……エクトプラズムは憑依じゃなくて霊体の顕現だよ」 初めてまともに喋った。おれの反論なのか独り言なのか分からない言葉をMCは無視し、その霊能力者の名を呼んだ。無闇に焚かれていたスモークが徐々に収まり、質素な椅子に座った小さい女が現れる。霊能力者と聞くとやたらと華美な衣装を纏った劇団員のようなものを想像するが、その女はまったく違った。隣に住んでいて、子どもの面倒をちょっと頼んでもにこにこ引き受けてくれそうな雰囲気の、柔和な初老の女性だった。 「誰でも呼べるんですか?」 「ああそれなら、オレの師匠とか呼んでほしいっすね」 「死んでないだろ、それ」 そんな愚かしい会話を、やっぱりにこにこと聞いている。 「誰でも呼べるわけではないんです」 霊能力者はとてもゆっくり喋った。「この場に相応しいというとおかしいですが、ここにいるどなたかにとって、とても大事な方――伝えたいことがある方なんかが、わたしの身体の中にいらっしゃるんです。わたしから呼んでいるのじゃなくて、身体をお貸しするだけなんです」もっともらしい説明だった。台本を読んでいないから知らないが、どうせ誰かの亡くなった親類などでも降ろすのだろう。そして感動の再会、また来年の夏にお会いしましょうというエンディングだ。おれは相変わらず頬杖ついてあくびを噛み殺していた。 「じゃあ今回はネズさんはいかがでしょう?」 「は――」 いきなりの展開に顎ががくんと落ちる。参った、こんなかたちで巻き込まれるとは想定していなかった。あのスタッフめ、せめて口頭でこういう流れがあることくらい言いやがれ。 誰だろう。祖父母とは面識がなく、両親はおそらく健在だが縁を切っている。妹はピンピンしているし――おれも困るが、霊能力者がいちばん困っているのではないだろうか。それとも先におれについてリサーチしてあって、適当な祖先でもでっち上げるのかもしれない。 それはそれで面白い。おれは背筋を正し、さあどうぞという顔つきをしてみせた。 「ああ……」 霊能力者はそこでようやくおれを見、低く呻いた。目を閉じ、身体を左右に揺らす。 「――ねえ、デパスはないの、もう」 第一声は聞き取れないほど小さい声だった。「リーゼでもいいんだけど……」スタジオの誰もがぽかんとした表情になった――おれ以外。 「落ち着かないよ、ここは……あたしどうしちゃったんだろう……ネズ……ねえ、剃刀もないよ……」 それまで落ち着いた声音だったのに、急に未成熟な女の声になった。不安定な言葉を次々と紡ぎ、生放送だというのに周りの人間を無言にさせた。 「猫――あたしの猫。餌はあげてる? ねえ、猫を返してよ……あたしの過去も、ぜんぶ、返して。ネズ、会いたくなかったよ……ほんとうに、好きだったけど……だってあたし」 カメラが辛うじておれを捉えている。霊能力者の女はしくしくと泣き始めた。 「あたしほんとうにネズが大好きだった……」 よせ、やめろ、カメラを止めろ、マイクも切れ。 そう叫びたいのに身体が動かない。 うんざりするほど聞いた、薬をねだる甘え声、子供のような泣き方。 「好きだったのに、死ぬほど好きだったのに……どうして彼女にしてくれなかったの……猫も連れて行っちゃうし……」 違う、猫はお前がそう思い込んでいるだけで、あの晩窓から逃げて行っただけだ。お前そっくりの猫だったから行く宛もなくておれのところに来たんじゃないか。それでおれはお前を見つけて、 「エクト……なんだっけ、新曲のさあ……そんなんじゃなくったって、ネズの隣、並んで歩きたかったよ……」 「あ、そうだ、ネズさん新アルバム出るんですよね!」 MCが強引に話題を逸らした。泣き続ける女を数名のスタッフが囲み、身体を支えて捌けてゆく。 「エクトプラズムの恋人を連れてデートするという変わった歌詞ですが――」 おれは上手く話せなくなっていた。あいつの青白い身体を思い出し、指先が震えた。あとはその場にいた喋ることを生業としている人間が収めてくれたが、お疲れ様でしたと終了を告げられてもしばらく立てなかった。 「こんな番組誰も見てないっすよ」 コメディアンが気休めみたいなことを言い、憐憫の眼差しを向けてくる。いつもなら躱せるが今日ばかりはなにも言えなかった。 結果、プロモーションとしては成功だったと「偉い人」が後日教えてくれた。ネズは恋人を亡くしていて、そいつに手向けた泣ける曲が入っているのだと話題になったそうだ。 ――どうして彼女にしてくれなかったの きっとあの言葉は、音声は拾われなかったのだ。だから恋人を亡くした男として受け入れられている。 あんな仕事受けなければよかった。もっとも唾棄すべきなのはおれ自身に違いない。 あいつと会っていた数ヶ月は濃密で、寒々しい愛おしさがあった。恋人同士といえるほど成熟したものではなかった。彼女だ彼氏だとはっきり口にする前に、お前がひとりで死んでいったんじゃないか。 翌週、猫が死んだ。餌はやっていたのに。 - - - - - - - |