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罪人


「彼氏ができたよ」
 姉がふと思い出したように発した言葉が最初は理解できなかった。
「え?」
「はい?」
 あたしとアニキはほとんど同時に聞き返す。ベビーリーフをもそもそと食べながら姉は繰り返した。「らからぁ、彼氏がれきたって」口の動きがまるでミミロルのようだなあ、なんて間抜けに思っていたらアニキが「はい?」と再度問いかけた。聞き取れなくて、ではなくて、理解できなくて、という感じだ。
「お兄ちゃんも知ってるひとだよ。ていうか、前にサポートでドラムしてたヤツ。あ、じゃあマリィも知ってるか。髪が赤と黒の……」
「あいつか……」
 アニキはずるずると椅子の背もたれから滑り落ちた。
「分かる、ような、分からん、ような」
 浮いた話がいままでひとつもなかった姉のいきなりの告白。アニキとあたしはそれぞれ戸惑って変な反応をする。別に結婚するとか子どもができたとか言われたわけじゃない。それでもなんだか本当に唐突で、姉もひとりの人間だったのだなと思ったのだった。
 よかったねえ、って言おうとしてアニキに視線をやる。おかしな姿勢で椅子に座っている(というより、かろうじて身体を委ねている)アニキは自動車事故を目の前で見たようなひどい顔をしていた。「あいつか……」と繰り返し、まだ晩ご飯を食べ終わってもないのにカトラリーをテーブルに投げるみたいに置き、細い腕で身体を支えて離席する。
「今度ちゃんと紹介するねぇ」
 アニキとは反対に姉はにこにこ笑い、口の端についたドレッシングをぺろりと舐めた。
「よかったねえ……?」
「うん、よかったよぉ」
「よかない」
 ぼそ、とアニキが呟いたのが聞こえた。どういう意味か質問しようとしたのに、こっちも見ずにさっさとどこかに行ってしまった。



 深夜のおやつをねだるモルペコを諌めながらベッドに向かう。いちばん奥のあたしの部屋に辿り着くまでには手前のアニキの部屋、真ん中の姉の部屋を通り過ぎる必要がある。足音を立てないよう、そうっとそうっとゆっくり歩く。ぴいぴい鳴くモルペコに「しいっ」と注意したけど足首にタックルされた。仕方なく抱き上げてまた歩みを進める。そんなに長い廊下ではないのに、皆が寝静まった時分に歩くと妙に部屋が遠く感じる。小さい頃はこれが怖かった。
「っあ、おに、ちゃ」
 手前の部屋から泣いたような声が聞こえてびくりとする。おかしいな、アニキの部屋なのに姉の声。
「は、あぅ、う、んんっ」
 アニキの声は聞こえないけれど、なにかぼそぼそ言っているみたいだからそれがそうなのだろう。モルペコの口を塞いでその場にしゃがみこむ。
 呼吸が上手にできなくなった。はくはくと口を動かして必死に酸素を取り込む。
「おにいちゃんがすき、おにいちゃんが、いちばん、いい……っ」
 バカにでも分かるあからさまなよがり声。さっき彼氏の話を幸せそうにしていたばかりなのに。紹介するって言ったのに。
「わっ、わかれる、ぅ、わかれる、からぁ……あっ、やめない、でっ」
 やだ、こんなの聞きたくなかった。腰を抜かしかけながらも、慌てて自分の部屋に戻るために立ち上がる。「ん、ん、ごめんなさ、ぃ」聞いたことのない甘い声音に吐き気さえ覚えた。早く逃げないと、早く部屋に行かないと。這うようにしてまっすぐ進む。
 頭上でがちゃりと金属音がした。ドアがぎいと音を立てて緩慢に開く。
 あたしはきっと、自動車事故を目の前で見たようなひどい顔をしていたに違いない。

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