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ニル・アドミラリの攻防



 おれは大抵のことでは驚かない。
 蹴り上げたマイクスタンドがフロアに飛んで行った時もなんだかよく分からない音楽の賞をもらった時も妹がいきなり彼氏を連れてきた時も真夏に雹が降った時もいつも「なるほど」という気持ちになった。おれの知らないところでも世界はそうして動いているのだから。もちろんその場に合ったリアクションはきちんとする。「すみません」「ありがとうございます」「初めまして」「困りましたね」ついでに眉を少しは動かす努力もする。
 だから恋人がとんでもない非常識人で、スープを作っていたはずが煮物になったとか、おれの家に来ようとして聞いたこともない駅で降りてしまったとか、いまだにポケモンの属性相性を覚えていないとか、そういうことにも大袈裟には驚かない。ただ「とんでもねぇやつだ」とその都度思う。と同時に「こいつに付き合えるのはおれだけだろう」とも思うのだ。失敗した煮物でもなんとかして美味く食べるし、迷子になったらそこまで迎えに行く。たとえ電話でのナビが下手くそでも。ポケモンは――別にチャンピオンになりたい訳でもないなら好きにすればいい。
「ネズは優しいね」
 ひっくり返した花瓶の水を拭き取りながら恋人は笑う。
「怒ってるところ見たことないかも」
「はは、お前はそうかもしれませんね」
 叱ったり諭したりすることはあっても怒ることはない。特に彼女には。仕事上そうなってしまうことはたまにあるがプライベートで無駄なカロリーを使っても仕方ないからだ。そもそも彼女の失敗は悪いことではないので「怒っても仕方ない」というのがいちばん大きいかもしれない。このいささか非常識な恋人は「話せば分かる」し、そもそも「話してどうなることでもない」。強烈な個性だ。そんなところが可愛いと思うのだけれど。
「サプライズ!」
 付き合って初めてのおれの誕生日。仕事帰りにクラッカーに出迎えられたおれはきちんと驚いた顔をした。「サプライズだよ! ネズ!」二発目のクラッカーを鳴らして、彼女は「もっとびっくりするかと思ったのに」と少々不満そうな表情になる。「驚いてますよ」「もっとさ、こう、うわーっ!とか言わない?」「……うわー」子供みたいにふんと鼻を鳴らして「よし」。拗ねたのか納得したのか分からなかった。
 恭しく案内されたテーブルには特大のカラフルなケーキと少しの料理。さてはケーキを作るのに時間をかけすぎてメインディッシュを忘れていたな。彼女をみるとぱっと眼を逸らしたから、恐らくはそれで正解だろう。別に驚かない。料理をしていたら間違えて悪魔を召喚してしまったなどという失敗ではないし。「いただきます」にこりと笑って銀のカトラリーを手に取る。
「ちゃんとおいしい? 食べられる?」
 口の中にものが入っているから話せないのに「大丈夫? おいしい?」と何度も念を押されるから何度も頷く。実際、スープを煮物にしていたとは思えないほど上達していた。ケーキも買ってきたのかと思うくらい見栄えがいい。
 不思議だ。言いようのない高揚感に胸が高鳴る。満腹感とも違う、ぱちぱちと炭酸が弾けるような感覚。
「あ、すごい、ネズの目が真ん丸」
 くす、と小さく恋人が笑った。
「そんなの初めて見た。びっくりした?」
「……はい。すごい、です。ありがとうございます」
 そうか、驚くとはこういうことか。うまくリアクションできない。どんな顔をするのが正しいのだろう。笑顔だろうか、それとも、
「うわーとかないの?」
「……うわー」
「やったー、サプライズ成功! 嬉しい! ケーキ食べよ!」
 手を叩いて大喜びの彼女を見ているとやっと自然と頬が緩んだ。
 おれの誕生日なのにおれより上手に喜んで、やっぱりこいつはとんでもねぇやつだ。


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初出20201020